日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(日高) 猫との再会 (240、241日目)

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「もしや猫のトラちゃんに何かが起きたのでは?」
そう思うといてもたってもいられず、金曜、土曜と高麗神社に参拝しました。

8日金曜は平日ですので、境内は比較的静かでした。
それでもまあ、参拝客が途切れることなく訪れます。
七夕の飾り物は、翌日にはすべて撤去されていました。

こうなると、不安感がいっそう募ります。
例えればこんな状況です。
密かに好きな子が2日学校を休んだ。
その子は転校生だが、どうやら親の都合で頻繁に引越しをするらしい。
「もしかして、また引越ししたの?」
じっとしていられず、その子の家の近くまで見に行ってしまう。
そんな小学生の気分ですね。

9日は出かける予定は無かったのですが、買い物に出ると、無意識のうちに神社に向かっていました。
「もし不測の事態が起こっていたとしても、トラはどこかで楽しく生きていると思おう」
十回二十回とそう思っていれば、そのうちに気持ちが落ち着きます。

鳥居の前に着くと、壮年のご夫婦が足を止めて下を見ていました。
「あれは・・・」
少し離れたところから、前の方を覗いてみると、ご夫婦の前に猫がいました。
「ああ良かった。生きていてくれたか」
では、せっかく参拝に来てくれたご夫婦の邪魔をしないように、遠回りで神殿に向かうことにしました。

鳥居に着いたので、茅の輪めぐりを始めます。
こちらは、ご夫婦や猫からは風上にあたります。
すると、すぐに猫が私に気付き、走り寄って来ました。
なるほど、やはり猫は匂いには強いようです。
ご夫婦から猫を取り上げる格好になり、少し恐縮します。

先に神殿でお礼を述べ、その後で手水場に戻り、猫を抱っこしました。
「よく生きていてくれた。どうも有り難う」
この数年の闘病生活を支えてくれたのは、やはりこの猫です。

小一時間ほど猫と親しみ、別れを言って神社を後にしました。
猫は私を見送ると、すぐに姿を消します。
これも不思議なことのひとつです。

こういう日が5百日、1千日と続きますように。
それは、私も猫も「生きている」という意味です。
この数日は30メートル歩くのもやっとの状態だったのに、3日間連続で参拝をして、猫に会ったら、普通に歩けるようになっています。