日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「誰がどういう風に作ったのか」(出題の解題)

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南部地方の鉄絵銭

◎「誰がどういう風に作ったのか」(出題の解題)

 先日、若者に宿題を出した。

 送付した「両面福神銭(鉄)」と「七福神銭(鉄)」の違いは何かという出題だ。

 しかし、一月は学生が試験機関に入るから、余計に煩わせることになるかと思い、後で少し後悔した。

 さらに、送付した福神銭の画像が手元にあると思い込んでいたが、残していなかった。

 そこで説明の仕方を変える必要が生じたわけだが、画像を多用するのでこのブログに記事として記すことにした。

 

 南部の鉄銭の難しい点は、銭種で鋳所を見込むことが出来るケースが少ないことだ。

 どの銭種であれば、どこの銭座で作られたものと特定出来るのであれば、他座への伝鋳銭や、密鋳銭座での転用もある。

 大きな括りで言うと、山内座が大迫より水戸流鋳銭技術の指導を受けた際に、大迫、栗林の銭種(母銭)が山内座に渡っている(ものもある)。 

 山内座の母銭の製作を見ると、ごく初期と、次鋳に際しては、黄銅の地金を採用している。母銭の仕様が似ており、双方で同じ銭種を作っているのであれば、ほとんど見分けがつかぬことになる。

 そもそも、鉄銭は出来が悪く、面背の意匠すらはっきりしないことが多い。

 ところが、考えようによっては、それこそが鉄銭の最も楽しい面であると言える。

 謎解きが難解であればあるほど、やりがいが生じるわけだ。

 

 これを解明するための糸口は幾つかある。

 冒頭で大迫、栗林から山内(浄法寺)への伝鋳を記したが、双方を隔てるものは鉄の地金の違いだ。概ね高炉鉄を主要な原料とする銭座と、たたら鉄を使用する銭座と分けられる。まずは地金と製作を観察することが第一歩になる。

 まずは型の出自を調べ、次にその製作が実際のものと一致しているかどうか。

 そういう目の付け所になる。

 

 現物(両面福神)が無いので、周辺の鉄絵銭について『南部貨幣史』より銭種ごとの出自をしるし、実際の地金や製作に関する合わせをしてみる。

 03から05までは、大迫や橋野が起源とされているわけだが、実際に高炉鉄を利用している。06は再鋳銭(銑鉄やづく鉄を再熔解して作ったもの)であることから、この品は概ね大迫製とみて差し支えない。

 この場合、「この品は」と言う意味で「この銭種は」とはならないので注意が必要だ。

 07~09は七福神銭だが、七福神銭は難物で、公営・請負、あるいは密鋳銭座に関わらず作られている。

 07、08は何とも言えぬところもあるが、高炉鉄由来である可能性の方が高いと思う。

 さて、09は送付品の七福神だが、これはたたら鉄製で、かつ銭径の小型化も著しいので、「規模の小さな密鋳銭座」で作られたような見すぼらしい品となっている。

 銅絵銭なら、初期の見栄えのする大型銭が好まれるだろうが、鉄銭はそれとは真逆で、「小さく見すぼらしい素朴な銭」の方が少なく、味がある。

 画像には漏れているが、送付した両面福神銭は谷に鋳不足が出来ている。

 これは極限までに銭を薄くしようとしたもので、鉄絵銭の本物は薄い仕立てだ。これが厚く図案がはっきり出ているような品は後出来の可能性がある。

 何故薄くしたのか。

 それは「大量生産の中に交えたので、極力、素材を節約したかった」ということだ。

 

 今回の宿題の答え方はふたつ。どこの銭座のどういう銭種は必要なし。

 ひとつ目は「福神銭は鉱鉄由来の鉄で、七福神は砂鉄」。

 二つ目は「福神銭は大規模な銭座で作ったものだが、七福神銭は小人数が運営する銭座で作られた」。

 まずはそこからで、後は考えなくともよい。考えるのは実際に様々なパターンを目にしてからでよい。

 銅の絵銭と鉄の絵銭の決定的に違う点は、鉄の絵銭は「自分たち用」に作ったもので、販売意図があまりない点だ。銅銭は「お守り」的な扱いで売られた形跡があるが、鉄銭は無い。配られたか、銭座の安全祈願のために作ったのだろう。

 

 ちなみに、小型の鉄七福神としては、09が「かなり良い」部類に入る。

 

追記)両面福神(大黒恵比寿)に山内錢があるのかという疑問が湧くわけだが、大迫には鉱鉄、づく鉄の再鋳銭があり、地金が近いものもある。大迫銭の出来が「揃っていない」印象になるのはそういう理由ではないか。

 大迫、山内の仕立て上の違いは、材料の節約への配慮の仕方という点だ。山内銭は砂鉄には割合無頓着で、厚手の品が残っていたり、逆に軽量化を図るやり方も「母銭全体を薄く削る」という乱暴な手法を使っている。

