◎いったい何時から「がんち」が「げんじ」に化けたのか、の話
何年か前に、テレビを観ていたら、ある史学者が幕末の「元治」という元(年)号のことを「げんじ」と言っていた。
その時、私はコーヒーを飲みかけていたのだが、思わずぶっと噴出した。
「おいおい。専門家が何を言ってるんだよ。元治は『がんち』って読むんだぜ」
学生時代のゼミで、院生の1人が「元治元年」を「げんじがんねん」と読んだら、師匠はすぐにそれを制止し、「※※君。それは『がんち』と読む。人の名と同じだから気をつけたまえ」と言ったっけな。
もはやウン十年前のことになってしまったが。
ところが、その時、たまたま他の番組でも幕末の話が出た。
そこでも「元治」を「げんじ」と呼んでいた。
そこで、辞書を引いてみると、あれあれ、どの辞書でも「げんじ」と書いてある。
広辞苑でも「げんじ」で、「がんち、またはげんじ」という表記ですらない。
それでも、子どもの頃の大河ドラマでは、ちゃんと「がんち元年」と言っていた記憶があるぞ。
確か坂本龍馬が出るヤツだ。「龍馬が行く」だっけか?
また、歴史好きな私は、子どもの頃から古い書籍を開くのが好きだったから、古書の中で「がんち」のルビを幾度も見た。
いったい何時からこんなことになったんだろ。
それが気になり、時々、手隙の時に「元治」の読みを遡っている。
この資料は明治33年に作られたものだ。
ここでも「ぐえんぢ」と書いてある。すなわち「げんじ」。
書籍に残っていれば、それを開いた人は「そう読むのか」と思ってしまうことだろう。
歴史家だってそれは同じ。
なるほど。どこかでミスプリが生じ、それを訂正せずそのままにしていたために、次第に「げんじ」が「がんち」に取り替わったのだろう。
今で言う「なりすまし」なのか。
明治初めの頃の「元号一覧」で、きちんと「がんち」と書いていたものを読んだ記憶があるので、いずれ「がんち」と「げんじ」の境目を発見することができるだろうと思う。
学生さんで、こいつを発見できれば、卒論はおろか修士くらいまでの論文でAを取れる。
研究者は自身の知識が間違っているのを指摘されると、腹を立てずに褒めてくれる。もちろん、まともな研究者だったら、という話だが。
その上で、大学の外に出たら、大威張りで「学者ってバカ揃いなんだよ。元号の読み方すら分からないもの」と吹聴できる。
ま、自分で調べるより、他人に調べさせたほうが楽だ。
人を動かすには、挑発するのが手っ取り早い。
「日本史の研究者は書いてあることを真実だと思い込む。だから、元治が『げんじ』であることを疑う者はいない。馬と鹿の区別がつかないのだ」
これで誰か腹を立てて、きちんと調べてくれないかな。
私には他に山ほどやることがあるわけで。