日刊早坂ノボル新聞

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◎ゴッホの凄み

ゴッホの凄み
 ゴッホの描いた絵は、「いったいどこが良いのか」と疑問に思う。
 自画像の背景の空気感とかは、ネットオークションに自分の絵を出品している「気の触れた人」と変わりない。
 ちなみに、そう言う人は、紙にどろどろと原色の「わけの分からない気持ち悪い絵」を描いて、百万円で出品している。
 すっかり、「イって」しまっているのだ。
 そういう人は何をしでかすかが分からないから、本人には伝わらないように、「危ないよ」という噂だけが伝わる。

 ゴッホは生前はまったく絵が売れずに、娼婦のヒモで食っていた。才能を信じた身内(弟)が支えていたが、それが難しくなると、気が触れて死んだ。
 娼婦にさえ見捨てられていたから、絶望したのだろう。

 この人の絵を褒める人には、思わず「どこがいいの?」と訊いてしまう。
 だって、間違いなく精神を病んだ人の描く絵だぜ。
 もちろん、当方には絵のことは分からない。フェルメールは素晴らしいと思うけれど、他は「フーン」だ。
 あくまでそういうヤツの感想だ。

 それに「ゴッホがどうの」というのは、単に「評判がよいから」ということではないかと思う。
 リサイクルの店頭に置いてあっても、たぶん買わない。
 それを30億、40億で買うのは、単に「名声が欲しい」だけではないのか。
 バカ丸出しだ。
 「皆がスゴイというこれを俺は持っている」
 要するに虚栄心で、ただそれだけのような気がする。
 こういう金持ちに対しては、「オメーが本当にスゴいヤツなら、まだ成功していない絵描きの才能を見出して、ひとつ30万、50万でいいから買って見せろ」と思う。
 毎年20枚も買って貰えれば、画家は安心して絵に専念出来る。

 しかし、もちろん、ゴッホのことは尊敬している。
 自分のやりたいこと、やるべきことを決めたら、あとはそれだけに専念した。普通は大体、生活苦に負けて日和(ひよ)る。
 逆に「売れたかどうか」をものさしに切り替え、売れることで満足するようになる。
 売れる→素晴らしい作品、という思考回路だけになってしまう。

 ゴッホはそういう風にはならずに、自分の世界観を貫いた。そこはスゴい。
 当方はこのトシでもバイトで皿を洗うのは平気だが、娼婦のヒモにはなれんし、「お金が必要だよ。お祖母ちゃん」と電話する詐欺師にもなれん。

 ところで、ゴッホ以上に「どこがいいの?」と思うのは、壁にモノトーンの絵を描いたり、自分の絵を売れた瞬間にシュレッダーで半分切る人だ。名前さえ忘れたが。
 安っぽいデザインなのに、どこがいいわけ?
 思想がどうとか言われているが、そんなの作品には関係ねえんじゃね?

 「半分だけシュレッダーで切る」振る舞いなんか、「あざとさ」満々じゃね?
 あんなのを億で買うバカに会ってみたい。
 ネチネチと「ねえ、どこがいいの?」と小馬鹿にしてみたい。
 でも、あの「少女と風船」みたいなののどこがいいの?
 つまんねくねーか?
 俺はまた「中学生が描いたデザインか」と思ったね。

 ま、絵画を買う金も無い貧乏人の単なるやっかみでござんす。あるいは芸術を理解しない粗雑なヤツということ。