  

注記)いつも通り、推敲や校正をする余裕は無し。記憶だけで記しており、不首尾はあると思う。 

◎夢の話 第1K13夜 師匠の車を届ける

夢の話 第1K13夜 師匠の車を届ける

 二十三日の午前三時に観た夢です。

 

 講演会場から師匠の教授が出て来たが、顔色がすこぶる悪い。

 疲れていることが傍目で歴然だった。

 その師匠が俺を見て言った。

 「K君。君は運転が出来るよね。ちょっと頼みたいことがあるのだが」

 「はい。何でしょうか」

 「私は今日はもう運転が出来ないから、ドライバーを務めてくれんかね」

 「大丈夫です。お送りします」

 

 駐車場に向かうと、先に師匠と先輩の一人が待っていた。

 車は国産だが大型のセダンだった。

(頭の中で、ほんの少し「あれ。先生にはこういう嗜好は無いし、そもそも車の運転などしない」と思う。)

 とにかく、今は務めを果たさねばならんから、すぐに運転席に乗り込んだ。

 講演会場は羽田の近くだったが、師匠の家は目黒だった。

 俺は行き方を知らぬので、カーナビを見ようとしたが、そのカーナビがついていない。

 (「まだカーナビが一般的ではない時代なのだな」と言う考えが過ぎる。)

 とりあえず、近くに行ったら、先生に教えて貰おう。

 ひとまず出発したが、十分も行かぬうちに車が止まってしまった。

 ボンネットを開けるが、理由がよく分からない。

 時間がかかりそうだ。

 

 そこに、たまたまタクシーが通り掛かったのでそれを停め、師匠にはそっちで帰って貰うことにした。

 「先生、早く帰ってお休みになって下さい。私が調整して車を送り届けます」

 「そうか。よろしく頼む。ではO君も残り、私の家への行き方を教えてやってくれ」

 その場には、俺とO先輩が残された。

 先輩が俺に尋ねる。

 「君は車のことが分かるの?」

 「幾らかなら。実家な商売をやっていたので、業務用の車の調整を幾らかやっていました」

 直せぬようなら修理屋を呼ぶことになる。

 

 だが、程なく原因が分かった。バッテリーとエンジンを繋ぐ回線が外れていたのだ。

 今の時代にこんなトラブルは珍しいが、電源をソケットに差し込めばそれで動く。

 「割合簡単でしたね」

 二人で再び車に乗り込む。

 

 高速に乗り入れたが、俺にはどうにもルートが分からない。

 そもそもあまり来たことのない方面だし、かつ道路がうねうねと折れ曲がっていた。

 「高速なのにこんなのはアリなのか。信じられん」

 ムンクの絵か、テリー・ギリアムの世界観のよう。

 現実とは思えない。

 

 そのまま乗っていると、東池袋出口の傍を通った。

 「ありゃりゃ。方向が全然違うじゃないか。どうなっているんだろ」

 ここは携帯で確かめたいが。

 だが、携帯電話はまだ一般には普及していなかった。

 「まだ昭和だからな。俺が仕事用に携帯を買うのは数年後のことだ」

 

 ここでO先輩が口を開いた。

 「先生は大丈夫だろうか。ま、お宅に着けばわかるけれど」

 そりゃ大丈夫。先生が亡くなるのは平成に入ってからだ。

 O先輩だって、六七年は後の話になる。

 そこまで考え、ようやく俺は気が付いた。

 「不味い不味い。俺の師匠とO先輩が死んだのは、もはや二十五年以上前のことだ。それが揃って現れたとなると」

 簡単な話、「そろそろお呼びが掛かっている」ということだ。

 ま、俺の人生には失敗談なら限りなくある。

 法螺を交え、面白おかしく語れば、先生だって喜んでくれるに違いない。

 何せ、あの世の住人はいつも暗いことばかり考えている。

 

 「でも、あと一二年は待って下さいよ。息子が仕事に就いたら、俺もひと安心だし」

 高速道路がうねうねと波打つ。

 このまま別の道に進み、可能な限り遠回りしてくれると助かる。

 ここで覚醒。

 

 病院で「生き死に」に関わる出来事を目にしたので、それが影響したようだ。

 O先輩は四十歳を過ぎたところで急死したが、さぞ心残りだったろう。

◎今の気分は「▢然自▢」

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◎今の気分は然自

 通院先の病院では、エレベーターに乗ると、時々、モニターに「四文字熟語クイズ」が現れる。

 この日は、治療の直後にエレベーターに乗り、1階のトイレに向かった。

 五時間も横になったままだから、さすがに催して来るわけだが、病棟にはトイレがひとつしかなく、塞がっていることが多い。そこでパジャマのまま一階まで直行し、障害者用トイレに入る。

