日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎古貨幣迷宮事件簿 「遠野南部の公札」

◎古貨幣迷宮事件簿 「遠野南部の公札」

 左側の札は四五か月前から消息不明だったが、書籍の間に挟まっていた。

 この品には記憶があり、十五年以上前に、古文書の類でオークションに出品されていたのを「佐比内」の標記に惹かれて入手したものだ。

 佐比内にはかつて金山があり、その後、幕末明治初めには高炉が置かれていたからだ。山内出入りの商人のものだったりすると、得難い資料になるかもしれぬ。

 よく見ると、札の上部に茶色く染めた部分が僅かに見えるが、これは盛岡藩の公札にはよく見られるしるしだ。

 ところが、「御金所」とのみ記してあり、具体的な使途や役人の記名などはない。

 (「会所」かと思っていたが、この旧字は「會」だから、その略字ではないようだ。)

 「何だか記載が足りない。一体どこの金所のこと?」

 だが、よく考えてみると、佐比内一帯は、元々、遠野南部氏の領地になる。

 遠野南部は徴税権を持つ、いわば藩内藩(=支藩)の扱いだから、盛岡藩庁の直轄地ではない。藩の公文書を見ても、遠野に関する記述が限られているのはそのためだ。

 制度などは概ね盛岡藩のそれを踏襲したものだろうが、現場の扱いは遠野なりのものがあったのかもしれぬ。実際、出先機関が数か所なら、細々と「何の誰それの担当」などを記載する必要が無かったのかもしれぬ。

 この辺を調べるには、遠野周辺の郷土誌をあたるしか手は無さそうだ。

 

 右側の札の素性は忘れたが、左の遠野南部札に「よく似ている」というので取り置いたようだ。

 盛岡藩の公文書にもなければ、『南部貨幣史』のようなものにも詳細はない。

 「何だか、記載が足りない」という取り留めのない印象が、逆に特徴になっている。

 まだ詳細に調べた人がいないようだから、今のうちは収集が容易だろうと思う。

 この手のを読み解く鍵は、地元の私家文書くらいにしか残っていないのではなかろうか。

 

 丹念に探して行けば、「佐比内鉄鉱山 山内通用札」みたいなものが見つかるかもしれぬ。ま、入札やネットで集めているうちは、新しいものは見つからない。新しい発見は、キーではなく足によってなされる。

 

◎蜘蛛の巣がかかった後に起きること

幽霊は日常的にひとの心に取り憑く

蜘蛛の巣がかかった後に起きること

 昨年の経験以後、「頭に蜘蛛の巣がかかる」感触は、幽霊が取り憑いた時に感じる自覚症状のひとつだということが分かった。

 この感覚は、昨年以前にも度々経験したことがあり、「手で払っても糸らしきものが残ることが無い」のを幾らか不思議に思っていた。

 正体が分かると、少し納得するところがある。

 「蜘蛛の巣」は、たぶん「一例」で、他にもちょっとした体感があるのだろうと思う。

 

 で、この「蜘蛛の巣」の後に何が生じるのか。

 最初に感じるのは、「心と体が重くなる」ことだ。

 元々、持病があり、両方とも重いのだが、それが一層重くなる。このため、「今度の冬は越せないだろうな」みたいなことを考える。

 実際に肺症状が出たり、不整脈が酷くなったりするが、これは「蜘蛛の巣」の直接的影響ではないと思う。起きていることは同じだが、感じやすくなることのようだ。

 

 次は「怒りのような負の感情が膨れ上がること」。

 怒りや悲しみ、恨み辛みが心の中でどんどん大きくなる。

 これは背後から吹き込まれている面がある。

 耳元に顔を寄せ、「ああだよ」「こうだよ」と助長する者がいるのだから、当たり前だ。

 

 こういうことのせいで、どんどん心が暗くなる。

 「このまま生きていても仕方がない」と思うようになる。

 これが「取り憑かれた者」の症状だ。

 

