◎猫にオロオロ(347)
母がこの春に亡くなったのですが、頻繁に昔のことを思い出します。
私の原風景は、生まれ育った「田舎の個人商店」ですので、時々、それと似た風情のところに行きたくなります。
嵐山町のあさひ屋に行くのは、主にそういうノスタルジアからだとは思いますが、30キロ以上離れていますので、もはや「物好き」の範疇に入るのかもしれません。
土曜は通院日でしたが、帰宅すると、じっとして居られなくなり、そのまま嵐山に行くことにしました。
所々、工事により道筋が変わっており、かなり道に迷ったのですが、何とか到着。
店の中に入ると、ホッとします。
野菜の段ボールが積み重なった景色や、冷蔵庫から漏れ出る冷たい空気。手作り惣菜の匂いなど、懐かしいものばかりです。
幾らか晩のおかずの食材を求め、店を後にしました。
そこから高麗神社に参拝するため、越生経由で日高に向かうことにしました。
感覚だけで道順を進むと、やっぱりこの日はイマイチらしく、道に迷います。
行ったり戻ったりしていると、大亀沼に出ました。
ここに来れば、あとはこのままカーナビ無しでも行くことが出来ます。
大亀沼では釣り人数人が棹を振っていました。
ここは農業用のため池の扱いですので、釣りは禁止のはずですねえ。
なぜ禁止になるかと言うと、こういう池や沼では、岸辺を整える際にやや急な角度で堤防が作られることが多いからです。水量を増やすために、底を深く掘るので、自然とそうなります。
こうなると、ひと度水に落ちてしまうと、岸を這い上がることが難しくなります。
あとは溺れるだけ。
このため必要以上に岸に近付くのを制限しているわけです。
何てことを考えながら、少しく沼を眺めました。
秋の気配を写真に撮ると、数枚後の画像になにやら変な気配が出始めました。
「そう言えば、ここには穴があったな」
鳥居のある小島がありますが、その先の水面近くに「穴」があります。
なるほど。昔の人はそのことを分かっているので、鎮守すべくそこに祠を作ったわけです。
「俺みたいな変わり者は長居無用の場所だろうな」
すごすごとその場を離れます。
高麗神社に行くと、トラが鳥居の前に寝そべっていました。
参拝客は一様に足を止め、トラを撫でて行きます。
やはり、古株のこの猫が主だと見え、他の猫は駐車場の方に固まっていました。
参拝の後で、鳥居から20メートルほど離れた縁石に腰を下ろし、猫を眺めます。
トラの前にいた高齢の夫婦の話が耳に届きました。
「この猫に会うために、この神社に来る人も多いんだよ」
その通りで、たぶん、何百人もがトラに会うためにここに参拝するのです。
ご夫婦が去ると、トラがこっちも向きました。
すぐに走り寄って来ます。
正確には、「走り寄って」ではなく、「よろよろと歩いて」ですねえ。
トラはもはや高齢で、足元が覚束なくなっているのです。
「餌やり禁止」で私などはマークされているようなので、こっそりと叉焼の切れっ端を与えました。
トシでよく噛めないようなので、細かく割いて渡したのですが、程なく猫はしゃっくりを始めました。
「イケネ。もうこういう硬いのはダメなのか」
背中を撫でたり、軽く叩いたり、大わらわ。
「この猫を殺しちまったりしたら、沢山の人に恨まれるよな」
冷や汗を掻きました。
しゃっくりが治まったところで、神社を後にしましたが、大丈夫だったでしょうね。
帰宅した後、妻にそのことを話しました。
「トラは今年の冬は越せないと思うね。もはやヨレヨレだもの」
4、5年前は動きが早かったのに、もはや走れません。
「家で引き取りたいが、ダメだろうね」
すると妻が「ダメだよ」と答えます。
「トラにはご主人がいるんだから、泥棒になってしまうし、他のお客さんが悲しむと思う」
うーむ。
「でも、野良猫だっていう説もあるんだけどね」
冬の間は姿を見せないことも多いので、この説は薄いでしょうか。
画像は、越生大亀沼から高麗神社。
第六感の立った人は、大亀沼に長居をすると、あの世の住人がその人に気付き、パアッと寄って来ると思います。ま、その感覚がある人はそもそも長居することがないとは思います。