日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

生と死の間では

この話を自分のこととして読める人はわずかです。

この世とあの世の境目が近くに見えるようになって来ると、それまでの常識が崩壊します。
私の場合、心臓の高度治療を複数回受けているのですが、治癒はしておらず、いつ死んでも不思議ではない状態になってます。
立っていられない状態になることが、1日に1、2度あり、週に1度くらいはそのまま数時間起き上がれないこともあります。
いずれ、そのままあちら側にいくことになる日が来ます。

ひと言で言うと、死期がそれほど遠くない位置に見える。
この状態になって、早い段階で始まるのは、妄想の出現です。
妄想は空想や想像と違い、当事者にとっては現実そのものです。
以前にも書きましたが、知人の数人は死期を前にして死神の妄想を見始め、恐怖心から食器や家具を投げつけたという話です。

私が最もよく見るのが、黒い服の女です。
視野の隅に、黒い服を着た女が立っています。
例えば、道を歩いている時に、30辰らい先の建物の脇に立っている。
車で駅前のバス停の近くを通りかかると、バス停の標識の後ろに立っている。
こんな調子です。
その瞬間は日常の景色と変わりないのですが、建物の近くに寄るとその場にはいません。
あるいは、バス停を通り過ぎると、バックミラーには人が映っていません。
その場の周囲20辰らいの間に人はいないのです。

でもこれは間違いなく妄想です。
たぶん、脳の中の何かが作用して創り出されたもの。
身体機能が低下しているので、それを補完・補てんするために、脳内で何かの物質が生成されているのかもしれません。

私には、いわゆる「お迎え」には白い着物を着た女性が来ると思います。
かなり昔から、繰り返し繰り返し、自分が死ぬ時の状況が出て来ます。
大体はこんな夢です。
修験道場の中で、布団を敷いて女が寝ている。
女が目を醒まし、ゆっくりと体を起こす。
白い着物を着た女で、静かに顔を向ける。
(あ。オレのことを見ている。)
女が立ち上がって、オレのところに来て、手を取って連れて行こうとする。

この流れの夢を何十回も観て、うなされてしまいます。
その女が、最初は布団の位置だったのに、徐々に間近に近寄るところまで進行しました。
概ね、1年に数歩ずつのペースです。
夢の中で私は「その女の手を握ってしまったら、連れて行かれるだろう」という確信を持ってそれを見ています。
このため、逆に、今、視界の隅に入る女が黒服だということで、これが妄想だと思うのです。

この他に、突然、お婆さんや子どもが現れたりしますが、そっちはただの幽霊だろうと見ています。
自分と関わりの無い幽霊なら、別にどうってことはありません。

変な話ですが、誰でもいずれは死ぬので、多かれ少なかれ、こういった体験をすることになるはずです。