 この状態から脱却するには、別にお祓いや祈祷は要らない。

 内省し、どこからどこまでが自分本来の考えなのかを見極めるだけでよい。一体化、自己同一化が進まないと見ると、幽霊は自ら去って行く。

 このためには、日頃から「自分観察」を丁寧に行っていることが必要で、また自我を強化する習慣を持つことが役に立つ。

 自分なりの信仰を持つことも有効に機能すると思う。

 ここでも、他者の話を鵜呑みのするのではなく、自分本来の頭で考えることが重要だ。

 

 当たり前に思えることを書いているが、実は当たり前ではない。

 ひとの頭の中には、とっくの昔から別の住人が住んでいる。

 

 いつも引き合いに出すこの画像だが、この状態は、誰の身にも起きている。この男性は幽霊に憑依された「特別な人」ではない。誰の身にも同じことが起きており、、日常的についたり離れたりしているということ。

 

 具体的な対処法のひとつは、ちょっとした違和感を覚えたら、とりあえず「枕元にコップ一杯の水を置いて眠る」ことだ。これであっさり良くなったりする。

 幽霊は「負の感情」の塊で、自分たちが恐怖の対象で、忌み嫌われることに慣れている。そこに、もてなされ、慰められると勝手が違うと思うのか、居心地が悪くなるらしい。

 共感はせず、しかし、敵対もしないで、「ひと息ついて行け」と送り出すのがよいようだ。

◎「去年の敵が今年は友?」(646)

夕方なのであまり鮮明には写らないが、私自身はファインダで直接見ている。

◎「去年の敵が今年は友?」(646)

 三日月曜は所用が目白押し。おまけにねん挫した娘を病院に連れて行かねばならず、用事が終わった時には、四時を回っていた。

 帰宅すべく車を運転している時に、ふと思いついた。

 「やはり稲荷さま陣営と手打ちをして、関係を改善した方がよいかもしれん」

 ついでに手を組んで、「嘘」や「欺瞞」を垂れ流すこの世の者に「障り」を送れるようにすれば、幾らかなりとも役に立つ。

 呪詛を使えば自分に跳ね返るし、念を使っても「穴二つ」だ。だが、あの世の者を送り込む分には障りが生じない。

 なら、「昨日の敵は今日の友」式で、稲荷さまに交渉に行こう。

 今年の神無月は十月二十五日からだから、それまでの間なら、地神の監督が周囲に及ぶはずだ。

 「そうだ。そうだ。それで行こう」

 稲荷に向かって進み始めたが、途中で考えを修正した。

 「まずはいつもの神社に行き、関係を取り持って貰うように祈願しよう」

 直接、稲荷さまに行き、「これまでの相克を帳消しに」と申し出たところで、受け付けて貰えるとは限らない。

  そこで、急遽、いつもの神社に進路を変更したが、程なく五時で、五時になると神殿の扉が閉まってしまう。

 道を急ぎ、ようやく閉門前に内鳥居を潜って神殿の前に立った。

 

 ところが、前にいた壮年の男性が、祈願を始めると、そのまま固まって動かなくなった。

 よほど願い事があるのだろうが、そのまま五分、十分と過ぎて行く。

 「ちょっと礼儀知らずだな」

 他に参拝客がある時には、その人たちの邪魔にならぬように振舞うべきだ。

 後ろに待つ人が居れば、せいぜい一分内で済ませ、場所を譲るべきだ。

 後ろの者は、祈願している人と御神体を結ぶラインを遮ってはならないから、前に出ることが出来ない。

 仕方なく 、周囲の様子を眺めて男性が祈願を終えるのを待った。

 ちなみに、込み入った願い事をするなら、他の客がいない時間帯、例えば夜間とかに一人で来て、そこで祈願すべきだ。昼なら午後二時から四時の間だ。

 それと、心の中だけで念じても、神さまの耳には聞こえない。そこは人間と同じで、声に出して唱えなくては、ただの想像や妄想のままだ。

 一般人なら正式な作法は覚えなくてよいから、「どこそれに住む何の誰それがお願いに上がりました」で始めて、願い事を声に出して言うことだ。

 ま、神社は人事の達成や解決、すなわち現世利益をお願いするところではなく、日頃の神の守護に対し感謝を伝えるところだ。

 

