◎夏目漱石シンドローム
夏目漱石は死ぬ数ヶ月くらい前から、「この世のものならぬもの」を見始めた。
このため、度々、誰もいない庭に向かって叫んだ、と聞く。
「誰だ、お前は」
「こっちに来るな」
漱石の目には、どうやら「死神」のようなものが見えていたらしい。
理屈づけは様々で、概ね「生命力が落ちた」ことが原因のようだ。
郷里の実家の周辺でも、そういう話をいくつか聞いた。
ひとりの老人は晩年、粗暴になり、時々、誰も居ないところに向かって怒鳴った。
「この野郎」
手当たり次第に皿や灰皿を投げつけたという話。
私もしばらく前から生命力が落ちているので、それがどういう感じかはよく分かる。
前回入院した時には、2人の男の幻影を見た。
ベッドに横たわっているが、目を覚ましており、考え事をしていた。
すると、突然、カーテンが開き、男たちが顔を出す。
表情から、その者たちがよからぬ素性であることが分かる。
「何だ、お前らは!」
実際に叫んだので、周囲はびっくりしただろう。
「寝言にしてはでかい声だ」と思ったに違いない。
本人にとっては、幻影などという代物ではなく、現実そのものだ。
しばらく経って、「あれは現実ではなかった」と悟るわけだが、その時起きていたことにはリアリティがある。
その時の幻影ほどではないが、今も頻繁に「声」は聞こえる。
壁の向こうで誰かが話している時の「かやかや」という話し声だ。
これが時と場所を選ばず、唐突に起きる。
シャワーをしているときに、「電話のベル」や「チャイム」の空耳が聞こえることがあるが、ああいう感じで「話し声」が聞こえる。
困ったことに、聞こえるだけではなく、そういう時に写真を撮ると、そこに「この世ならぬもの」が写ったりする。
そうなると、いくらか現実と繋がっているところもあるようだ。
そういう時は、「ただの偶然であって欲しい」と思う。
夏目漱石と同じ状況であってくれるな、ということだ。
仮に同じ状況なら、行き着く先は明確だ。
なら、「幻影で止まっていてくれ」と願う。
長い検査が終わり、医師に「次に発症したら、即入院」と伝えられた。
いざ入院すると、今度は相当長く掛かりそうなので、「今、即入院」でなくて良かったと思う。
「ポンコツの中古車でも、無理をせず使っていけば、まだしばらくはそれなりに乗れます。まあ、180キロは出ませんし、出すとアウトでしょうが、40キロくらいまでなら不都合はないです。それと同じ状況ですね」
医師にそう言って、診察室を出た。
病気とも「声」とも、もうしばらくは折り合っていかねば。
画像は検査待ちの時に、病院の裏で撮った叢だ。
この周囲は道路になるらしくて、あちこちが通行止めになっている。
こういう「何も手入れをしない場所」は極力残っていて欲しいのだが、なくなってしまうのかも。
この世ならぬものは写ってはいないので、念のため。