 そして、この日の問題はこれだった。

 「▢然自▢」 

 即座に「なあんだ。俺のことかよ」と呟く。

 これでは当て嵌まる候補の選択肢はほぼ無きに等しい。

 「俺はさしたる苦労をしたことが無く、ひゃらひゃらと世の中を渡って来たから、今はコロナの直撃を受け、まさに茫然自失だよな」

 

 すると、二階でエレベーターが止まり、三人が入って来た。患者ではなく一般人で、壮年の男(何かの業者)が一人と、他に高齢女性と中年男性の二人連れだ。

 業者が二人に「ではご自宅の方に向かいますので」ドータラコータラ・・・。すると客の男が「住所は分かりますか?」のやり取りだ。

 そこでピンと来た。

 今朝方、この二人の身内の誰かが亡くなったのだ。そこで葬儀屋を呼び、家に遺体を運ぶ段取りをしているわけだ。

 ひとが亡くなるのは、概ね夜半から朝方のことが多い。

 

 だが、家族の様子を見ると、憔悴している感じはない。どことなくホッとしている感がある。

 これも病院ではよく見る。

 「女性の配偶者だとすると、九十くらい。長患いをしており、前々から危ない状態だったから、心の準備が出来ていたということだ」

 病院では、入院患者のうち「生命の危機が差し迫った」患者は概ね二階にいる。そこは救命救急室のすぐ近くだからだ。救命救急室は一階(か二階)で外からの搬入がしやすい環境に置かれる。

 だが、そこには外来患者も来る。私のように半入院生活を送っている者は、ひとの生き死にの場面に時々遭遇する。

 病院では毎日誰かが亡くなっているから、こういうのはすぐ分かる。

 検査室の隣が救命室なので、長椅子で待っている時に家族に助言することも多い。オロオロして、何も考えられぬ家族も沢山いるからだ。

 

 この時、その二人は割と落ち着いていた。

 実際、家族に「生きていて欲しい」のは山々でも、闘病末期になり苦痛に泣き叫ぶ姿を見ると、家族は次第に「どうか苦しまぬように」と願うようになる。

 私のいる病棟では、意識朦朧となった患者が「断末魔の苦しみに泣き叫ぶ」のを終日聞かされることもある。

 多臓器不全症の最後には、全身の痛みが止まなくなる。風が吹いても、その風の当たる箇所がぎりぎりと痛むと思う。痛風の全身版だ。

 つくづく「モルヒネを与えて苦痛を軽減してやればいいのに」と思う。普通の鎮痛剤はもう効かず、医師は延命のための対象療法だけするが、それでは拷問と同じだ。

 最期が近づいているのだから、延命ではなく苦痛を軽減する方が重要だ。

 朝から夕方まで、「苦しい」「もう死にたい」と泣き叫んでいるのに、ただ見ているだけ。

 隣の患者だって、自身の病状を抱えているのに加え、耳元で終日叫ばれては堪らない。  

 

 病棟に戻ると、午後の患者がベッドごと運ばれて来るところだった。

 この患者は顔見知りで、更衣室でよく顔を合わせた男性だが、入院病棟に移っていたらしい。つい数週間前からベッドにいないと思ったが、そういうわけだった。

 顔を見ると、既に死相のようなものが出ている。

 おまけに患者の顔の傍に「女」が頬を摺り寄せているように感じる。今回、はっきりとした目視ではないが、歴然と「気配」「匂い」のようなものがある。

 ま、これはあくまで感覚のようなものだが、反射的に「怖ろしい」と思った。

 つい数週前には普通に歩いていたのに、今は寝たきりで紫色の顔をしている。 

 死ぬこと自体は怖ろしいことではないが、階段から転げ落ちるようにあの世に向かうその急激な変化が怖ろしい。

 

 男性患者の場合、ここから持ち直すケースはない。

 でも、女性の方は、どんなにヤバそうな事態でも、戻って来る人が割合いる。

 顔色がそれこそ土色に変わっていた患者でも、ひと月後に血色が良くなって戻ることもある。

 男と女は、そもそも「つくりが違う」のだと思い知る瞬間だ。

 女性は生命力の根本が違う。

 

 ところで、あの患者の傍にいる「女」の気配は、紛れもなく「お迎え」だと思う。自分へのそれなら、警告を与え、寄せ付けぬようにする手立てはあるのだが、他人のそれへの対処の仕方がよく分からない。悪縁を祓うことは可能だが、老病死は不可避なわけだ。

 死の臭いがすれば、あの世の住人が寄って来る。本当は迎えに来るのではなく、死の臭いに引き寄せられているだけなのだが、ひとまず「お迎え」とした方が通りが良いからその言葉を使う。