 仕方なく外を見ていると、何となく遠くから私を見る視線を感じた。

 「イケネ。ここには通り道があるから、俺のような『もうあっち側の者』が長居をしたら、先方の目に付いてしまう」

 内鳥居の下に戻ると、そこで不味い事態が起きた。

 「頭に蜘蛛の巣がかかったような感触」を覚えたのだ。

 こりゃいかん。この感触は「(幽霊に)乗られた」ということだ。

 時刻を見ると、なんとあのジジイ(「男性」改め)は二十分以上も神殿の前に立っていやがった。

 さすがに頭に来て、前のジジイを大きく迂回して、中腰で奉納箱に近づき、柏手を打った。

 帰路にはすっかり腹を立て、「己のことしか考えぬ奴の祈願など、叶うわけがないさ」と、これは声に出さず頭の中だけで考えた。

 長居は無用だから、さっさと神社を後にした。

 

 駐車場で車に乗ると、やはり私の方に「ついて来ている」という実感がある。

 そこで、「せっかくここまで来たのだから、神殿の先の方に進むと他の者のいるところに入れるよ」と伝えた。穴は神殿の後ろの空中十五㍍くらいのところにある。

 「ま、短い間なら、俺の傍に居ても良いが、俺に手を掛けたり乗ったりはするなよ。離れたところにいることだ」

 もちろん、これは声に出して言ったのだが、窓が開いていたので、近くを歩く人に聞こえていたようだ。通りすがる人がこっちを見ていたので、慌ててスマホを手に持った。電話での会話のふりということ。

 

 念のため、帰路には大手スーパーに立ち寄り、沢山の客の中を通った。

 さらに念には念を押して、床屋に並んで髪を整えて貰った。

 これだけで、多くの場合、幽霊が離れ、ひとの間に消えて行く。

 普通の人は気付かぬし、まったく影響が無いから、問題なし。

 差し障りは、見えたり聞こえたりする者だけに起きる。「あの世」はそれを検知するものの前にだけに姿を現す。

 

 最近は死者に敬意を払わぬばかりか、自身の欲望を満たすために利用しようとする者が多い。そのためには、平気で噓をつき、欺瞞を垂れ流す。

 私が死ねば、そんな者のところにプレゼントを持って訪問しようと思うが、今は別の者に行って貰えば「この世」も「あの世」もウインウインだ。

 自分のスマホが老人・老婆の声で、「嘘つき」「嘘つき」と話し出したら、それはただの始まりだ。

 ま、酷い嘘はつかぬのが一番だ。

 メディアの皆さん。お前たちのことだからね。楽しみに待って居ろ。

 「あの世」が実在することを直に見せてあげる。

◎古貨幣迷宮事件簿 色んな古貨幣の話

金融機関のロール割り青銅貨

◎古貨幣迷宮事件簿 色んな古貨幣の話

その1)ロール割り青銅貨の色変

 冒頭の画像は、時々、これまで話題にして来た「金融機関の金庫の奥にあった和紙ロール」の青銅貨だ。製造者ロールではないが、金融機関ロールで、あまり使われていない。

 もはや二十年から三十年前になるが、何件か地方の金融機関より連絡があり、金庫に仕舞われていた「主に銀貨」の買い取りをした。他には金貨が少々で、青銅貨は数十本だった。いずれも都市部の業者さんにサンプルを持ち込んだ後の話だから、それまでが不首尾だったということ。

 銀貨のサンプルが合意に至ると、「あと千枚以上あります」とのこと。

 おいおい、「それじゃあちょっと話が変わります」と思ったが、どうしたかは忘れた。たぶん、一割くらいは減額して貰ったと思う。

 青銅貨がロール数十本あり、そっちは緑青が出ているのが多かったので、業者さんにも相手にされなかったのだろう。おまけのような安価でとりあえず引き取った。

 その後、リーマンショックの後に、今度はこちらの資金繰りに困るようになり、在庫を見直し、銀貨はほぼ地金で売った。銀価格があまり高くない時なので、欠損がかなり出た。

 その時に青銅貨のロールも開けて見たのだが、幾らかは状態のよいものが混じっていた。そこで、そういうのを拾い、一枚千円くらいで入札や盆回しに出した。

 最初のうちは地金色が良かったので、相応に売れたが、普通品と同じ値段で買っていたので、割合利益が出た。銀貨の欠損を青銅貨が幾らか埋める格好になった。

 その時、黙って出品したのだが、コレクターの常で「あれがない」「これがない」とケチをつける。この「ケチをつける」のが始まると、「興味があり」「買うつもり」だということが丸わかりなので、こちらは黙って見ていた。

