◎隣の患者
病院の隣のベッドは女性(30台)で、その患者は「たぶん、日本人の殆どが1度も聞いたことのない病気」に罹ったことが発端でそこに来た。
おそらくそれは感染症の一種で、病原体は駆除したが、抗生物質を飲み続けなくてはならない。
高熱が続き、常時37度6分なので、やはり他の臓器もやられて来る。熱で損傷を受けるわけだ。
そのせいで腎臓や心臓、目にも異常が出ている。
時々、目が見えなくなり、手術を受ける。
見える時でも0.1かそこらだから、階段を転落して、腰の骨を折ったり、と散々だ。
先日、治療の後で食堂に行くと、この女性がテーブルの高さまで頭を落としていた。
「悲しくて泣いているのか」と思い、不調法な俺でもさすがに声を掛けた。
「大丈夫かい」
大丈夫ではないよな。おそらく40までは生きられないもの。
すると、その女性患者が顔を上げた。
よく見ると、女性はスマホを見ていた。視力がほとんど無いので、スマホに眼をくっつけるようにして見ていたのだ。
「俺はまた、悲しくて凹んでいるのかと思ったよ」(笑)
それから、その患者とは挨拶もするし、少しだが世間話もする。
普段は、同じ病棟の患者とは、まったく話をしない。
話をしても、自分同様に病気の苦しさの話になる。自分だけならともかく、2人分になると苦しさも2倍だ。
しかし、その女性患者は、普段から明るくて、看護師たちと冗談を言い合っている。
ま、極限状況に至ると、守るべきものが無くなっているから、もはや笑うしかない。
男女とも同じ病棟なのは、「それどころではない」という意味だ。
病院に長い時間いるので、やはり他人の生き死にを目にしてしまう。検査室は救急センターの隣だから尚更だ。
毎日、急患が運ばれてきて、半分くらいは死んでいく。
待機室には家族が詰め掛けているが、その人たちの表情を見れば、状況が分かる。
とまあ、他人事のような話を書くが、自分だって紙一重だ。今朝は朝食を食べずに病院に行ったら、1時間くらいで血糖値が60を切った。そのままどんどん下がるので、ブドウ糖を2本打った。50を切って30くらいまで下がると、脳に障害が起きたり、心筋梗塞になる。
糖尿病だった頃は、さしたるものを食べていないのに血糖値が上がり、対処に苦慮したが、今はまるっきり逆で、エネルギーを時々摂取していないと、たちまち低血糖になる。
重篤な患者は殆ど愚痴をこぼさないが、それもたぶん、患者間、医師と患者間での話だろう。
薬を増やされたり、検査漬けになるのが厭なので、医師には必ず「全然大丈夫ですよ。快調です」と伝える。俺だってそうだ。
それでも、家族には散々、愚痴をこぼしているだろう。
隣の女性患者には「明日のこと」はまるで見えないと思う。
見えないことは心配する必要がない。
「今を楽しく過ごす」が基本だ。
ここで初めて、生き方について考えさせられる。
あれこれと「無くなってしまったもの」を悔やむより、毎日を楽しく過ごすことを考えた方がよい。
楽しいことを探せば必ず見つかる。
幸せになるのは、そんなに難しいことではないのかも知れん。