日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎14回目は別の色

◎14回目は別の色
 ラスベガスの定説に「14回目は黒」がある。
 これは、ルーレットで赤が13回続いたときには、必ず「その次は黒に賭けるべし」という決まりのことだ。
 何故なら、同じ色が続けて13回出たことはあるが、14回目はない。その経験的法則から生まれたきまりだ。
 かつて、ディーラーが手で玉を放ったり、玉を射出するタイミングを決めていた時には、ここぞという時には「00」が出た。「00」は客のいずれかでなく、親(ディーラー)の総取りの目だが、ディーラーは概ね自分の出したい目を出せるから、一番賭け金が多い時に回収出来たのだ。
 今は玉の射出は機械が決め、人が関与出来なくなっているから、概ね偶然性に左右されると見てよい。
 (もちろん、何事にも裏はあるが、そこは置いておく。)
 そうなると、ほぼ確率と運の勝負になる。

 ま、赤が続いていたら、何となく黒に賭けたくなる。
 これは簡単な理屈によっていて、「回数が増えれば、次第に出目が各々1/2に近付いていくだろう」という見込みに基づく。すなわち統計だ。過去の趨勢(傾向)が将来を決定付ける。事態はきっと空中を飛ぶボールのように推移する。そういう考え方だ。

 ところが、過去にどれくらい赤が続けて出ていようが、「その次の回」の出現確率は「常に1/2」だ。
 この場合、14回目が赤で、15回目がさらに赤でも全然不思議ではない。過去は頼りにならないのだ。
 これが確率的思考だ。
 じゃあ、いったいどうすればいいの?

 13回続けて同じ色が出たら、やはりその次の回は別の色の方に大金を賭けると思う。もしそれが外れたら、15回目に倍賭け、外れたらさらに倍賭けだ。
 それしかない。
 あとは財力と根性がどれだけ持つかという勝負になる。
 「過去に出たことが無い」という経験則が背中を押してくれる。
 答は案外簡単だ。

 でも、これが7回目とか8回目だったらどうか。
 確率1/2なら、「そろそろ逆の目が」も「やっぱり同じ目」もあり得る。
 根拠(または信仰)とするには不確か過ぎる。
 非常に迷う。
 ま、勝つチャンス、もしくは負けるチャンスを得るためには、いずれかを選ぶ他は無い。
 勝負事には「見」(様子を見る)すべき時もあるが、決められない者に好機はない。

 若い頃、週末に酒を飲み、徹マンをして、友人の家に泊まった。昼過ぎに帰ろうとしたが、フラフラと後楽園の場外に寄ってしまった。
 財布の中には3千円しか残っていない。
 それを9Rに賭け、当てたので、10Rに賭け、そのアガリを全部11Rに入れて(いわゆるコロガシ)、12Rが終わった時には35万くらいになっていた。要するに4回連続的中だ。
 その時に考えたのはこう。
 「何てこった。俺はツイていない。あともう1回賭けられれば、俺は百万儲けられたのに」 
 性格的に、次のレースにも「全額投入」しただろうから、おそらくスッテンテンになっていたのは確実だ。
 でも、そう言うときには頭も冴えていて、確信がある。
 要するに、自分なりの「14回目」だったのだろうと思う。
 もちろん、ただの妄想で信仰に近い。

 ちなみに、バクチが麻薬なのは「負けるところ」から来ているらしい。勝負に出て、負ける時に、脳内に快感物質が発生するらしい。沢山当てても快感は少ないが、ぎりぎりのところを切り抜けたり、負けた時は快感が生まれるとのこと。
 私が競馬で散々負けるのも、その快感を味わうためだったりして。これが自前オチ。

 先週のロト7では、「7+サービス数字2」の出目で見ると、「15」が6回連続で出て、「28」が6回中5回出た。過去150回で同じ目が連続で出たのは5回まで。
 そのことが分かっていたので、その2つを外したのだが、他に4個的中していた。
 「ありゃりゃ。出やすい目の筆頭が26と15だから、こいつらを入れときゃ6個的中してら」
 出目確率は常に同じだって、分かっているのにこの始末。

 ま、「統計の専門家が真面目に取り組んだら」というのをテーマに、このところ毎回ロト7を買っているが、5等6等は2本か3本当たる。5口か10口買って的中が2本なので、確率的には「アリエネー」当選割合になっている。これもそろそろリポートにする予定になっている。
 ちなみに、今はつまらない小説を書いていますが、本業は社会統計学でした。