◎病棟日誌 R060720 自分の娘みたい
今週は治療の初めか終わりは必ずエリカちゃんだったが、この日の終りもこの子だった。
長女と同い年のせいか、つい娘に対するように 接してしまう。
エリカちゃん本人には「馴れ馴れしいオヤジ」だと思われているかもしれん。
ま、どう思われるかはどうでもよい。
エリカちゃんはバイク乗りで、片道五百キロくらいは普通にバイクで出掛ける。
バイクはやはり車よりもリスクがある。
ふと思いついて、お稚児さまキーホルダーをあげることにした。
「バイクの鍵に付けとくと良いよ。事故に遭っても死なずに済む」
すると、エリカちゃんが「トダさんが同じものを持ってた」と言う。先日、トダさんに差し上げた後に、治療終りの処置をしたらしい。
「どこで買ったんだろうとおっしゃっていました」
そこで、「これは買ったものではないよ」と答えた。
「一月に温泉に行ったら、そこで座敷童が出たから、その写真を入れてみたんだよ。だから買えないし、俺は効果がありそうな人にしか上げないからかなりのレアものだわ」
エリカちゃんは、背中に老婆を背負っていたことがあり、その場で「厄落とし」のやり方を教えた。
生まれつきなのかは知らぬが、人にはあの世の者と関わりやすい人とそうでない人の二種類いる。エリカちゃんは関わりやすい方だ。
当方はバイクに乗っている時に、右腕を何かに掴まれてハンドルが切れず、正面からガードレールに衝突したことがある。肋骨を折ったが、腕が固定されたまま、スローモーション画面を見るように、ゆっくりと衝突した。
「手を掴まれる」など、一生に一度か二度あるかないかのケースだろうが、その一回であの世に行かぬためには、こういう護符を持っていた方がよい。
事故自体は殆どが人為によるから自分で気を付ければ滅多なことにはならないが、数㌫くらいの確率で、「人為ならぬ要因」が働くことがある。
あとは「必ず自分を守ってくれる」と信じられるかどうかだけ。
お守りや護符の類は信じなければ何の効力もない。
いつも記すが、「信じる」ことと「願う」ことは似ているが心の持ちようが違う。「頼る」になったら、丸で違う。さらに目的が現世利益なら、何をかいわんや、だ。
千円のお守りで幸運が買えると思うのは誤りだが、五百万で壷を買っても、同じことだ。その時点でイカサマ宗教だと気付けよな。他者に頼る者にはなにも来ない。
トシを取ったのか、40歳くらいから下の女性は総て「娘目線」で見るようになっている。困ったもんだ。