◎なぜ写真だけに残るのか
煙玉やひとの姿が画像に残ることは、比較的頻繁に起きる。
ただし、多くの場合、肉眼では見えない。
これは何故か。
考えられ得るのは、「光の波長」と「カメラの感度」の関係による効果である。
肉眼で見える波長範囲と、カメラが被写体として捉え得る波長範囲は少しく異なっている。
まず煙玉や人影が写るのは、どのような環境条件下にあるのか。
1)直射日光の下で撮影している
2)フラッシュを使用している
また、3)日光の下で、フラッシュ撮影をすると、煙玉や人影が写る確率が著しく上がるので、要するに「光量」との兼ね合いだろう。
十分な光量がないと、カメラが反応し難いということ。基本的に、一定の光量が得られないと写らない。
また、ほとんどの場合、肉眼では見えていないのであるが、画像だけに見える。
そこには物理的な理由がある。
「フラッシュ光、すなわちストロボスコープには、多くキセノン管が使用される。キセノン管の発する光の特長は、日光に極めて近いことだ。閃光時間の短いストロボのセットでは、可視光域(380~800)において強く、同じストロボのセットにおいて放電管入力を増大させると、赤外域(800 ナノメートル~1ミリメートル)に比較して可視光域がさらに伸びる。カメラの感度のピークが赤外線域にあると、可視光域の光量増加分ほどの鮮明さが得られない場合がある。」
ヒントはここにあり、カメラによっては赤外線域に感度ピークがある、すなわち逆さまに言えば、「赤外線に反応する」カメラがあるということ。これは通常、人間の目には見えない。
赤外線域により強い感度を持つカメラを使用して、煙玉や人影が常態として写るのであれば、それらは「実態として、そこに存在している」という意味で、ただ「目視できないだけ」である。
もちろん、これまでのケースを見ると、単に「強く照射すればよい」というものでもないようで、適用範囲を探る必要はある。
「直射日光の下に立ち、ガラスに映った像を撮影する」時には、フラッシュ光が無くとも画像に写ることがある。やはり「適用範囲」もしくは「程度」が存在する、ということである。
現界と幽界とはプラス:マイナスの関係にあり、片側で知覚できるものが、片側では出来ない。
ひとは可視領域の光を見ることが出来るが、赤外線や紫外線を見ることは出来ない。
これは幽界の側からも同じ。波長を歪めるか、感度の幅を変えない限り、互いの存在を確認することは出来ないのだろう。
それでも、明確な糸口は見えた。
物理的に「心霊現象の存在を証明する」ための測定用具は「光の波長」で、この関係を詳細に調べることにより、「あの世」の存在を、物理的に実証出来る。
これまで撮影してきた画像は鮮明さに欠けるが、多くはカメラの感度によるもの。不可視域の感度の高いカメラを使用することで、これは改善される。
繰り返すが、幽界は怖ろしいところでもなんでもなく、ただ「隣にあるが見えない」だけ。この存在はいずれ物理的に証明出来る。
この「早坂仮説」は、今後も継続して実証に務めたいと思う。
追記)
下の画像では、左眼と額の一部しか見えていないのに、十人中九人が「女性の眼」だと認識します。
それは視線を向けている側に心があり、意思を持ってこちらを見ているように感じるから。
しかし、もちろん、この女性が見ているのは私のことで、この写真を見る人ではありません。
日頃、我々が先方を知覚することが出来ないように、向こう側からもこちらが見えないのです。
それと分かるのは、たまたま双方の領域の間に立った場合だけです。
私の周りでは、煙玉が多く発生するようで、これを頼りに先方が目を向ける模様です。