日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

悪霊が入り込むとき

以下で言う「悪霊」は象徴ですので、念のため。
その人の心の中に生じたものであれ、外的存在であれ、当人にとっては同じ意味です。

悪霊が姿を現したり、物理的に行動を起こすことは、ごくまれで、通常は人の心に働きかけるようです。
抑えきれない「悪心」や「欲望」、そして「自己嫌悪」などです。

「あのヤロー。ぶち殺したる」
「やってまえ」
「生きていても意味がない」
これを繰り返し繰り返し、頭の中に吹き込む。

どんな人でも、頭をかすめることはある思考ですが、普通はすぐに静まります。
ところが、悪霊が取り憑いている時は、これが頭から離れてくれない。
そして、その考えに支配されるようになってしまいます。
その結果、武器で他人を傷つけたり、自殺してしまう。

私の場合も、今は自分の意のままにならない体になってしまったので、頻繁に落ち込みます。
「このまま生きていても、意味のある人生を送れないかもしれない」
「死んでもいいかな」
自殺する必要はなく、一定期間、病院に行かないだけで、死ぬことが出来てしまいます。

運が良いのは、身の回りで異常なことが起きることです。
このブログにも記録を残していますが、この世のものならぬ音が時々、聞こえます。
体力が落ちていることで、妄想を見たり、幻聴を聞いているかもしれませんが、やはり私本人にとっては、そこに悪霊がいるのと同じ意味です。

今日も病院のベッドで横になっている時に、「こんな状態で、生き続けることにどんな意味があるのか」と考えました。
しかし、そこで先日の出来事を思い出しました。
当家では、深夜、玄関の扉を叩く音が聞こえることがあるのですが、この時は初めて「玄関を出入りする」音になっていました。
なるほど。今は私の中に入っているわけです。
それで、やたら「死にたい」「死んでも良い」という考えに襲われるわけですね。
そこに気付くと、呪縛が解け、厭世的な考えは消えます。

「放って置いても、さほど長生きは出来ない。それなら、自ら生きることを放棄する必要はない」

当たり前のことなのですが、今回はあの音のおかげで、我に返ることが出来ています。
助けてくれたのではなく、「良からぬものが傍にいる」と察知出来た、という意味です。
自身の頭の中だけなら、気付かなかったかもしれません。

20歳台の頃、あまりに凶事が連続して起きた一時期があります。
事故や災難が頻繁に襲ってきたのですが、その時も、自分のものではない声が常時聞こえていました。