日刊早坂ノボル新聞

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「中田宏氏『生活保護でパチンコおかしい』自分の金で遊べ」

ネットで配信された要約記事「中田宏氏『生活保護でパチンコおかしい』自分の金で遊べ」について所感を述べる。 本人が検閲したような記事なので、主旨はそう外れては居ないと思う。

生活保護費でパチンコをするのは、中高年で失業したオヤジだ。
働き口がなく、収入は生活保護費だけ。
これは十万円前後で、住居費、光熱費を除いた残りが食費に回る。
もちろん、余裕など無い。せいぜい数万だろう。

そこで、そのオヤジが考えることはこうだ。
「パチンコにいけば、いくらか増やせる可能性がある」
だから、パチンコに行く。
タネ銭は、要するにメシ代だ。
メシ代をパチンコに使うのは、すなわち「飯を食わずに自分に投資してみる」ということだ。
そうなると、当人にとっては遊興費ではない。残された僅かな「機会」だろう。

世間には「たぶん負けるだろうから、メシ代はやらなくてもよい」という考えの人が多いようだが、それは事実上、「メシを食わずに死ね」という意味だ。

中高年が中途退職して就活に行ってみろ。
どれだけ情けない目に遭うかを体験してから、同じことを言え。
面接では、過去のキャリアについて根掘り葉掘り問われる。こと細かに訊くのは、採用に必要だからではなく、落とすためだ。
何かしら落とす理由はないかという質問だ。
健康な人でもそうなのだから、何がしか病気があれば、面接してすらもらえない。
週に5日か6日、フルタイムで働けないオヤジジイは、どうすればよいのか。

中田氏が貧しいオヤジから取り上げようとしているのは、金ではなく「機会」だ。
「最低限のメシ代を援助する」までは、同じ国民としての善意で、そこから先の「どう遣うか」は本人の自由だろう。
しくじれば、飯を食えないわけだし、ケツは自分が拭くことになる。
生活保護費が無くなれば、あとは餓死するしかない。
それも本人の選択だ。
メシを食わない自由くらい与えてやれ。

抗がん剤は今やひと月300万かかるのに、保険が適用される。
何でそうなったか。
すなわち、皆(あるいは自分)が罹る可能性があるからだ。
年間3千万の税金は惜しくなくて、月十万が惜しいのか。
いずれも命が懸かっているのは同じだ。
中田氏が言うのは、単純な足し算引き算の発想だけで、当事者の視点が欠落している。
ガン患者に「どうせ死ぬんだから、医療費補助はやらなくてもいい」と言うのと大して変わりない。
治療によって、残された時間がどれくらいあるかは未知数だが、「保険で治療しているのだから、こういう風に時間を使え」と指図する人は居ないんだよ。
どう暮らそうが、それこそ本人の自由だろ。
まあ、自分で気が付くだろうけど。

元の話に戻れば、中田氏は「生活保護を受けている」ことを「行政が面倒を見てやっている」と考えているのは疑いない。
そこが根本的に違うと思う。
根底にあるのは、「お互い様」の心なんだよ。

就活の機会が乏しいのに「自分で立て直せ」と言うのは、「死ね」というのに近い。
働く機会を与える工夫をせずに、絞ることだけを考えたら、病気のオヤジジイは強盗をするしか道は無くなる。
「福祉」が「弱者救済のため」にあると勘違いしている人が多いが、全然逆の話だ。
福祉は裕福な者たちが「困窮者に襲われないため」の懐柔策で、実際に福祉政策をリードして来たのは、富裕層だった。

最近、どうもこの手の「近視眼的なものの見方をするヤツが増えて来た。
「元が税金だから」と事細かに政治資金の使途を監察しようとするのも同じ。
大の大人が、他人の金の使い道を細かくチェックする、その時間と費用を考えろ。
親戚の子どもに小遣いをやるのに、「参考書を買うのに遣え」と言って渡すのは良いが、実際にどう遣ったかを明細書にして出させる。
それでは、助けているのではなく、「支配しようとしている」ってことだ。
バカらしい。
「政治資金を税金で賄う」という発想が間違っているんだよ。
そいつを止めれば、使途をチェックする必要が無くなる。

それ以前に、政治家に「清廉さ」を求めたら、全員有罪だろ。
例えばオブチユーコ氏とかはクロ中のクロだ。数千万円の金を隠しておきながら、陣営で誰一人起訴されたヤツはいない。
オブチ氏でこうなのだから、他は推して知るべし。

中田氏には失望した。
街に出て、貧民の暮らしを肌で知るべきだ。
やはり生活問題については、「エリート」は全然駄目だ。
根本を理解していない。