 やや重くなったが、これが目の前の現実だ。

 私だって、割と近くまでお迎えが来ている状態には変わりない。がたっとくればほぼひと月だ。

 少し質の良いセージを注文して置こうかと思う。匂いがキツくて溜まらなくなったら、もうあの世の方が近くなっている。

 ま、死ぬことは終わりではなく、その先があることは分かっているから、そちらの対処も打って置く必要がある。

 生きている者を「親族や縁者ごとあの世に引きずり込む」立場にはなるべくならなりたくない。そんな理由からだ。 

◎古貨幣迷宮事件簿 和同開珎の思い出

◎古貨幣迷宮事件簿 和同開珎の思い出

 幾度か記したが、東京都下、山手線沿線の某駅の前に「Oコイン」があった頃の話だ。

 Oコインの店主は、気さくなオバサンで、地の利もあったせいか、いつも古銭が山盛りだった。二十台の頃、一時期、私は後楽園の研究所に勤務していたが、週末には帰路、必ずOコインに寄り、古銭を眺めて数時間を過ごした。

 また、当時は出張が多く、月に数度は全国を訪れていたので、そのついでに古道具店に寄りめぼしい古銭を買って来ては、Oコインに売り渡していた。

 その頃はまだ地方に古道具屋もコイン店もあったので、何かしら買い物売り物があった。バブル直前の頃は、それこそざくざくと買えたし、売れた。

 今とは状況がまるで違い、まさに古き良き時代だ。

 

 その頃、金曜の仕事帰りに店に行くと、オバサンがビニール袋一杯に入った古銭を検分していた。見れば青錆だらけの小汚い銭で「バリ物」だと言う。

 東北の知人のコイン店が閉店することになり、「閉店セール(もしくは在庫処分)を手伝うために買い受けて来た」のだという話だった。

 その「バリ物」は、ほぼ北宋銭主体の出土銭だった。

 「自分ならこんな品など到底見る気がしない」と思っていたが、オバサンは一枚一枚丹念に見ている。

 「こういうのはバカに出来ないんだよね」

 銭同士がくっついた出土銭で、しかも中国銭ばかりだ。コイン店の品だから、当然、散々、「見たカス」で当たり前だ。

 オバサンは、餞別代りに一枚十円見当で引き受けて来たらしい。

 私なら七円でも買わない。実際、古銭会の買い入れに収集家の所有していたバリ出土銭を売りたいという話が来たが(60キロくらい)、さすがに断った。

 業者なら利益が出ればそのまま売るが、収集家の出す品はそれこそ「見たカス」なので、何万枚のゴミ処理に付き合ってはいられない。実際、その当時、出土銭が混じると売れ行きががたんと下がるのでこれを除外し、神社やお寺の隅に撒いていた。

 時々、お寺の境内の但し書きに「古銭を投じないでください」と書かれているが、もしかするとあれは私のせいではないかと思う。既に東日本の神社やお寺に五千枚以上の古銭を撒いた。もし境内の隅で古銭を拾ったなら、その犯人はきっと私だ。 

 

 さて、本題に戻る。

 店頭で別の古銭を見始めたのだが、それから十五分もせぬうちに、オバサンが「あった!」と声を上げた。

 「ほら、和同だよ」

 オバサンが示した品を見ると、紛れもなく和同開珎で、他の品は青錆のクズ銭なのに、その一枚だけ割ときれいだった。

 「状態が悪いのを誰も見ようとしないから、案外残っていたりするもんだよ」

 ひと袋二千枚のクズ銭を検分し、和同を拾えるなら申し分ない。

 見た目の印象で、人も古銭もバカにしてはならんのだと、この時思い知った。

 

 まだ話の先がある。

 バリ銭の袋はもう一つあったが、Oコインのオバサンはその日の夕方のうちに、もう一枚の和同を選り出した。

 わずか二時間も経たぬ間に二枚の和同を拾ったわけだ。

 「餞別代り」の善行で、オバサンにツキが回って来ていたのか、そちらも出土銭とは思えぬくらいスッキリした状態だった。当たり前だがショーケースのガラスの上に、その和同はきちんと立てられた。

 

 正直驚いたので、私はオバサンに「おみそれしました」と頭を下げた。

 何事も基本が大事で、収集の道ならば、雑銭を丹念に見る姿勢を忘れてはならないと痛感した。スポーツでも基礎練習を怠れば、すぐに壁に当たり、以後、上達などしない。

 

 しかし、その一方で、バリの和同を見た瞬間、何か「憑き物が落ちた」感覚を覚え、その当時、五枚くらい所有していた自身の和同を全部売り払った。

 所詮はコイン業者から「金で買った」品だ。あのバリ出土銭を検分することで得られる知見には及ぶべくもない。

 持ち金を自慢するために等しいコレクションなど、何の価値も意味もない。(もちろん、あくまで自分自身についてのことであって他意は無い。ひとの考えはそれぞれだ。)

 

