日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

花畑の向こう側

昨年の秋に叔父が亡くなった。
二度目の心臓のバイパス手術に成功したのだが、あまりに調子が良いので、術後1ヶ月しか経っていなかったのにもかかわらず、桃の収穫に行ったのだと聞く。
収穫した桃をケースに入れ、トラックに積み下ろししたのが、心臓への過剰な負担になった。

叔父は前の手術の時には、心臓をいったん止める方法でバイパス手術を受けたのだが、その時には極めて「あの世に近いところまで行った」と語っていた。
川のそばまで行ったら、向こう岸には花畑が見えた。花畑には誰か知人が立っており、こっちに来るなというしぐさをするので、叔父は戻ってきたとのことだ。
臨死体験をしたことのある人の多くが、川向こうにある花畑のことを語るが、叔父も同じようなことを言っていた。

「今度の手術は心臓を止めずに行ったから、花畑は見えなかった」
術後の見舞いに行った時、叔父はそう語り、体力を回復するためにしっかりと食事をとっていた。
誰もが、これなら大丈夫と思ったことだろう。

私にも臨死体験がある。
その時には、救命措置を施される自分自身の姿を、医師の隣で見ていた。
同時に、暗いトンネルの中を、はるか向こうに見える光に向かって、トボトボ歩いた。
さらに同時に、待合室で救急隊員と父が話しているのを、傍らで聞いた。
3つのことが全く同時に起こっていたのだが、トンネルの先には行けず、たぶんその向こうにあるだろう川や花畑は見ていない。

一度叔父にその話をしたことがあるが、叔父は「なあに、オマエはまだ何も知らない。花畑を見たことがないからな」と笑った。

まだ死ぬ運命ではなかったかもしれない。静かに療養を続けていれば、まだ先があったかも。
しかし、この時叔父は、成熟間近の桃を見逃すことができなかった。1日後では鳥や虫に食い荒らされるかもしれなかったのだ。この辺のやきもき感はよくわかる。
そして「川向こうの花畑」ではないが、叔父はその時自分の意思で桃園の中に進み、その日のうちに亡くなった。
病院に向かう車の中で、叔父は既に川を越えていたように、私には感じられる。
肉体が死を迎えるのはそれから何時間か後になるのだろうが、魂は既にそこから旅立っているはずだ。
もしかすると、収穫に行く行かないにかかわらず、その日が叔父の寿命であったのかも知れないとも思う。

叔父は今、花畑の向こう側にいる。
それがどんな世界なのかを、何とかしてこちら側に教えてはくれないものだろうか。