日刊早坂ノボル新聞

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◎アスカ氏の真意

◎アスカ氏の真意

 ブログ文を読むと、「もし次に捕まったら、必ず有罪にされる。なら、警察をはめてやろう」と考えていたように取れる。
「任意なんだから採尿は自宅で」と固執したのはそのためだ。
 アスカ氏は、もし採尿検査をされたら、「実際は反応がなくとも、検出されるのではないか」と疑っていた。すなわち捏造だ。

 そこで、尿ではなくお茶を入れて出した。
 もし、お茶だということが露見しても、覚せい剤は出ないわけだから、「すいません。私は疑われてばかりなので、悪戯をしてみました」と言えば、取り直しになる。
 ところが、お茶なのに、しかも、出ないはずの覚せい剤反応が出たらどうなるか。
 警察が証拠を捏造して、無いものを「反応あり」に変えたという証拠になる。
 これが、最初のアスカ氏の発言の意味だ。

 「出るわけがない。(なぜならお茶だもの)」

 アスカ氏の考えていたことは、徹底して「警察をはめてやろう」ということだ。
 すなわち、警察は「これという人物を見つけたら、証拠を捏造しても有罪に持っていく」というシナリオだ。
 そうなると、今回の不起訴はただの証拠不十分ではなく、大疑獄事件に発展する可能性がある。

 いつも思うが、正式な報道発表を経ていないのに、警察関係者の情報として、「大方の印象を左右するような話」がメディアに出る。
 それも、少し早すぎる段階でだ。
 アスカ氏の場合も、逮捕されたその日のうちに「検査で陽性反応が出た」とテレビで流していた。しかもそれが本検査結果で、「簡易検査はしていない」と言う。
 普通、任意提出なら、その場で簡易検査をして、そこで陽性なら本検査をするわけだが、どうなっているのか。
 この辺の段取りは、最初から「検体を本検査に持っていくように揃えた」とか、「逮捕後に再検査をまったく実施していない」など、不自然な点が多すぎる。
 逮捕後、1日内に再検査をしていれば、本人の尿から陽性反応が出るかどうかは、確実に判明しただろう。
 アスカ氏にとっても、もしシロなら、「その時に調べていれば、そこで完全にシロだと分かった」筈なので、ただの不手際ではすまない。

 アスカ氏の話を要約するとこんな感じ。
 ●入れたのはお茶だから、覚醒剤反応が出ることはない。
 ●科捜研の判定では、検体には覚せい剤が入っていた。
 そうなると、ここで考えられることは、「科捜研に持って行くときに誰か(警察)が覚せい剤を入れた」か、「科捜研ではシロと出たのに警察がクロと発表した。すなわち虚偽」の2通りしかない。

 警察は端からクロだと信じ込んでいた。
 すなわち典型的な「見込み捜査」で、多少強引に持って行っても、「いずれはクロの証拠が出る」と考えた。
 ちょっとガサ入れすれば、器具や薬が必ず見つかる。そう考えていた。
 「だから、途中の手続きを省略しても(あるいは適当に作っても)、どうせ結果は同じ」と見なしていた。この部分は疑いの無い真実だろうと思う。
 さらに警察の思考がパターン化されており、その「手っ取り早い終わらせ方」が「捏造」だった可能性がある。ちょっとした証拠があれば、逮捕・拘留は難なく可能だし、本証拠だって「いずれ必ず出る」と思っていた。、

 もっとも拙いケースはこれ。
 実は逮捕直後にも検査をしていて、それがシロだった。
 見込み捜査が完全な誤りだったので、それを隠すために不起訴にした、というシナリオだ。

 薬物の事件なら、逮捕後、必ず採尿検査を行うし、頭髪の検査でどれくらいの期間使用していたかを測ることが出来る。両方とも必ず行うはずだが、警察はその両方とも「行っていない」としている。
 なぜ「行った」と言えないのか。
 すなわち、尿検査、頭髪検査の双方ともシロだったから。

 そのことは、自宅で尿を採取した後、科捜研に持って行く途中で、「誰かが入れた」ことを実証する証拠になる。
 「封をしたシールをはがせば2度と貼れない」ことが本人の尿である証拠になると言う。だが、それはあくまで警察署の内部でのことで、外では違う。なぜなら、採尿して封をした瓶を開け、別の新しい瓶に中身を移し、再び封をすることが可能だからだ。

 この件は、アスカ氏が巧妙なウソツキか、あるいは警察が悪の塊か、の両極端な事例だ。
 前者は犯罪者としては別に当たり前だが、後者は警察の信頼性を揺るがす大事件となる。
 今回の逮捕は、単純な手続き上のミスではない。