日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎きちんと見ている

◎きちんと見ている
 所用のため、通院日を替えて貰ったのですが、次の日に病院に行くと、次々に声を掛けられました。
 「来なかったね」
 「どこかに行ってたの?」
 普段は当方が挨拶をしても、ろくに返事も寄こさないような「死に掛け」のジジババなのに、きちんと見ているようです。
 病棟の端にいる患者にまで声を掛けられたので、心底より意外でした。

 大半がむっつりしているのは、やはり病状のせい。
 朦朧としながら歩いています。

 大きな声で挨拶をし、時候の話までするのは当方くらいです。そう思うとまだかなり良いほう(あくまで、「死に掛け」の中でだが)。
 昨年亡くなった、近所のOさんには、挨拶の仕方で学ぶことが多かった。
 「こんにちは」だけだと、もちろん、失格。
 「天気が良くて何よりですね」でも、足りない。
 あとひとつ話を盛って、そこで初めて挨拶になります。
 「洗濯物が乾きやすくて良いですね。うちは家族が多いから大変なんですよ」
 これで最低限度。
 この後に、相手のことに触れる、気遣うを入れて、初めて合格点らしい。
 「こないだ怪我をされたそうですけど、大丈夫ですか?」みたいな。

 だからどうだ、という話ですが、相手がきちんと正面を向くような気がします。
 この辺は、やはり年長の人はよく心得ていますね。
 なんとなく億劫で抵抗を感じるのも、3回5回まで。
 慣れてしまうと、何とも思わなくなります。

 よく「挨拶ひとつ出来ないようでは、何も出来まい」と言いますが、真実だろうと思います。
 自我の壁から一歩外に踏み出せない者は、永久にそのままです。
 人生が透けて見えてしまいます。