ようやく十ヶ月前くらいの状態に戻ったので、有馬ダムに行った。
ここにはあまり訪れる人がなく、静かに景色を眺めることが出来る。
レストハウスに行くと、金曜なのに開いていた。
中で蕎麦かうどんを食べることにした。
子どもの頃に、うどんを食べた経験がほとんど無いので、無意識に「蕎麦」と言ってしまう。
当時は、いつも祖母の打った手打ち蕎麦を食べていた。
祖母は蕎麦打ちの名手で、蕎麦の打ち加減、煮加減、つゆの仕立てと、総てが絶品だった。
頼んだ後で、すぐに気付く。
イケネ。ここは埼玉西部で、蕎麦はイマイチ。
「しかし、ま、風情を楽しむにはいいか」と気を取り直した。
生蕎麦はすぐに来た。
テラスには70台らしき3人が座っていた。
「温かくて美味しいね」
「うん」
え。本当か。そよ風に当たりながら食べられるから、雰囲気は悪くないけれど、味はどうか。
しかし、すぐに答えが見付かった。
「なるほど。うどんを食べているんだな」
ここは「おっきりこみ」の食文化圏だ。
「おっきりこみ」はうどんに似た姿をしているが、「ほうとう」などの系列に似たものだと思う。
「讃岐うどん」みたいな麺の親戚ではなく、「すいとん」みたいな小麦料理だ。
なるほど。次からは「うどん」を頼もう。
でも、ウン十年しみついた習性は変えられない。よほど頭に置かないと、「蕎麦」と言ってしまいそうだ。
帰路には、高麗神社に参拝した(394)。
曇りなので不鮮明だが、3枚目に割と分かりよい変異が出た。
前2枚にはないのに、黒い影が立っている。
「黒いひと」なら無味無臭というか人畜無害だから、そういうのではない。
お腹の辺りに窓が開き、「何か」が出ようとしている。
あまり性質が良くないものらしいから、拡大はやめて置く。鮮明には見えないが、ひとの心に黒雲を生じさせる。
あとはほとんど「気のせい」だ。
赤外線が足りず不鮮明なので、視覚的に捉え難い。
ほとんどの人には認識できないので、「気のせい」と同じなのだが、その場にいた当事者は別だ。
早速、先方に見つけられ、家に幾つか連れ帰ってしまった。
まったく。境内には流れがあるのだから、そのまま霊界に行けばいいのに、よほどこの世に未練があると見える。