 なんだかんだ言いつつ、買って行くのがコレクターだが、きっと帰ったら、「あいつはアホだ。未使用品をこんな値段で出してら」みたいなことを言っていたと思う。

 そんなのは容易に想像がつくわけだが、私の方は正直、「こいつらは筋金入りのアホだ」と思っていた。

 何故なら、誰一人として「これがどこから出たか」を確かめようとしない。目の前のコインを手の上に載せて、それで見て来たようなことを語っている。

 その時の私はロール割の青銅貨を何百枚か持っていたわけで、その中にはもちろん、もっと状態のよい品も混じっている(数は少ない)。

 出品に話題を見付けて、「近代青銅貨の状態評価について」色々と教えてくれた人が一人だけいたのだが、その人には後で、完全未使用級のひとセットを贈呈した。

 収集家は明らかに内省的な人が多く、自己満足の世界に生きている。

 道楽なのでそれでよいのだが、少し俯瞰的に眺めると、色んな目が開けるし、店や入札、古銭界の外の世界に接することが出来る。

 

 脱線したが、既に「足を洗った」ことによる。

 そして、冒頭の画像はその時の「売れ残り」だ。これはすなわち、「他のセットはもっと状態が良かった」と言う意味だ。実際、写真撮影すると、ピカピカの未使用色に写るくらい金味も良かった。

 それがほぼ十五年以上前のことだから、それ以後紙ホルダーに入れたままの状態だった。紙ホルダーには一部ビニールかセロハンを使用しているのだが、これには塩素や硫黄分が含まれる場合がある。その影響で、表面の色があっという間に変化してしまう。

 外見は、今ではごく普通の青銅貨だ。

 

 ところが、デジタルMSで拡大すると、傷がゼロではない一方、細かい意匠が損なわれずに残っていることが分かる。なるほど、ここがロール割りのロール割りたる所以だ。

 和紙ロールは6年、7年、8年と10年だったらしく、この四種。

 青銅貨は柔らかいので、打極の後、箱に落ちる時や袋で運ばれる時に傷がついてしまうのだが、これは流通摩耗とは違う線条痕になるしすり減りがない。

 ちなみに、表の側が下向きだったようで、「一銭」の側の方に傷が見られる。裏はお見事な状態だ。

 いずれレーザー還元装置が一般化すれば、金味の問題が片付く。

雑銭の会 秋季盆回し出品物

その2)秋季盆回しの若干の品評 

 旭日龍銀貨はこの先有望な銭種だ。これまで見て来たとおり、文字種に様々な変化がある。これを系統的に整理するというテーマが見えているので、十分医楽しめ、人気が出ると思う。

 ちなみに、「発値」は「既に一定の買い注文が入っている」と言う意味だ。「銀地金」が高騰を続けているので、地金売り価格より下では落札できない。地金買い取り業者が口を開けて待っている。

 旭日龍は見栄えのする良い銀貨でもあり、また割とコレクションに耐えうる状態なので、これまで残しておいた。

 

 窓口はHP版の古貨幣迷宮事件簿にて。古銭会の「盆回し」は、知識と収集品の交換が目的なので、単に掘り出し物が欲しい人はそこには来ず、ネットオークションに行って下さい。業者的対応を想定するとあてが外れることになる。

 

注記)いつも通り「生きていられる時間が最も大切なので」、記事の類は一発殴り書きで、推敲も校正もしない。不首尾はあると思う。

◎「もうあっち側の人」日記

「もうあっち側の人」日記

 看護師のユキコさんに言われた「もうあっち側の人」が気に入ったので、あちこちでハンドルネームで使うことにした。

 それを実感する出来事があったので、それを記す。

 

