日刊早坂ノボル新聞

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◎稲田氏の根本的な誤り

◎稲田氏の根本的な誤り
 教育勅語の中核的な部分を、現代語に訳したものが下記。
 国会で稲田氏が「正しい部分もある」と言ったのがここだ。
 「国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあい、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。」
 親を敬い、家族が助け合う。等々、ひとつ1つは総て正しい。
 これらは「真・善・美」、すなわち、誰もが正しいと思える普遍の価値を語っているからだ。
 だから、「教育勅語」は正しいのか。
 答は否だ。

 「教育勅語」に象徴される戦前の教育体制は、既に明白な結果が出ている。
 その結果とは、「200万人の軍人と100万人の一般国民が戦死した」ということ。もっと端的に言えば、それで戦争に負けたということだ。
 これが誤りでなくて何なのか。
 すなわち、「親を敬うこと」、「家族が助け合うこと」、「夫婦が和合すること」、「友だちが信じあうこと」等は、総て正しいが、それは「教育勅語」ではあり得ない。

 「真・善・美」を語ろうとする者の共通の特徴はこれ。
 1)「誰にとっても正しいこと」を口にする。
 2)その正しいことを言う「自分は正しい」と信じている。
 3)自分に「反対する者は悪」だとみなす。

 1)は普遍価値なので正。ただし2)3)は虚偽。いつも正しいとは限らない。
 だが、相手が自分に反対した時には、常に1)を思い浮かべるため、頭の中で→2)→3)を繰り返す。
 宗教を例にとれば分かりよい。
 1)人は皆、苦しみから逃れ、安寧を得たい。
 2)自分だけでなく他の人々を救済するために、経典を作る。この経典だけが正しい道だ。
 3)他の宗派は阻害要因だから、排斥すべき。
 同じ目的地に向かうためには、徒歩でも車でも、電車でも行ける。どれか一つが「正しい」方法というわけではない。
 ところが、車に乗っている者が電車を悪だと攻撃し、線路を破壊しようとする。これが宗教の現実だ。
 政治も同じで、意見の違う者をただちに「敵」だと認識する。 

 詐欺師、宗教者、政治家の語り口は、実はまったく同じ。
 必ず最初に「正義」を謳う。
 そして、自分だけが正しいと信じている。

 稲田氏が根本から誤っているのは、歴史を学んでいないことと、歴史から学んでいないことだ。
 要するに、氏は「票が欲しい」「受けを取りたい」だけの右翼、すなわち「ウケウヨ」に過ぎない。 

 現状を改善しようとするなら、ひとつ1つの価値を丁寧に言えばよいし、もしくは「教育勅語に替わる国民教育の指針を考えよう」と言えばよいだけの話で、これは右翼も左翼も関係ない。
 それが「教育勅語で」なら、「また同じことを繰り返したいのか」と言われても仕方ない。