:
石川啄木は、自身の作品の中で「ふるさと」を頻繁に取り上げています。
その啄木にとっての「ふるさと」と言えば、「渋民村」です。
啄木の父は、常光寺の住職として赴任していたことがあります。
ところが、石川一(はじめ:啄木の本名)は、幼少期の大半を盛岡市内で過ごしています。
仁王小学校に通い、そこで金田一京助や野村胡堂らと交友しました。
それなのに、啄木の歌う「ふるさと」は渋民村になっているのです。
この謎は簡単で、おそらく岩手山の眺望だろうと思います。
岩手山は渋民付近から眺めると、すこぶる見栄えの良いフォルムとなります。
この岩手山のかたちが好きだったので、構図として「ふるさと」にふさわしいと考えたのでしょう。
画像は、順番に盛岡市内から眺めた岩手山と、旧玉山区の天峰山から眺めたもの、渋民からのものです。