日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

「初冬の不審事」の翌日

「車や家のドアが開かない」事態が起き、朝、そのことを書き込んだのです。
週末には予定がありますので、「もし、何か故障があり、修理が必要なら早く出そう」と、車屋に持って行くことにしました。
車の所に行き、念のため、ロックを解除すると、難なく開きました。

ドアが凍りつくほど寒かったわけでもなく、オートドアはまったく問題ありません。
少し時間が経つと、元に戻っているというのも解せません。
合理的な理由が考えつきませんね。

外出する際に、家人にこのことを話しましたが、「ドアが開かない」現象が起きるのは、私にだけです。
外出時に、開かなくなったことが複数回あり、これに立ち会った人が数人いますので、私の思考がおかしくなったわけではないようです(証人がいる、という意味です)。
一体どういうことなのでしょうか。

もし、何かのメッセージがあるとすると、考えられるのは2通りです。

● 死期が近づいている
このところ、PCで文書を打っていて、字句が勝手に「故+私の名字」で変換される、ということが頻発しています。
● 何か私にやらせたいことがある
ドアが開かなくなった直前に、メールが3通届きましたが、「あれはいつやりますか?」という照会でした。まったく別の人3人が同じことを同じ時間帯に問い合わせています。
(具体的な内容については、ここには書けませんが、創作活動に関することです。)

ま、どちらのケースでも良いように準備をするつもりです。

第六感・霊感のほとんどは妄想で、自分自身についても例外ではないと思います。
「あの世」にかこつけて考えると、様々な選択や判断が楽になる部分がありますので、あくまで話半分だと思っていれば楽しめます。
ご飯にかける「ふりかけ」程度の位置づけであれば、何の問題もありません。

しかし、こういうように合理的に説明のつかない事態があると困ってしまいます。
「妄想ではドアはロックされない」という、物理的なルールの方に抵触してしまいます。

この事態で一番困るのは、感触が悪いこと。
ドアが動かなくなった時の手触りは、掛け金が掛かっている感じではなく、裏側で「誰か」が力を込めて押さえつけている感触です。
この力感が、何とも言えず気色悪いです。