日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

「豊臣秀吉」は存在しない

イメージ 1

ハリー・ポッター」と「曹操」、そして「豊臣秀吉」には共通点があります。
それは何か。
答は、すべて「架空のキャラクター」であるということです。

ハリー・ポッター」や「曹操」は分かります。
ハリー・ポッター」は1人の女性が創り出した小説の登場人物です。
曹操」も「三国志演義」という物語の登場人物。モデルらしき三国は存在しますが、内容自体は作り話です。
でも、「豊臣秀吉」は実在の人じゃないの?なぜ架空なの?
そう思う人が大半でしょう。

結論を先に書くと、「豊臣秀吉」は「太閤記」という江戸期に成立した物語の主人公です。
モデルは「羽柴秀吉」という実在の人物ですが、「豊臣秀吉」の人物像は、すべてが後で作られた虚像です。

これは名前ひとつとっても分かります。
朝廷の最上位に上りつめるまで、侍としての羽柴秀吉の正式名は次の通り。
1)羽柴 2)筑前守(または大納言その他) 3)藤吉郎 4)藤原朝臣 5)秀吉。
この場合、1)は名字、3)は字名(通称名)で、大陸流に言えば両方とも「字」です。
2)は武家官職。武家の場合、最高位は征夷大将軍となります。
5)は諱(いみな)で、その人の本当の名です。
4)は本姓で、氏族と姓(かばね)。
いわゆる「氏素性を明らかにせよ」と言うのはこの部分です。
すなわち「古くからの家柄が由緒正しく、朝廷での地位もある」ことを示せ、という意味です。

ところで、朝廷で高位に上り詰めるためには、「源平藤橘の氏姓でなくてはならない」という不文律があり、このため、羽柴秀吉も一時、「藤原朝臣」を名乗っていたようです。
ただし、名前の後ろの部分である「本姓と諱」は、普段は使わない名前です。
室町武士が1対1の戦いを挑む時に、「我こそは・・・」と「本姓と諱」で名乗りを上げたかもしれませんが、戦国以後にはこの名を口で言うことはほとんどありませんでした。
今の感覚で、「諱」に最も近い名前(の一部)を探すと、ほぼ「戒名」となり、普段は使うことの無いものとなります。

さて、秀吉が目指していたのは、武家の棟梁ではなく、朝廷のトップです。
すなわち関白。天皇に次ぐ存在でした。
そこで、周りから四の五の言われないために、本姓にあたる名を天皇から貰います。
これが「豊臣」となります。

関白は朝廷のトップですので、この世に一人しかいません。
このため、名前を名乗る時は「関白」だけで良くなります。
名字・字名は、本来その人が誰かを分かりやすくするための標識で、「どこそれの」「どういう役職の」という内容なので、まったく必要が無くなるわけです。

今現在で例えれば「日本国総理大臣」と言えば1人しかいません。
今の総理大臣は数年で代わりますが、関白になれば、天皇に言われるか、自ら辞めると言わない限り、辞める必要はありません。
すなわち、関白の位に就いてからは、唯一無二の存在となり、署名は「関白」のみで良くなります。
よって、それ以後の正式な名前は、2)関白 4)豊臣 5)秀吉、となるわけです。

ただし前述の通り、戦国当時の人が「本姓と諱」の組み合わせで、人の名前を呼ぶことはありません。
九戸戦の後、戦乱に巻き込まれるのを避け、山に入ったこの地の民に対し、「還住令」が出されます。
この時の上方軍諸将の署名が記録として伝えられています。(画像は盛岡藩が書き写したもの。)
この書状では、浅野長吉は「浅野弾正少弼」、蒲生氏郷は「羽柴忠三郎」と書いています。
いずれも前半の官職や字(通称名)を使用しています。
ちなみに、蒲生氏郷は、秀吉から冷遇され、奇天烈な官職ばかり宛がわれたので、これを一切使わず、専ら「忠三郎」という通称名を使用しました。
※最初に記憶のみで書いたところ、正確ではありませんでしたので、訂正しました。

さて、それでは「羽柴秀吉」を、誰がなぜ「豊臣秀吉」と呼ぶようになったのか。
これが「太閤記」となります。
豊臣秀吉」はあくまで「太閤記」という物語で登場した主人公のことであって、実在の羽柴藤吉郎とは違います。
かつての小説家はそのことを踏まえ、皆がきちんと「太閤記」として作品を著しました。
作り話であることを承知して、それを示していたわけです。

例えば、「織田信長の草履を自らの肌で温めた」とか。
「啼かぬなら 啼かせてみせう」といった生き方をした、などは、総てこの「太閤記」を源とする作り話です。
実在の羽柴秀吉の人物像を反映させるなら、「啼かぬなら 娘を犯すぞ 不如帰」が妥当なところでしょう。
しかもその娘はまだ十歳だったりします。
秀吉は、家来の室(妻)に目を付け、無理やり離縁させた上に、その妻女と娘とを同時に側室にしたりしました。

秀吉による小田原攻め以後の行状(凶状)が絶えて書かれないのは、「太閤記」に記載が無いことに加え、あきれるほど残虐な仕打ちをしているからだろうと思います。
本書の中で取り上げたエピソードに、大崎浪人の某が「関白様が手こずっておられる一揆勢をそれがしが鎮めて見せます」と言った件があります。その浪人の言葉を伝え聞いた秀吉は「即座に斬首を命じた」と記録に残っています。
家来が「その者がそういうことを申しております」と言うのを聞き、その言葉の中の「手こずって」という言い回しが癇に障り、打ち首にしたのです。
秀吉にはこの手のエピソードが山ほどありますが、一般にはまったく知られていません。

中高年の中には「秀吉好き」が沢山おられます。
このため、本書について、「なぜ豊臣秀吉を悪く書くのか」とあからさまに文句を言う人もいます。
そういう意見は、これまでのところ相手にして来ませんでしたが、これからはきちんと答えることにしました。
「私が書いているのは羽柴秀吉であって、豊臣秀吉という架空のキャラではありません」
ついでに「いい齢こいて、『ハリーポッターが好き』はないだろ」とも。
「秀吉好き」は「ハリー・ポッター好き」と大して変わりませんよ。
(ちなみに「ハリー・ポッター好き」を見下しているわけではありません。架空のキャラを実在と混同することが愚かしいという意味です。念のため。)

ちょっと調べれば、「羽柴秀吉」の本当の姿はわかります。
一度「豊臣秀吉」ではなく「羽柴秀吉」についてお調べになっては如何でしょうか。
(たぶん、がっかりなされるとは思います。)