日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(日高・飯能) 71日目の参拝(/100)

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26日月曜は、家人の仕事が休みでしたので、2人で高麗神社の参拝に行きました。
私はこれで71回目で、家人は21回目くらいです。
百日詣を始めてから1年近く経つと思いますが、先はまだ長いです。

1300年祭を直前にして、神社の改修が始まっているようで、もはや本殿の方には入れなくなっています。
手前に仮の祭壇が設けられており、当面はこちらで祈祷が行われるようです。

本殿の入り口のところでまごまごしていると、宮司さんたちが「ここで大丈夫」と教えてくれました。
上がってみると、階段の上に祈祷台がありました。
なるほどです。

この日は「今の体調が1日でも長く続きますように」と祈念しました。
この5年間では、最も体調が良い日が続いており、今の調子なら充分に戦えます。
まあ、普通の人から見ると、依然、「病人」であることは間違いありません。
普通に目覚め、普通に起きて、少し外出できるだけで幸せですよ。

1年前に目がまったく見えなくなった時期がありますが、病院に行くのに、家人に手を引いてもらいました。
その時は「家人の助けが無いと、独りでは何も出来ない」ことを思い知らされました。
徐々に目が治り、1人で歩けるようになったのですが、その時の習慣で、2人で外出する時には、家人に手を引いてもらいます。
(今は見えますので、「引いて」ではなく「繋いで」という表現になると思いますが。)
家人には、ひたすら感謝の気持ちしかありません。
結婚してくれて、そして離婚しないでいてくれて、どうもありがとう。

ところで、つい先日、家人は駅前の総菜屋を訪れたとのこと。
店の前に「パート募集」と貼ってあったので、「私でも働けるか」と尋ねてみたそうです。
店主は家人を一瞥して聞き返しました。
「今は何をやってるの?」
「英会話の講師です」
「なら総菜屋でなく、もっと良い仕事しなよ」
「でも、私は混ぜご飯の作り方を覚えたいのです」
家人が考えていたことは、「その店のお赤飯や混ぜご飯があまりにも美味しいので、自分も習得したい」というものだったらしいです。
要するに、働きたいのは、給料が欲しいのではなく、美味しい料理が作れるようになれれば「面白かろう」という考え方です。
家人は既に英会話の先生に対し教授法を教えていますので、もし報酬を望むのあれば英語学校に行きますね。
人生のものさしが「面白い」かどうか。
この辺はダンナと同じで、やはり似た者夫婦です。

ちなみに、その総菜屋では「いつから働けるの?」と訊かれたので、「夏休みに」と答えたようです。
店主は「じゃあ、その頃来てよ。今必要なのは、すぐに働ける人なんだよ」。
そりゃそうです(苦笑)。

高麗神社の境内には、猫が居ました。
赤ちゃんを産んだのでしょうが、子猫は飼われている家の方にいるのでしょう。
ここに猫がいるのは、参拝客も知っているのか、「またあの猫だ」という声が聞こえました。
今は当家は夫婦とも猫に憶えて貰ったようで、2人の姿を見ると、猫は一心に走り寄って来ました。
手水場で水を飲んだり、ひなたぼっこしたりと、優雅な暮らしを送っているようです。
毛並がつやつやでした。