日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(日高) 神社猫との会話 (182日目)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

高麗神社の駐車場に降り立つと、私の車を認めたのか、猫がこっちを見ていました。
猫の知能はあまり高くないようで、顔を見てから3日経つと、一瞬、「コイツは誰?」という表情をします。
昨日も来ていたので、まだ記憶に新しかったのだろうと思われます。

ドアを閉めると、猫はこっちに向かって走り出しました。
「おい。危ないから来るな」
制止しても、走り寄ります。

そこで、猫を引き連れて、駐車場の隅に移動しました。
おやつを上げながら、猫を諭します。
「お前ね。ここは車の出入りが多い。あまり前に出て来たら轢かれてしまうだろ」
すると、猫が私の言葉を理解したかのように声を出します。
「ニャア」
まるで「分かったわよ」というような声色です。

ついでに、日頃思っていたことを話します。
この辺はペットを飼っている人と同じで、人間同士のような会話の仕方です。
「大体ね。お前はもうバーさんだから、子どもを作るのは卒業しろよ。人間ならもう中高年だろ。お腹の皮がたるたるじゃないか」
「フニャアニャア」(うるさいわね。私の勝手でしょ。)
「それに、もう少しして盛りがついたら、オレのことを無視して、他所の猫に走りやがる。それじゃ、年増の色気ババアだろ」
「ニャーニャーニャアー」(あー、聞いてない聞いてない。)

まるで意思の疎通が出来ている人の会話の間合いです。
傍で聞いていたら、話をしているみたいだったことでしょう。

帰りしなに「じゃあまたね」と声を掛けると、「ニャア」と返事をしました。
仕事と心得ているのか、今度は鳥居の前から動きませんでした。
それでも、猫のほうも、こちらの声の調子などで、細かい内容は分からなくとも、何か注文をつけられていることは分かっていると思いますね。

最後の画像は、猫が今まさに駆け出してくるところです。