◎山家育ち
日頃通っている病院の看護師(アラ50女性)が福島の山奥の出身で、いざ田舎話を始めるとえらく盛り上がります。
元は旧家で、蔵が幾つもあったらしいが、道路の拡張工事の際に家を新築したとのこと。
「蔵が残ってれば良かったのに」
それなら遊びに行きましたね。
やはり囲炉裏が幾つかの部屋にあり、そこで餅みたいなヤツ(田舎料理で名前失念)を食べた、とのこと。
私は子どもの頃、母の実家の囲炉裏で、足置きの板のところで昼寝をしていたのですが、今思えば、中毒にならずに済んで良かったです。
3歳くらいの時は、酒飲みの爺さん(母の祖父)が存命で、その爺さんが一升瓶を抱える隣で、長い間炭火を眺めました。
ご飯も竈炊きで、薪をくべるところからでしたが、薪の煙や炭の焼ける匂いは本当に懐かしい。
当家には使いもしない火鉢や手炙りが十個はあります。
総てノスタルジアによります。
今では囲炉裏みたいなのが「贅沢」になってしまいましたが、人口が減ったおかげで田舎暮らしを望めば、そんなに面倒無くやれるようになって来ました。
岩手に帰る時に、たまに郡山くらいから白石まで一般道を走ることがあります。私の場合、運転するより、休んでいる方が長いので、片道15時間くらい掛かります。
車には寝袋と毛布を積んでおり、いつでも寝られるようにしてますが、途中で温泉宿に泊まることも多いです。
(観光協会に「1人でも泊まれるとこ」と訊くと、すぐに教えてくれます。そういう便宜を図るのが本来の仕事。)
自由業は、この辺、時間だけは都合がつきます。
福島の山間部が他の県とまったく違うのは、「道の駅」や「産直」がまったく無いことです。
(最近、幹線道路には数箇所出来ていますので、「まったく」ではなくなりましたが。)
やはり、事故の影響が今も残っているわけです。
何処に行くにも線量を計測しますが、除染の方はかなり進んでいるようで、気になるところは少なくなりました。
もちろん、無くなるわけではなく、「目に付かないところに寄せているだけ」だということを肝に銘じる必要があります。
私の持ちネタのひとつはこれ。
子どもの頃、母方の祖母が蕎麦打ちと饅頭づくりの名手で、いまだに祖母の味に届くものを食べたことがありません。掛け蕎麦は子ども心にも「サイコーだ」と思いました。
村で葬式が出ると、母の実家の大広間を貸すことがありました。70、80人は入れますので法事が出来たのです。
葬式が終わると宴会があり、その終わり頃に蕎麦が振舞われます。ま、蕎麦を出すのは「そろそろ終わりですよ」というメッセージでもあります。
これが出るのが九時十時でしたが、私はいつも起きて待っていました。
もちろん、蕎麦を食べるためです。
5歳くらいの子供がそう思うのですから、大人も同じで、皆がそれを食べて帰りました。
祖母の蕎麦と葬式饅頭があまりに美味しいので、子どもの私は、常々、こう思っていました。
「ああ。早く葬式が来るといいのになあ」
はい。どんとはれ。