日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎神社やお寺の効用

◎神社やお寺の効用
 感覚的に、普通の人とはずれていると思いますので、念のため。

 神社やお寺のうち、毎日きちんと境内を綺麗にし、神職僧職が勤行を行っているところは、人の周りにある良からぬものを浄化してくれる機能を果たします。
 神社のご神体は鏡のことが多いわけですが、このご神体の近くから光が出ており、第六感の長けた人であれば、陽光を浴びた時のように感じると思います。

 現世界と幽界は重なっているので、あちら側の住人と共感・共振すると、行動を共にするようになってしまいます。「憑依」とか「乗り移る」という表現は適切ではなく、「同化」に近いもので、「自我の中に取り込んでしまう」と言ったほうが正しいと思います。
 特に修行や訓練をしていない人なら、いくらお経を唱えても解消できません。
 お祓いは時には効き目があることもありますが、あてにはなりません。

 こういう時は、まずは光の近くに行き、それを感じさせると、人から離れてそっちに向かうようです。
 おそらく「窓」のような役割を果たしているのだと思います。
 これは、幽界の住人にも見えるようです。
 元々、人に引き寄せられるのは、その人が出している光を感じ取って、その光に寄って来るわけですから、人の出す光より大きくて明るい光の近くに行けば、そっちに向かいます。

 さて、本題はここから。
 私は例年、160回以上、神社やお寺に行きますが、それも、自身を浄化するためです。
 三十年近く前に、身の回りに異変が起き過ぎるので、霊感師の許を訪れたことがありますが、その先生によると「霊を呼び寄せやすい体質」だということ。
 ま、実際、オーブ写真や心霊写真は、ごく日常的に撮れます。
 画像に映った霊の視線は、常に私に焦点が合っているので、あちら側から「見えている」ことだろうと思います。
 今の私の解釈はその先生とは違いますが、参拝やご供養を重ねることで、心と魂を浄化していることには疑いありません。
  
 しかし、今は忌中なので、神社や菩提寺以外の寺には入れません。
 ひと月は放置したままです。
 その結果、何が起きているかということになりますが、「常時、5、6淡紊蹐肪かに付きまとわれている」という実感があります。
 しばらく前までは一人(柱?)でしたが、今は4人くらいに増えています。
 そういう気配があるのです。

 その中に自殺者の女性がおり、所々で自身の存在を示そうとするのですが、これが近寄っている時には、波長が同じになるのか、「とにかく死にたく」なってしまいます。
 しかし、すぐさま、「目玉が飛び出し、舌を15センチも口から下げた」表情が思い浮かびますので、「これは自分の考えではない」と悟ります。