日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎因果応報

◎因果応報
 体調が思わしくなく、この夏の帰省は息子一人で行かせることになった。
 今日、深夜バスで郷里に向かったが、道中で気をつけることや心構え、親戚への向き合い方などを少し話した。
 こういう時でもなければ、親子で真面目な話をすることはないから、数少ない交流機会になる。

 普段の生活や人生の中で、ポジティブに進むか、リスク回避に務めるか。これはその人の性格や経験によるから、どちらがよいというわけではない。
 若い頃なら、失敗を恐れず、前に突き進んだほうが、良い結果に結び付く。かたや、最悪のシナリオを想定して、そうならないように手を打って行く考え方もある。大人になったら、基本はこちらだが、もちろん、勝負に出る時も来る。
 そこで、判断の精度を高めるために、「時間・空間とも、少し先まで見られるように気を配る」必要がある。
 父親の話の本題はこれだった。
 どうしても説教風になってしまうが、そこは親だもの、当たり前だ。

 自分が親の立場になり、初めて親たちの気持ちが理解出来るようになった。
 父は父なりに、母は母なりに子どもたちのことを気に掛けてくれていたのだが、自分が子の立場だった頃は、まったく気付かなかった。
 「コイツのことをどうやって一人前にしようか」
 父母がそうしたのと同じように、今は自分の子どもに心を砕く。

 父はぶっきら棒で「説明をしない人」だったが、父なりに考えていることもあったようだ。
 母はどんな時でも、息子を一番に考えていた。
 親たちに返せたものは何ひとつ無いが、その代わり、子どもたちには何がしかの「生きる指針」を与えられれば良いと思う。
 ま、家人の言う通り、「因果応報」で、「バスに乗っても、ぼおっとしていないで周囲に気を配れ」 
「事故が起きた時に生死を分けるのは集中力だ」などと、あれこれ心配させられてしまう。

 それ以前に、もし息子に怪我をさせたら、当方は家人にどれほど責められることか(苦笑)。
 やはり母親は、娘のことはそっちのけで、息子を溺愛している。
 駅に息子を見送りがてら、「終電に乗って帰宅途中で居眠りをし、駅を6つ7つ通り過ぎた時」の話をした。
 「朝までには帰れるだろうと、線路脇の道を歩いていたら、お祖母ちゃんが車で迎えに来たんだよ。連絡もしていないのに、息子が乗り越したことを悟ったらしい」
 げに母親の愛情は凄まじい。
 そこまで母親は息子のことを案じているのだから、「確り周囲を見るんだぞ。さもないと俺がカーサンに殺される」と伝えたが、息子は果たして理解しているのかどうか。
 ま、無理ざんすね。俺がそうだったもの。
 これも因果応報。

 ちなみに、当方の処世術は「最悪のシナリオから始める」だ。
 それを想定すると、口から出るのは悲観的な言葉だ。 
 「俺はもう駄目だ」「程なく終わる」
 でも、もちろん、諦めたりはしません。どうにかなるさ。