 さて、オバサン夫婦が長野に帰ることになり、Oコインが閉店してからニ十五年以上は経った。

 その後、連絡が途絶えたが、長野は骨董の出る土地だから、きっとその後もオバサンは楽しんでいたに違いない。

 

 昭和の末から平成の一時期には、地方の古道具店を訪れると、どこも古銭が山積みだった。活気があるから、今よりも値がだいぶ高かった。

 今はコロナの影響もあり、盛んに逆回転中だ。

 もはやあの時代には戻ることはないと思う。

◎古貨幣迷宮事件簿 「がらくたの中に福がある」

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ブック入り雑銭60枚セットのうち半分

◎古貨幣迷宮事件簿 「がらくたの中に福がある」

 部屋の整理くらいしかやれることが無いので、少しずつ片付けている。

 すると、このブックが出て来た。

 一時、毎月のように様々な地方に出掛けては、ご当地の古泉会に出ていたことがある。出張が多かったので、そのついでということだが、その時にお土産として盆回しに出した品だ。

 半分は画像の品で、もう半分は寛永銭の小役だから、いわゆる「がらくた」だ。

 だが、地方には既にコイン店が消えているし、そうそうウブ銭が出て来るはずもない。下値五千円で出せば、誰かが応札するだろう。

 事実上、「お土産」だ。

 だが、驚いたことに手を挙げる者がいない。誰かが買って、好きなものを分ければ暇潰しになるわけだが、収集家はそういう発想を持たぬことが多いようだ。

 

 もちろん、幾つか「勉強になる品」「ちょっと面白い品」を混ぜ込んである。

 改めて点検してみた。

1)密鋳銭 寛永当四俯永手

 目視では、本座銭(明和や文政)と違いが少ないように見えるのだが、撮影すると色が違う。配合が変わっているからで、輪側や面背の仕上げ処理が異なるから、疑いなく密鋳銭になる。

 ②のゴザスレは地金と仕上げ方法の同じ正字や小字などが存在しており、一系統があるようだ。南部地方なのだが、どこで誰が作ったのかは判然としない。

 ③の「永」「寶」字は小字で、「通」字が俯永のものに近い。小字が変化したようだ。

 

2)改造母

 輪側に強いテ-パー、穿に刀が入っており、鉄銭製造のための改造を施したものだ。

 指で触ると、輪側が直角に立っているので、すぐにそれと分かる。

 鉄銭専用の改造母は、「通用銭には仕上げをしない」ルールに則って、予め、輪と穿の両方をぎりぎりまで削り、抜けを良くする。

 銅銭密造の場合は、穿に金属の棹を通し、輪側を整えるので、穿は仕上げてある一方、輪側は蒲鉾型のままで済む。この部分は通用銭を削る。

 谷を鋳浚ったりと、全体を丁寧に加工してあるケースは、概ね銅銭用のものだ。

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3)絵銭

 題目や念仏、七福神などの意匠は、絵銭としては最もポピュラーな部類だ。

 「沢山あるし、変化が無くつまらない」と思う人が多いのだが、よく見ると、まるで違う。

 仙台は幕末頃の七福神信仰の一大拠点で、鋳銭にも通じていたから、仙台領の七福神錢はもの凄く多い。この辺はさすが仙台藩は大藩だ。

 製造直後には、白い金色で販売された時も白かったと思うが、そういう地金は後に黒く変じる。図案が規格化されており、黒い七福神銭は、仙台銭が中心となる。

 ところが、七福神信仰は全国に及んでいたので、南部領でも仙台銭の写しが作られたり、新規に母銭を彫ったりして作られている。

 この辺の地域性を観察出来れば、さぞ楽しかろうと思うが、さすがに手が回らない。

 規格から少しでもずれると、存在数が激減するから、バリエーションを集めることに困難が生じる。普通サイズに比べ、中型銭の少なさと来たら、本当に困ったものだ。

 

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4)新作絵銭

 新作絵銭としたのは、主に昭和以降の作品になる。

 時々、出来が良い品もあり、絵銭として評価できる品もある。

 盛岡銅山銭や吉田の牛引きは、色付けが上手で、ネットで面背だけ見ればトラブルの種になりうるので、漆で見栄えを悪くしてある。

 この辺は製造法の研究目的で入手した品だ。

 穀代通用は、割と古い出来で昭和戦前の作かも知れぬ。三番手か四番手だろうが、絵銭として味が出て来そう。

 虎銭は中国人収集家がネットに出しているので、状況を調べるために買ってみた。

 「これは偽物だが、引き取ります」と伝え、それ以後、交流が生じたが、そういうルートで、「大陸で日本の古銭を作っている」ことが判明した。

 合金寛永が布石の時期で、次が地金の調達。そして試作段階に入ったのが、地方貨の参考品だろうと思う。これには日本人も協力しており、双方の地で同時に作っているかもしれぬ。グラインダを使っているうちは輪側の観察だけで簡単に判別できたが、いずれそのことに気付けば、それと分かりにくい品が出来るだろうと思う。

