日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎性質の違うものがいる

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◎性質の違うものがいる
 これまでの観察結果はこう。
 死んだ後も自我(自意識)は何がしかの間残存するようで、それが生者には「幽霊」となって見える。
 多くは、「霧」や「暗い海」の中におり、自意識の強さによって、実体化する。
 多くが可視域と不可視域の中間のようなところにいるから、見えたり見えなかったりする。
 もちろん、物理的に存在している(ガスに似ている)。
 自他の区別を容易にする肉体を持たないので、似たもの同士くっついたり離れたりする。
 ここまでは分かって来た。

 残念だが、今のところ、「天国」や「地獄」もなく、死後には「社会」はない模様。自我に囚われた悪霊はいるが、善霊はいない。幽界の先にある霊界には「自我・自意識」は無いので、意思は存在しない。すなわち神(人格神)はいない。

 死後にあるのは「自我がいくらか死後も残存する」ことと、「それがいずれは分解して、さらに小さい単位になる」という2つの事実だけ。
 接着剤のように「感情」や「念」が関与するが、これらは主に自我・自意識の生成と保存に関与する。
 ただし、「霊性」と「念」は相互に関係しているが、同じものではない。
 霊性によって生じる現象と、念によって起きる現象が混同されているので、幽界は恐ろしいもののように捉えられることが多いが、もちろん、誤り。

 この先が今回の部分になる。
 幽界の霊は、生前の自意識を留めたものだが、タイプの違うものがある。
 この画像の左側に見える金色の人影と、右側の顔は、存在そのものが違うように見える。
 なお、神殿の中には人形が置かれているが、それらとは違い、「金色」はガラスに映る(=外)増である。
 左腕を曲げて、何かを指差しているようだが、その先には当方がいる。手足が長くて、顔がほとんど無い。

 ちなみに、かたちがあまりにも硬いので、人形の線も捨てがたい。
 この日、たまたま人形をそこに置いただけなら、本当に有り難い。
 「気のせい」で済む話なら、まさに笑い話なので気が休まる。