日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

若者が頭を下げる必要は無い

中国人の誰だったか(政府要人?)が、「最近の日本の若い世代は、過去の戦争責任について、顧みることがない」という主旨の非難めいた発言をしました。
(数日が経過したので、若干、正確さを欠いていますが主旨は間違ってはいないと思います。)
 
感想は、「バカなことを言うなって」です。
戦争が終わってから、既に3世代目に突入しています。
今の若者の親の世代も、祖父母の世代も戦争に直接関わった人間ではない。
つい先ごろの反日暴動で、嬉しそうに石を投げていた中国の若者たちも同じです。
あの時この時と言い続けたところで、既に当事者でもなんでもない。
この状況で、反省を求めるほうも、謝意を示せと言われるほうも、はたして自分の問題としてとらえることができるのか。
自分の人生経験とは無縁の、まさに「歴史」にかかわる「単なる情報」となった、過去の戦争をどうしろと言うのでしょうか。
 
さらに、自国の発展に少なからず寄与してきた日系企業を、笑いながら破壊しているさまを見れば、多くの日本人は「こいつらはけして仲間ではない」と思い知っただろうと思います。
私自身の意見では、顕在的にせよ、潜在的にせよ、先方は「敵になることを望んでいる」と解釈します。
いざ敵とみなせば、今後、一切頭を下げることも、下げるふりをすることも無いです。
(敵なので、理解することも、してもらう必要もないという単純な理由です。)
 
もっとも、今回の反日暴動より数年前から、私は大学などで講義をする際には、「皆さんは戦争責任を感じる必要はない」と教えています。
歴史は歴史として、いい加減に「頁をめくる」時期が来ていると考えるからです。
 
私自身はいわゆるアラ50ですが、私の親たちは終戦時にはほんの子どもでした。
「私の父親や母親に戦争責任はあるか?」と自問したとき、答えは疑いなく「ない」のひと言です。
なら私にも、私らの子どもの世代にだって、存在するわけがないです。
 
暴動に参加する中国人の姿を見ていると、正直「いつまでも被害者面しやがって」と思ってしまうのですが、終戦はもはや70年近く前のことなので、自分を含めそう思う人間が出ても当たり前ではないかと感じます。
「反省しよう」と言うメディア人は多いですが、それと反対の意見も誰かが言うようにしないと、相手方はいつまでも言い続け、今回の破壊を正当化しようとするでしょう。
 
冒頭の中国共産党の要人の言葉は、要するに、「抗日が自らの存在意義だった」ことを示すものです。
自らの存在意義に関わることがらであれば、百年後も2百年後も言い続けます。
日本側で、反省を口にするのは、せいぜい団塊の世代くらいまでの世代で、それ以降は自分の境遇や身の丈に合いません。
若者は「歴史にとらわれず、新しい関係を築こう」と言えば良いのです。