 ターゲットのひとつが皇朝銭で、和同などは本銭がロクロを使っているから逆に真似しやすい。青錆をそれらしく付ける技術は昔からある。

 今時、出土銭などどこからも出ていないし、出ればすぐにニュ-スが伝わる。

 中国の収集家は、日本に偽物を持参し、日本で本物を買って帰る。

 この辺をもっと調べるために、別の知人に依頼して、中国に金型と「一枚の銀銭」を注文してみたことがあるが、これはこれまで幾度も記した通りだ。

 実際に作ってみると分かるが、古銭の鑑定にはまずは「地金」で、次が「鋳造方法」になる。その時代には存在しない技術が使われているなら、どんなにもっともらしい品でも後の作品だ。

 

5)出来星の類

 砂から型を抜く際に、何らかの要因で砂笵に傷が出来、製品にその痕が残ったものになる。概ね「偶然の産物」なのだが、中には故意にそう仕向けたような品もある。

 要因としては「錯笵」の類で、星が出来ていればその星は「出来星」になる。

 26は意図的に面背に傷をつけた可能性があるし、30は明らかに故意によるものだ。

 「厄落とし」のような意図があったのだろうか。

 内郭と平行に、かつ郭の幅と同じ長さになっているので、偶然には出来ない性質のものと言える。

 30は将来的に「化ける」可能性がある。

 この調子で60枚五千円。買ってみようと思う人がいなかったのが不思議だ。

 

 30の「二枚目」が出たら、とりあえず五千円の買値を付けようと思っていたが、やはり出て来ない。仮に偶然の産物でも、確率的には天文学的な水準だから当たり前だと思う。

◎夢の話 第1K12夜 家まで歩いて帰る

◎夢の話 第1K12夜 家まで歩いて帰る

 二十一日の午前二時に観た夢です。

 

 結局、歩いて帰ることになった。

 若者に馬券勝負の「呼吸」を教えるために、場外馬券場に連れて行ったのだが、メインで大勝負をし、それに負けてスッテンテンになったのだ。

 若い頃、こういう時には、自分に対するペナルティとして、家まで歩いて帰っていた。

 負けたヤツは謗られ、情けない思いをするのが当然だし、それでよい。「しくじったら罰」を徹底すると、勝負に対する厳しさが増すし、心の甘さが次第に消えていく。

 「負ける」時の引き際や、逆に「行くべき時」の行き方を教えられれば、それでよいから、今回、こここというところで勝てなかったのは、この若者にとって勉強になる。

 

 「でも、後楽園から練馬までなら十数キロだから大したことは無いが、府中から所沢くらいになると、距離がかなりあるぞ」

 こっちは確か二十キロはあった。

 ま、ともかく歩き始めた。

 我が身を振り返ると、まだ三十歳くらいのようだから、別に何ともない。

 隣の若者は二十歳過ぎのようだが、誰だったっけな。

 何となく「息子じゃないか」という思いが頭のどこかにある。

 「俺が三十なのに二十歳過ぎの息子が居るわけないだろ」

 若者は大人しいヤツで、あまり話さぬが、俺もおしゃべりな方ではないから助かる。

 

 俺は歩きながら、さっきの勝負を語った。

 「元手はたったの三千円だ。8レースからコロガシて、きれいに3つ転がって三十万になった。そこでどうするかだ」

 まともな人間が馬券勝負をする時、タネ銭はせいぜい三四百枚からだ。働いて得た金ならその辺が限度で、そこを無理に突っ込むといずれはそれが祟りしくじる。

 大勝負を打てるポイントは、「上手く転がった時」で、その時は一点に五万、十万、二十万と打てる。

 そもそも元が数百枚だし、それを思えば平気だろ。その四回目にまた転がると、概ねアガリが二百三百になる。

 引き時もその辺で、一定のラインを決め、そこを超えたら利食いに入る。あるいは引き潮の潮目をよく見て、退くべき時はささっと退く。

 「俺は勝負だと思い、全額突っ込んだが、勝負事は勝ったり負けたりだから」

 で、大勝負を打ったところでよくしくじる。

 当たれば一千万からニ千万になる三点に十万ずつ打ったが、この時も買い目は穴路線だった。

 負けてゼロになったが、元は三千円で、五千倍に手がかかるところまで行った。

 「面白かったろ」

 面白いが、最後にしくじったのはイテーな。

 

 十キロくらい歩いたが、さすがに足が痛くなって来た。

 「俺ももうトシだし」と思うが、ここで違和感を覚える。

 え。俺って三十歳くらいじゃねえのか?

