日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

可哀相な人しかいない

ニュース報道より。
「女子高生殺人事件の犯人の父親が死亡。自殺とみられる」

この事件の当事者に近い人たちには、被害者・加害者を含め「可哀相な人」しかいません。
犯人女子の父親には「罪」はなく、「落ち度」がどこまであったかは微妙。
子をきちんと育てるべき「責任」はありましたが、果たして死すべきものだったかどうか。

まあ、父親の状況を想像するに、朝から晩まで、罵りの言葉か無言電話しか届かない。
会う人会う人の総てが自分を非難する。
露骨に「凶悪犯の父親は大概自殺してお詫びしている。お前もしろ」と言われる。
そんな状況だったのでしょう。

ネットニュースの下には、ツイッターフェイスブックの悪口雑言が並びます。
「責任逃れ」「卑怯」とか書いてあります。
それは違うでしょう。
この父親はあらゆる人に「死ね」と断罪されたから従ったということ。
それが良かったか悪かったかは別で、様々な意見があるだろうと思います。
三者が安直に再断罪して良いとは思えません。

ここで、自分が当事者だったら、どうすべきかを考えてみます。
この事件まで極端ではないですが、自分の子が交通事故の当事者(運転者)になったりする事態は、どの人にも起こり得ます。
道に幼児が飛び出してきて、避けきれずにはねてしまった。
その子が死んだら、やはり事故原因は「前方不注意によるもの」で、運転者は「子を殺した犯人」みたいな扱いをされます。
もし、その運転者の父親だったら、どう振る舞えば良いのか。
亡くなった子の親たちは「お前の子がうちの子を殺した。うちの子を返してくれ」と言うでしょう。
たぶん、「あの子が飛び出したから」とは言わず、「申し訳ありませんでした」と答えます。
どういう事情にせよ、子どもが死んだのが事実だからです。
運転者の「罪」の度合いは薄いけれども、やはり「責任」は残ります。
交通事故で人をはねて死に至らしめると、運転者当人は概ね交通刑務所行きです。
その時、運転者の親はどうするのでしょうか。どうすべきなのでしょうか。
果たして親は「犯人一味」なのか。どこまでの責任を果たすべきなのか。
その答は容易には見つからず、ただ「もしそういう事態が起こったら」という恐怖感だけが残ります。

さて、冒頭に戻ります。
死すべき理由が何ひとつなく死なねばならなかった被害者は本当にお気の毒で、ご遺族の心中も察するに余りあります。
成長するに従い精神に異常を来たし、そのような犯行に及んだ女子高生も、「もう少し手前で何とかならなかったのか」と不憫に感じます。
娘にどう対処してよいか分からず、犯行を止められなかった父親についても、むげに謗る気持ちにはなれません。
「もし自分がその立場に立ったら」と考えると、もはや言葉が無くなってしまいます。
この事件に関わっていたのは、どの人も可哀相な面があります。(意味はそれぞれ違います。)

これに対し、まったく可哀相でないのは、ネットで親族の個人情報までさらけだしたり、夜昼となく無言電話をかけたり、「責任を取って死ね」と叫んだ人たちです。
その人たちの望み通り父親は死に、被害者の遺族が裁判で知るはずだった細かな経緯が語られなくなります。
また、刑事だけでなく民事の裁判も発生したはずなのに、あの父親が亡くなってしまうと、補償を求める相手が無くなってしまいます。もちろん、お金を貰っても、殺された女子高生は帰って来ませんが、怒りと悲しみが幾らかでも軽減されたかもしれません。

被害者の身内の者にとっては、理不尽な死を与えた相手とその父親に怒りを感じて然るべきです。
「あの子を返せ」「お前は父親なのだから死ね」と言っても良い、あるいは言っても仕方ないのは、被害者の身内だけだろうと思います。

また、父親が死んだことで、犯人の女子高生の心を受け止められる可能性のあった人が居なくなってしまいました。「人を殺したのだから、それくらいは当然」とは、とても思えない。
自分のしたことが理解できるようになり、反省できるまで回復して、せめて遺族に謝罪してほしいところです。

テレビのニュースを見て、ネットを検索した程度なのに、己の義憤から人を断罪し、裁判にも参加させない多数の人が居ます。
「お前なんか死んでお詫びをしろ」と言ったり書いたりした人は、自分自身が今の膠着状況を作り出す張本人か、もしくは片棒を担いだ人間だ、という自覚はあるのでしょうか。
リンチでは何ひとつ解決せず、真実に近づくことも出来なくなるのです。

文明社会には司法制度があるのです。
裁判で事件に至る経緯や状況が詳細に明らかになるには何年もかかります。
この事件について、ネットで叫んだり、当事者でない人の個人情報までさらけ出させたりしていた人たちには、「お前も人殺しの1人だぞ」「お前のせいで、何もわからなくなったのだよ」と言いたいです。

(なお、ここは所感を記した日記を開いてあるだけで、意見の交流は求めていません。賛否両論とも、書き込みは公開承認しませんので、念のため。)