日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎扉を叩く音 (続)

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◎扉を叩く音 (続)
 毎年、「秋から冬の間に、深夜、玄関の扉を叩く音がする」話の続きです。
 十年間はノックだけだったのに、昨年からは、扉を通り、家の中にも入って来ます。

 1月9日午前3時の記録。
 「少し眠ろう」と思い、テレビの前で横になる。
 東日本震災の時以来、居間のテレビの前で眠るのが癖になってしまった。
 小一時間くらい仮眠を取れば、また働ける。そう思ったのだ。

 テレビを消すと、すぐに外で音がした。
 「う、うわううう」
 居間の外壁のすぐ外に人が立っていて、唸り声を上げていたのだ。
 その相手との距離は、壁を隔ててはいるが、3メートルも無い。
 声は地上から1メートル70、80センチの高さだから、猫ではないし、声自体、猫とはまったく違う。
 もちろん、この時間に人が立つ筈が無いし、もしそれが泥棒で、この家を狙おうとしているなら、声は出さない。
 要するに、これはあの世の住人で、壁のこちら側にいる者を見ているのだ。
 そういう確信がある。

 声は「気のせい」で済ませられるような大きさではないし、あの世の住人は壁を通り越して、こっちを見ることが出来る。というより、こちらが発している光を検知しているのだ。
 あちら側からすると、私は煙玉か光り玉のように見えている。

 息子が隣の部屋で眠っているのだが、こういう時には影響があるらしく、夢を観るのか、うなされていた。
 そろそろ、息子にも対処法を教える必要がありそう。

 年末からしばらくの間は、居間の長椅子のところに「母」がいたのだが、たぶんそのせいで、非常に穏やかな日々を過ごせた。
 今、「母」の存在を感じなくなった。母はおそらく郷里のかつての実家の方に戻っていると見える。

 そう言えば、数日前、私は自分の体から「死期臭」が出ていると感じた。あれは肉や魚が腐ったような饐えた匂いに、セージのようなハーブを足したような匂いだ。
 思わず、家人にこう漏らした。
 「俺から、『程なく死ぬ人』の匂いが出ている。そういう覚悟はしといてくれ」
 数ヶ月前から来ている「死の予感」にピッタリ合致するので、少しゲンナリしたのだが、今考えると、あれは「死期臭」ではなく、あの世の住人が「寄り付いた」という意味だろう。
 死霊が取り憑くと、「死期臭」と似たような匂いがする。
 もう「松の内」も過ぎたことだし、忌中の者でも神社に参拝できるから、そろそろ再開しようと思う。

 これまでは束の間の休息で、これからはまた、自らの手と頭で対抗措置を講じていく必要がある。
 これは私が死ぬまで続くし、死んだ後も続く。
 幽界には、そこに留まり私を待つ霊たちが沢山いる。

 私には、死んだ後、そういう幽霊を「霊界に送る」務めがあると思う。
 昔、私が女で、祈祷師だった時に同じような経験をした記憶がある。
 私の困難は、夢を総て記憶したまま目覚めることと、前世の記憶を留めていることで生じている。
 幾度もそういう経験があるから、今も沢山の霊が私を認め、寄り付くのだと思う。

 「ううう」と唸るのは、「自分の存在を認め、助けて欲しい」という意味だろう。
 幽霊には思考能力が無く、会話をすることが出来ない。

 画像は、説明のつかない「煙玉」の一例。
 引くと2枚目で、ここに出たヤツが今回の声の主だと思う。