 あれあれ。コイツはおかしいぞ。もしかして・・・。

 

 次のバス停にベンチがあったので、俺は息子らしき若者とそこに座った。

 勝負事の場合、「如何に勝ったか」ではなく、「押し引き」と「負けた時の姿勢」の方が大切だ。

 それなら、この経験の方が役に立つ。

 「でも、何だか具合が悪くなって来たな」

 俺は内臓の大半に持病があるし、足の傷がまるで治らない状態だ。

 はは、コイツは夢だ。俺は夢を観ているわけだな。

 せっかく三十歳のつもりだったのに、どうやら体の感覚は現実に近いようだ。

 となると、隣の若者は、やっぱり息子だ。

 

 すると、目の前を一人の女性が通り掛かった。

 女性は俺の顔を見ると、立ち止まった。

 「あら」

 俺の方も少しく驚いた。

 その女性は、昔俺が付き合っていたKちゃんだった。

 夢の良いところは、自分も他人も「こうあって欲しい」姿でいるところだ。

 あれからウン十年経っているのに、Kちゃんは昔のままだった。

 「どうしてこんなところに?」

 さすがに「競馬で負けて」とは言えず、口籠る。

 それ以上に、いよいよ具合が悪くなった。

 「調子が悪いの?救急車を呼びましょうか」

 「いやいや、今に始まったことじゃないから」

 一定のラインを踏み越えれば、必ずこうなるわけで。

 

 Kちゃんは数秒の間、俺のことを見ていたが、すぐに口を開いた。

 「じゃあ、すぐそこが私の家だから、そこで休んで行って」

 Kちゃんは俺の返事を待たず、俺の脇に寄ると左の腕を支えた。

 俺を挟んで、反対側に居る息子に声を掛ける。

 「あなたはそっち側ね。ところでそちらの人はどなた?」

 「あ。息子です」

 俺は二人に支えられ、百㍍先のマンションに入った。

 

 このマンションは観たことがある。俺の夢によく出て来る建物だが、俺の「身体」の象徴だ。

 俺はここで苦笑いを漏らした。

 「夢ではここはしょっちゅう、がらがらと崩れるんだよな」

 現実に病気なのだから、夢にもそれが反映される。

 

 「布団を敷いて横になる?」

 「いや、この長椅子で大丈夫です」

 枕を借り、長椅子に横になった。

 ここで頭の中でつらつらと考えた。

 「この人にも色々な展開があったろうな。もしあの時のまま、一緒に居られれば、今頃はどうなっていたのだろう」

 俺は研究職を続けていたりして。

 そんなことを考えているうちに、俺は眠りに落ちた。

 夢の中で、さらに眠るのだから、冷静に考えるとおかしな話だ。

 

 目を覚ますと、気分が少し持ち直している。

 向かい側の椅子には息子が座り、スマホを見ていた。

 「Kちゃんは?」

 「買い物をしてくるって、外に出掛けた」

 それなら、帰って来るまでここで待たねばならんな。

 具合の悪さが鎮まると、何となく落ち着かない。

 俺は極端な性格だが、Kちゃんはそんな俺とは一緒に居られぬと思って去って行ったのだから、迷惑は掛けられん。

 Kちゃんは居ないが、もう目覚めよう。

 俺はここで高らかに言った。

 「ラミパスラミパス、ルルルルル」

 ここで覚醒。

 

 ひとは生まれ落ちてから死ぬまでの記憶を脳内に完璧に残しているそうだ。

 「忘れる」ことは、その記憶が無くなってしまうのではなく、整理用の押し入れに仕舞い込むだけとのこと。

 死んだ瞬間に夢の整理ボックスの鍵が壊れ、総ての記憶が外に出て来る。

 昔は死後、閻魔大王が現れ、過去の出来事を洗いざらい上げ連ね、糾弾すると言われていたが、閻魔大王は自分自身だ。

 自身に対して嘘は通用しない。

 

 夢の示唆はこう。

 「トシは取ったが、若い頃の想いは、まだ心の奥底に残っていた」ということ。

 自分一人だったら、その先のややこしい展開があったのかもしれんが、傍に息子がいた。

 そもそも、私はKちゃんの「その後」を知らないのだから、「部屋の外に出掛けた」のは、それを補填するためのものだったのだろう。

 息子が一人立ちするまであと一二年だが、そこまでは生きていてやる必要がありそう。

 現実面よりも、困難に耐えるための心構えを伝えて置くべきだとは思う。

 もちろん、馬券のことではないのは言うまでもない。

 

 「ラミパス」はサリーちゃんだな。

 サリーちゃんの友だちの「よしこちゃん」のキャラと声が懐かしい。

◎「お友達の帰還」(628)の補足事項

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◎「お友達の帰還」(628)の補足事項

 今に至る分岐点は昨年の十一月七日だ。この時にぐさっと脇腹に差し込まれており、今も痛みがある。

 この辺から、「お友だち」がさあっと周りから退いて、何も感じなくなった。

 いずれにせよ良い兆候ではないわけだが、その境目が分かるだけまだまし。

 普通は原因がはっきり分からずも「何かがおかしい」と気付けば、闇雲に祈祷師や霊能者のところに行く。

 

