日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎謝りに行く(411)

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◎謝りに行く(411)
 土曜日になり、昨日のことを思い出してみると、私は大きな過ちを犯していました。
 「禁則行動」を行っていたのです。
 神殿に入る時に私が考えていたことは、こう。
 「せっかく画像に捉えても、世間の者は目は見えないし耳も聞こえない。瞼を閉じ、耳を塞いでいるからだ。あの世の存在を否定する割には、妙に怖がるから、まともに写ったヤツを見せるわけには行かない。かといって、影響の少ないものを選んで見せると、『はっきりしないから気のせいだ』と言いやがる。それなら、正面から画像に出てくれればスッキリするのに。もういい加減で証明させてくれよ。姿を鮮明に出して見せやがれ」
 この最後の部分が「挑発」になっていたのかもしれません。
 これまで繰り返し、「死者に敬意を払うこと」が大前提だと言って来たのに、本人がそれを破っていたわけです。

 大体、「人首大蛇」なんて、私が『無情の雨』で創造したキャラなんだし、そいつが幽界にいるというのもおかしい。
 蛇が悪役なのは、説話文学の系統の話だけで、あとはほとんどが吉兆です。
 普通の蛇は金運向上だし、白蛇なら全体運が上がるしるしですよ。
 すなわち、あの「人首大蛇」は私に対するメッセージで、こういう場合の多くは警告です。
 あるいは別の意味かもしれませんが、とりあえずメッセージだと受け止める方が良さそう。

 結論はひとつ。
 「ここはすぐに謝りに行くべき」ということです。
 そこで、土曜の通院が終わった後に、早速、神社に向かいました。

 外鳥居を入る時から、「先日は大変失礼をしました。俺が間違っていました」と言葉に出して言います。
 内鳥居でも、もう一度、「先日の無礼をお許しください」と述べます。
 これが受け入れられたら、たぶん、この日は何も出ず、きれいな画像で終わるはずです。

 写真を撮影すると、最初の画像では、右側に「そこにはいない筈の」女性が写っていました。
 このサイズでは30メートル以上後方にいるはずですが、そこは階段の下です。よって、空中。
 ここまでは幾度もあります。

 しかし、困ったことに、次の赤外線画像では、昨日の「人首大蛇」より悪そうな死霊が私の方に手を伸ばし、掴もうとしていました。
 おいおい。こいつは不味い。
 「あの世」に係わることには慣れている私ですが、こんな顔つきの悪いヤツに掴まれるとは、かなり厳しい事態です。
 しかし、よく見ると、私の前にも人影があり、そっちを掴んでいるようにも見えます。
 私の頭も、事実と異なり毛がふさふさしていますので、頭だけ別の人のような気もします。

 「あれが幽霊なら、生きた人間に影響を及ぼすのは、マイナスの考えを吹き込む程度のものだ。だが、何らかの念が篭っているのなら、俺はあとひと月ももたないだろうな」
 誰か(生きている者)が邪念を送っている、とか。

 一連の騒動で言えることは、「いずれにせよ、程なく証明出来る」ということです。
 「ひと月以内に私が死んだ」なら、これまで、私が見て来たものが真実だということです。
 これまでまだ誰もここまで到達した者はいません。

 また、もしひと月を超えて私が生き延びられたら、その時は、もっと見やすいかたちで「幽霊を出して見せられる」ようになると思います。
 現に、今回の画像でも、2,3枚目の女性と7枚目の夫婦の姿は、不鮮明だとは言え、ほとんどの人が「これは人の姿だ」と認識出来ると思います。

 たまたま通り掛かった人の姿ではないことは、「このサイズでガラスに映るためには、神殿に上がる階段よりも先にいる必要があるが、そうなると、『空中に浮いている』必要がある」ということで明らかです。
 私は境内のあらゆる角度から撮影していますので、内外の配置を見ただけで、どの位置にいたかが分かります。

 さて、「あの世」には、まず「幽界」があり、さらに「霊界」があるわけですが、さらに、「霊性」と「念」という化学や物理学的な反応の違いがあります。
 それは、これまで語られて来た「あの世」観とは、まったく違います。

 何かを仕掛けられているケースもあるので、直ちに「返し」に入る準備をしとくべきですね。
 悪意には「百倍返し」で、筋金入りの悪霊を送り込むわけですが、「返し」も「呪い」と同じなので、死んだ後に自分に跳ね返ります。
 よって、「呪い」も「返し」もあまり使わぬ方が無難です。
 ま、程なく状況は判明すると思います。