 私はとっくの昔に「夏目漱石シンドローム」で、四六時中、「かやかや」と人の声がするし、目視でも光の歪みを見るようになっている。光の進行方向が揺れるのは、そこに眼に見えぬ何かがいるからだ。

 こういうのは幾らか赤外線に反応する相手だから、気温の下がる夜間の方が見え易い。

 何故「暗いところに出る」「夜中に出る」傾向があるのかということについては、合理的な説明がある。もちろん、夏よりも冬の方が認識しやすい。これも実態と合っている。

 「夏目漱石シンドローム」の者が抱える問題は「区別がつき難い」ということだ。

 具体例は昨日の出来事だ。

 

 娘の帰りが遅く、九時くらいに駅まで迎えに行った。

 帰路、車から降りて、家に向かおうとすると、電柱の陰に人が立っている。

 照明のない電柱だから、暗がりの中。ほとんど見えぬが、微妙に景色が揺れるので、「そこにいる」と分かる。

 この時、もはや私は「それが生きている人なのか、幽霊なのかの区別がつかなくなっている」。

 同じように見えてしまう。

 この時、つくづく「ああ。俺はもうあっち側の者だ」と痛感した。

 

 ちなみに、面倒臭いから近くまで行って確認したが、そこに立っていたのは生きてる人だった。女性だ。

 「まったく迷惑な話だ」と思った次第だが、よく考えると、その方が気持ちが悪い。

 道路脇の電柱の陰に、道に背中を向けて女の人がただ立っている。

 いったい、何をする人なのよ?

 誰かからの連絡を、「携帯を見詰めて待っていた」くらいしか思い浮かばぬが、携帯ならガラケーで無いかぎり灯りが点く。

 電柱の傍にある家の「誰か」へのストーキングをしているとか。

 「生きている人間なら、それはそれで気色が悪い」と思った。

 

 げにすさまじきはひとの心なり。

 こういう場合だけは、幽霊よりも生きている人の方が気色悪い存在だ。

 

 ひとはどんなことでも回数を重ねると慣れてしまう。

 五年くらい前、ペットボトルが勝手に倒れたり(中身入り)、扉が勝手に開いたり、逆に開かなくなったりした時には、その都度肝を潰したものだが、今はあまり驚かない。

 ちなみに、対処の仕方は、「そういうのはやめろよ。ここは俺の家の中だぞ」とはっきり言うだけでよい。

 自他の区別や、誰の領域かの線引きをはっきりすれば、大体は従う。

 逆の立場なら、「すいません。すぐに出ます」と謝るのが筋だ。

 簡単なことだ。

 

 注記)「夏目漱石シンドローム

 夏目漱石は死ぬ半年前くらいから、「この世ならぬ人影」を見るようになった。

 自宅ではなく、旅館で過ごす日が多くなったのはそのためだ。

 だが、そこでも庭に佇んで、じっと自分を見る人の姿を見たので、度々、「あっちへ行け」と叫んで灰皿を投げつけた。

 それが体の不調から生じるものなのか、あるいは現実にあの世の者が訪れるようになるのかは、当人的にはどうでもよい。目に映るのは同じものだからだ。

 多くの事例では、これが始まると半年から一年内に死ぬ。

 これに似ているのが、「その人をあの世に連れ去ろうとする者」、すなわち「お迎えが来る」ケースだ。初回のお迎えを免れた人の事例は割合あるが、やはり半年から一年後には死ぬ。

 私は「お迎え」に会ったことがあり、夏目漱石シンドロームに苦しめられているが、もう五年以上生きている。レアなケースだが、目配り気配りを怠らぬことで避けられる要素があるようだ。

 当事者的には、日々を切り抜けることで精一杯なので、それが何かなどはどうでもよい。車の構造を知らずとも運転は出来るし、「上手に運転する」ということの方が重要だ。いくら理屈をごねても事故を回避できぬのでは、何の意味もない。

