さて、理研での検証実験が終わり、結論は(1)STAP細胞は再現出来なかった、(2)小保方さんは依願退職する、との報道がありました。
予想通りの「トカゲのしっぽ切り」になってます。
大組織や行政、研究機関ではありがちですが、「手柄は上司のもの、責任は担当者のもの」という姿勢が鮮明でした。
まあ、「組織を守る」という建前から行くと、場合によっては理研全体が消滅する可能性があったので、生き延びるためにそうしたということです。
しかし、そもそも検証実験など、「STAP細胞発見」をぶち上げる時にやって置くべきことです。
山中教授のIPS細胞に対抗し、「もっとすごいことをやっている」との印象付けを行うために、理研として内外に向けて情報発信した訳です。
組織としての功名心のなせる業ですよ。よって、問題は研究者の不正などの次元には無く、その組織の存亡に関わる話です。
もし、研究成果が誤りだったと思うなら、頭を下げ、責任を取るのは、代表者である、理研の所長(か理事長)ですよ。
それが、いつの間にか小保方さんの「個人の悪行」みたいなイメージを自ら演出するようになっていました。
まあ、イナカの県庁辺りでは、こういう人はざらにいます。
上司の笹井副センター長が「責任を取って退任」と申し出ているのに、あえて受理せず、「いかにもこの人が責任者」と言わんばかりの対応をし、笹井氏を自殺に追い込んだのも、こういう組織の体質ですよ。
繰り返しになりますが、なぜ誰か上司が「これは今は成功しているとは言えないが、将来的な可能性があり重要な研究だ。とことんやらせます」と言わないのか。
もちろん、「オレが総てケツを拭く」と付け加えることも必要です。
新しい分野で、新しい研究開発をやっているのだから、成否は予測できません。
失敗したって、当たり前のことです。
新しい技術を、一発で成功させられる天才研究者など、この世に存在しません。
「できたから偉い」「できないから死ね」の結果論主義では、新しい知見など生み出しようが無いです。
研究者や芸術家、文人には、今すぐどれだけの完成物を出せるかではなく、「将来生み出しうる可能性」に投資する必要があります。
明治くらいまでは、絵師や彫刻家、小説家に対し「好きなことをやれ」と言って、全面的に生活の面倒を見るようなお金持ちが沢山いました。
損得を考えたのではなく、その相手がいずれ力を発揮して、質の高い作品を生み出したら、「面白いだろう」「世の中を変えるかもしれない」と思ったからです。
1度、「コイツは面白いことを考えている。やらせてみよう」と思ったのなら、きっちりケツを持てばいいのです。
こういう責任逃れは、見ている方が情けないです。
研究はソコソコ出来ても、人事はヘタクソの極致ですね。
この分では、研究者・技術者が社会の中心に立てるような未来など永久に来ませんね。
小保方さん、頑張れ。
むしろこれまでが恵まれ過ぎていた感があり、これから新分野の研究者としては、他の人と同じ境遇に立つことになります。
ここからが勝負どころ。
「面白い」という理由で、拾ってくれる研究機関は必ずあります。
ロシアでも中国でも、どこでも良いです。
そこで、是が非でもSTAP細胞を作って見せることです。
決め台詞も見えてますね。
「STAP細胞は、やっぱりあります!前からそう言ってますけど」
その時の理研の皆さんの顔が見てみたいです。
旗色が悪くなってからの「共同研究者」たちの背の向け方ときたら、本当にお見事でした。
でも、ま、それも世間では普通です。
「こういうことはごく普通に起きること」だと思いなせば、案外平気なものです。