日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

ごくありふれた夫婦の話(成田空港にて)

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家人が年末年始に帰省するので、成田まで送りに行きました。

成田空港は懐かしい場所です。
20数年前、初めて家人に会った時に、ある直感を得ました。
正確にはそれが2度目で、同じような感覚を中学生くらいの時に感じたことがあります。

まずは最初の時から。
小学生の同級生に、ややおつむの弱い女子がいました。
話し方に特徴(くせ)があったので、いじめほどではありませんが、皆に敬遠されがちです。
私もなるべく関わらないようにしていた側ですが、ある時、ふと「自分はあの女子と結婚するのではないだろうか」と閃きました。
想定外の事態なので、「冗談じゃない」と打消し、それから20年近く忘れていました。

家人と初めて会った時に、それとまったく同じ感覚を覚えました。
「あれ?オレはこの女性と結婚するのではなかろうか」
何故そんなことを考えたかを思案すると、姿かたちはまったく違いますが、家人の言葉の遣い方が、かつての同級生女子に似ているような気がしたからだろうと思います。
家人は外国籍なので当時は日本語があまり上手くなかったのですが、それだけではないような気がします。

そのひと月後、今の家人と2度目に会った時に、家人から「成田空港まで送ってくれないか」と頼まれました。
まだ2人だけで1度も会ったことがない段階です。
私は、初対面の時に感じた「妙な感覚」の理由が知りたくて、車で家人を成田まで送ることにしました。

家人がどういう性格なのかも、まったく知らぬまま、搭乗口で背中を見送りました。
家人は3度振り向き、頭を下げます。口のかたちが「ありがとうございました」になっています。
その姿を見ているうちに、自分の頬が冷たくなっているのに気づきました。
知らぬ間に、涙を流していたのです。
まだどんな人かも知らないので、「別れが悲しい」とかいった特別な感情はありません。
思い当る理由がないのに、ただ涙が流れます。
成田からの帰路には、車を運転しながら、ついに号泣していました。

家人の側からもまさに同じで、初対面の時に「この人とおへそが繋がっていると思った」との話です。
お互いに直感を信じる性格だったので、3度目に会った時に結婚することを決め、家人を郷里に連れて行きました。

こう書くとノロケ話のように読めますが、そういうつもりはありません。
こんな話はどこの家族にもあることです。
私は無能で自堕落な人間なので、若い頃から「大人の三拍子」三昧です。嘘も平気で吐くし、法螺も吹きまくります。
家人には「競馬場に行くから」「人(もちろん女性)と飯を食ってくるから」、「本を出すから」、金を出してくれと幾度となく言い付けて来ました。
本当にサイテーな人間です。
こういう人間を見捨てず、諦めないのは、母親と家人だけではないか。

自分がどれだけ愚かかということは、自分自身が良く知っています。
そこで、ささやかなお返しに、心の中で「人類の番付」を付け、左右の正横綱を母親と家人の2人に決めました。
もしその2人に「こうしてくれ」という要望を言われたら、必ず「分かった」と答えることにしています。
心の中での優先順位1位を守ることと、必ず家に帰ること、くらいしか返してやれるものがないかもしれないからです。
(本当にサイテーな人間です。)

しかし、成田空港では、いつもほろほろと涙を落としてしまいます。
20年以上経った今でも、まったく同じなので、「ソウル・メイトとはこれなのか」、とも。
この感覚だけは、いまだによくわかりません。