◎病棟日誌「悲喜交々」 十月一日付 「憑依される」

令和三年十月 稲荷の傍で悪霊を拾う

病棟日誌「悲喜交々」 十月一日付 「憑依される」

 この日は通院日。

 病棟に行くと、看護師のユキコさんが出勤していた。

 二週間ほど顔が見えなかったから、容易に想像はついたが、当人いわく「夫が感染しまして」との話だった。

 ダンナさんが感染したので、自身は濃厚接触者の扱いになり隔離措置になった。

 最初の数日は「のんびりできる」と思ったそうだが、買い物にすら出られぬので、五日目には飽き飽きしたそうだ。家の中でテレビを観たり読書をしたりして時間を潰すのだが、「何もしない」ことほど心を苛立たせるものはない。

 ようやく夫婦とも二回陰性となったので、出勤できることになった。

 

 久々に会ったわけだが、私の方は「幾らか血色がよくなった」ように見えるとのこと。

 そこで自分の現況を伝えた。

 「三月から六月までは、自分は程なく死ぬと思っていましたが、そこからは幾らかましになりました」

 ここからが重要だ。ユキコさんはこう返した。

 「私は※※さんは、もうあっちの側に入っていると思っていました」

 「あっちの側」とは、もちろん、あの世のことだ。

 心臓はまだ止まっていないが、魂は既に持って行かれている。ユキコさんは私がそんな状態に見えたと言ったようだ。ここは医療従事者なので言葉を選ぶ。

 私自身が「程なく死ぬ」と思うのはともかくとして、日頃、死にゆく患者を見慣れた医療従事者の側が「もはやこの人は」と思って眺めていたのなら、まさに真実なのだろう。

 この病棟は、多臓器不全症の行き着くところだから、最後のバランスが崩れ立てなくなると、ひと月以内に病院から消えてしまう。その「最後の崩れ方」の患者パターンに、私がすっかり当て嵌まっていた、というわけだ。

 

 「立て直すのに一年掛かりましたね」

 「どういうことですか?」

 ユキコさんはN湖の近くに住んでおり、私が亡者供養のために、度々N湖を訪れていたことを知っている。

 「ちょうど一年前に、うっかり稲荷村社の神域に足を踏み入れてしまったら、悪縁に取り憑かれてしまった。その後は入れ代わり立ち代わり、悪いのがやって来て、魂を食おうとします」

 昔から稲荷とは相性が悪く、境内に立ち入ると立っていられぬほどの状態になる。

 それがまともに神域に入ってしまったので、周囲のよからぬものが集って来た。

 その後は次々に色んなヤツが寄り付く。

 最悪だったのは、血中酸素飽和度が85くらいまで下がった時だ。

 普通、即入院措置なのだが、医師や看護師は私のことをぼおっと見ていた。

 「心臓の検査に行け」とかナントカ、当ての外れたことばかり言う。

 生憎、私は直感が勝っているから、「今心臓に手を入れたら、それが原因で死ぬ」ことは分かる。

 悪縁に取り憑かれても、ホラー映画みたいな物理的異変はあまり起きぬのだが、心が弱くなること、恐怖心にかられやすくなること、自他に「ちょっとした不注意」が起きやすくなるという影響が生じる。

 そのちょっとした不注意が、心臓に施術をする医師に起きれば、直ちに患者の命に係わる。

 「今はようやく峠を越えたので、もう暫くは生きていられます」

 たぶん、次の一月二月くらいまでならの話だ。もしくは感染するまでで、感染すればそれから数日で死ぬ。これは医師の保証付き。

 

 「ではもういなくなったのですか?」とユキコさんが訊くので、「一度憑依されれば消えることはない」と答えた。玄関の鍵を開けて中に入れてしまえば、その後は出入り自由になる。

 「それでも、きちんと対処し、相手の存在を意識するように心掛ければ、悪影響を押さえることが出来ます」

 「じゃあ、取り憑かれた時にはどうすればいいのですか」

 「他力で押さえようとしても、逆効果になることが多いです。まずは自分の心を整えることと、相手の所在を確認し、自分の領域に入れぬようにすることが大切ですね。頭の中で声が聞こえる訳ですが、自分の声なのか誰かの声なのかをよく確かめることです。お寺や神社でのご供養や祈願もしますけどね」

