日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

ボタンの掛け違い

週末金曜には、よく知らぬ者どおし4人が初めて集い、酒を飲んだ。
ほとんどの人にとって、1人は自分の知人だが、他の2人はよく知らないという関係で、別の人が来るというのも、その場に行って初めてわかった次第だ。
私にとって初対面の1人には明確な用件があってその場に来たらしいのだが、もちろんその用件の内容は予め聞いていない。しばらく前に共通の知人から又聞きで聞いたことがあったかな、というくらい。
かつ、聞いてみると、実は私にとってはあまり嬉しい話題ではなかった。
なぜなら、それは過去に事業で失敗し、多額の債務ができた場所に関連する話題だったからだ。十年以上も負債に苦しんだゆかりの地で、なるべくなら思い出したくない場所だ。
このため、どうしても話の姿勢が斜めになる。もちろん、他意はなく、単に嫌な思い出を話したくないというだけなのだが。
あるいはもっとはっきり言えば、その場所のことを恨みに思う気持ちが消えず、そこに住む人たちの顔も想像したくない。あれやこれやと次々金をむしられたので、是非もない。

しかし、どうやらそれがその人にとっては、自身に対し私が「いい加減」な姿勢で臨んでいるように見えたらしく、途中で怒り出してしまった。直接のきっかけはささいなことだが、おそらく話の流れを通じての全体的な態度・物腰が気に入らなかったことと思われる。
こういう「ボタンの掛け違い」は、日常生活ではよくあることだ。
その人が正直な人で、真剣に考えているからこそ衝突の契機が生じる。
私だって、悪気はない。その地の話題が好きではないだけ。
こういう風に、いざ軋轢が生じてしまうと、柔軟に収められないのが、中年世代だ。途中で確かめてみると、その相手も私と同い年だった。
中年世代は、いざ腹が立ってしまうと、矛先を沈めるのに時間が掛かる。

その険悪な状況の中で、何とか鎮静化を図ろうと努力していたのは、その場では一番若く、しかも外国籍の知人。
「1歩2歩下がって対応する」ということを実践するのは、日常生活ではなかなか難しいのに、サラッとこなしていた。5年ぶりにあったその当の夜にこんなことになってしまったのだが、そのおかげで、また1段深い仲間になった。

私の師匠は生前、「自分の方が絶対に正しいと思うときでも、3分は相手の言葉に耳を傾ける姿勢を持て」と言っていた。
柔軟な思考ができず、融通の利かない齢になって、その師匠の言葉が身に染みる。

その相手とは、縁があればまた仲直りする機会があるかもしれないし、これっきり最初で最後ということになるかもしれない。まさに一期一会とはこのことだ。
いまだ後味は悪いが、日々、姿勢を正して学べということだろう。