 僧侶に一番短い読経を頼んでも五十万はかかるから、本格的なお祓い(浄霊)なら、たぶん百万はかかる。

 説教もせずに読経をしてすぐに帰る坊主どもと違い、祈祷師は命が懸かる場合もあるから、別にこの金額でも高額過ぎるわけではない。盲腸の手術でも総額は百万を超える。

 もちろん、その祈祷師が「本物なら」という場合の話だ。

 

 仮に逆の立場(頼まれる側)なら、報酬が幾らでも「やらない」と思う。これは、幽霊が自分に乗り換えることがあるためだ。

 ま、殆どの祈祷師・霊能者は本物ではないから、触りも無い。効果が無いだけ。

 「壷を売る」ような者は、もちろん、論外だ。

 物で幸運を買うことは出来ない。当たり前だろ。

 ちなみに、障りを取り除く方は、どちらかと言えば、「念域」の活動になる。念力の圧力で、悪縁を遠ざける。これに必要なのは専ら修練であって、霊感ではない。

 失せ物を探し当てたりするのも、念域の力だ。この辺はほとんどの場合、混同されている。 

 

 さて、煙玉の方は、この差し込みに対する私側の反応ではないかと思う。具合が悪くなる時も出るから、そもそもこの状況下での煙玉は「異変が生じたことの影響」ということ。

 

 この二週前に、某所で「蜘蛛の巣が頭にかかった」ような感触を覚えたが、その後、連続して異変が見られた。ただ、アクリル板の画像を見ると、以前、N湖の湖岸でも見たことのある顔だから、もしかすると、前から目を付けられていたのかもしれぬ。

 ただ、不浄の者はどれもこれも同じような表情をしているので、いつの時点の者かははっきりとは分からない。

 

 ま、原因(因果)はどうでもよい。名だたる霊能者たちでも十人が十人とも別の因果を語るものだ。

 過去最高の霊能者が英国にいたが、ある研究者がその男の見たものが現実と一致する割合を調べた。結果は概ね40%くらいだったそうだ。

 これを「半分も当たらぬ」と見るか「半分くらい当たっている」と見るかは、受け取る人の判断だ。

 初対面の人に「この人の母親はこの人が五歳くらいに亡くなっていて・・・」と語る内容の正確さが40%なら、私はそれこそ「とんでもない高水準」だと思う。アリエネー。

 普通の霊感占いは、別の担当者が事前に調べているか、「仕込み(サクラ)」を使う。治験者は必ず霊能者が選んだ者だ。要はトリックと心理学の応用だ。

 そもそも、現実と当たっているか当たらぬかは、幽界・霊界にどれだけ通じているかとは関係ない。

 壁の向こうにボールを投げつけ、それが向こうの道を歩いていた人に当たったからと言って、投げた人が「見えていた」ことの証明にはならない。それと同じ。

 物音や気配の方向に向かって大雑把に投げても、当たることはある。

 ブラジルのある「予言者」は、毎月、「日本のどこかで自身が起きる」と予言しているが、場所が日本ならそのうちいつかは、そんな「地震予知」は当たることになる。

 その当たったところだけを強調し、外れた部分を消してしまえば、ほれ「百発百中の予言者」の出来上がり。インドの少年もこの手法だ。

 

 この世の者は、あの世(幽界)の者を検知する感覚・検知能力をほとんど持たない。

 あの世の者も、生きている者については、感情の「ゆれ」を感じ取れるだけだ。

 互いにそのほんの僅かな気配を、想像で補っているだけ。

 霊能力などそもそも存在しないのだ。

 

 かたや双方がお互いを検知し難いから、安らかに暮らせる面もある。

 常時、「あちこちに死人が立っている」と認識するのなら、人生全体が暗くなってしまう。

 この世に近いところに居る死人(幽霊)は、執着心があるからそこにいるので、どんなにましな幽霊でも、一様に薄気味悪い顔をしている。

 

 私が捕まっていれば、程なく病死するか、事故死するか、自死するかもしれぬ。

 でも、どうということはない。

 そもそも十年以上前から、いつ死んでもおかしくない状況にある。

 いまさら何を怖れることがある?

 ひとつだけあるとすれば、今の状況で死ぬと、私自身がコテコテの悪縁(霊)になる可能性が高いことだ。たぶん、この世に出て来られると思う。

 その時には、誰彼構わず前に立ち、その人の悪行を露わにして破滅させようと思う。

 私の仲間は、ずっと前からアモンやイリスたちだったような気がする。

 そうなるのが怖ろしいので、年間百五十日から二百日も神社やお寺に通い、なるべく心を浄化するよう努めている。