日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎子どもの頃の霊体験の話

◎子どもの頃の霊体験の話

子どもの頃、私が住んでいたのは霊場として名高い●●山の麓でした。
道の分岐には「●●山に向かう西の入り口」という看板が掛かっていました。
昭和40年代までは、その山で修行をする修験者がまだ沢山いて、山裾の登山口を入ると、すぐ左手に修験道場と宿舎のような建物がありました。
季節を問わず人の行き来があり、夜中でも山道を道着を着た男性が上り下りしています。
家は国道沿いでしたが、修行の一環なのか、深夜の2時3時でも修験者が歩いており、私が寝付けずに窓を開けたりすると、時折そういう人の姿を見かけました。
その地域はちょうど道別れで、昔は宿場に近いような休憩所だったらしいのですが、家は商店でしたので、修験者や托鉢僧が通ると、必ず私の家に寄り、食を求めました。
いつも父はそういう人たちに、ご供物を差し上げていました。
そういうこともあり、お経や祝詞?の類は耳に慣れています。

これはある夜のこと。涼しい季節でしたので、春か秋だと思います。
私が暮らしていたのは2階でした。
夜中の2時ごろになり、眼が覚めました。
寝苦しいので、新しい空気を入れようと窓を開けると、国道の方に人影が見えます。
電柱の明かりの下に人が立っていたのです。
「ああ。またお坊さん(か修験者)が通るのだな」
そう思って、呆然と見ていると、そのお坊さん?が国道から外れ、私の家のほうに足を向けたのです。
時間が時間ですので、何だか薄気味悪くなり、窓を閉めて布団に入りました。
ところが、砂利を踏む足音が近付いて来て、私の部屋の真下のところで立ち止まりました。
足音がそこでピタッと止まったのです。
人の気配はあるのですが、じっとしたままです。
「うわあ。気持ち悪い」
夜中のその時間に、部屋の下にそんなヤツに立たれたら、誰でも気持ち悪いと思うはずで、しかも、私は小6か中1です。

ここから先は直感で、実際に見てはないないはずですが、私はその男がそこで、じっと2階を見上げているのを感じました。
建物ではなく、その中にいる私を見ているのです。
この段階では、その男が「どういう存在か」までは考えず、ただ「気持ち悪いヤツがいる」としか考えられませんでした。
人間だと思っていたのです。

廊下に出て、次の部屋に行けば、そこには父母が眠っています。
そこで、父に報せに行くことにしました。
ベッドを降り、部屋を出ようとするのですが、すっかり腰が抜けており、歩くことが出来ません。
このため、四つん這いになり、這って部屋を出ました。
父の枕許に行き、「誰かが外にいる」と告げると、父はすぐに起きて、階段を駆け下りたのです。
玄関を出ようとして、また戻り、再び玄関の扉を開けました。
(後で聞いたところでは「強盗だと不味いのでバットを取りに戻った」とのことです。)
父はしばらく家の回りを歩いていましたが、程なく戻って来ました。
「誰もいねえぞ。夢でも観たんじゃねえのか」
夢ではありませんね。
その時の私は起きていたのです。

家から国道の方までは見通しが良いので、前後三四十辰らいは見えます。
父が見たところでは、辺り一帯に人の気配はなかったとのことです。
人間であれば、そんなに早くは移動できませんので、あれは生きた人ではなかったと思います。
その時の足音の大きさや、人の気配がもたらした不安な気持ちはあまり思い出したくありません。