 「敬意を持ち慰める」ことと同時に、「自分は関わりのない者だから無用に近づくな」と、相手との間に線を引くことが重要だ。

 必要以上に近づき、悪さを為せば、「それ相応の応酬がある」とも伝える。

 

 「ともあれ、まずは相手を知ることが第一ですよ。その点で私が好都合なのは、目で姿を見て声を聞ける点です。もちろん、それも練習の結果なので、間違いも多いのですが、手を打つのが速くなります」

 「取り越し苦労」ほど素晴らしいものは無し。それは「何も起きぬ」という意味だ。

 ま、スマホが勝手に「憑いた」「憑いた」と叫び出す事態になっても、冷静さを失うことはない。

 

 今生きていられるのは、「あの世を正視し、きちんと向き合う」ことを心掛けていることによる。

 看護師に「もうあっちの人」だと見なされる状態からでも、この通り、この世に戻って来られる。

 もちろん、肉体は必ず滅びる時が来るから、幾らか期限を延長する程度の意味ではある。

 この一年の最大の収穫は、「悪縁(悪霊)が人に取り憑く時の人の側の具体的な体感」が分かるようになったことだ。

 幽霊は物理的に存在しているので、必ず力学的な影響が生じる。

 

付記)うっかり稲荷村社に立ち入った後、すぐにその場を離れたのだが、その際に、「頭の上に蜘蛛の巣がかかった」ような感触があった。手で振り払ったが、何もない。

 あれは実際の蜘蛛の巣ではなく、「別の者」が寄り付いた感触だ。

 この後、正体を見極めるために再びこの村社を訪れたのだが、この時には僧侶の顔が鮮明に画像に残った。なるほど、神職や僧侶などが悪縁(霊)になると、普通人よりもはるかに強力な障りをもたらす存在になる。

 なお、九分九厘「差し障りをもたらす」画像だったので、すぐに捨てた。人の目に触れるところに出してはならぬ性質のものだ。

 さて、こういうのを監督するのは、その地の神だと思う。理由なく生者に障りを与えるなら、「きちんと監督しろ」とクレームをつけてもよいと思う。

◎古貨幣迷宮事件簿 「称浄法寺鋳当百銭 中字鋳浚改造銭」

◎古貨幣迷宮事件簿 「称浄法寺鋳当百銭 中字鋳浚改造銭」

 コロナ以後、ウェブ(HP)の維持もままならぬ状況になって来た。

 今は閉鎖も視野に入っている状況なので、私財供与を財源に、維持費用を捻出しようと思う。そこでHP版「古貨幣迷宮事件簿」にて、「雑銭の会扱い」として「秋季盆回し」で幾つかを売却に充てるものとした。

 出品登録は当人が行わねばならず、また、古銭会主催なら解説を付けるべきだと思うので、出品整理はゆっくりなものとなりそうだ。手が空かぬ状況なので、出品数も多くはないと思う。ま、古銭会の盆回しという位置づけであれば、売却処分が主目的ではない。

 

 さて、掲示の品は、私が収集した南部当百銭の在庫最後の一枚だ。

 三百枚余所有していたのを十五年掛かり、ようやく処分できる。

 この品を最後まで残しておいたのは、重要な証拠品のひとつだからということだ。

 技術的、および流通の状況から見て、「鋳放銭」がそれまでの「山内天保」「反玉類」「称浄法寺銭完全仕立類」「半仕立類」とは「別の手(職人)になる品」であることを証明するものだ。

 たった一枚が総てを物語る。

 留意点は、以上は「時代を語るものではない」こと。たまに見て来たようにあれこれ語る人がいるが、正直「笑わせるなあ」と腹中で思っていた。

 ポイントは、「山内銭」→「完全仕立類」→「半仕立類」→「鋳放類」の間で、母銭が継承されてはおらず、その都度、通用銭を母銭改造する手法をとっていること。

 とりわけ「鋳放類」は「技術的な連続性を全く持たないこと」が眼を引き、「鋳銭」どころか「鋳造技術」をよく知らぬ者が作っている。

 この鋳浚手法も、面背全面に砥石をかけた上で、谷を浚っているわけだが、これでは削字が必要となり、余計な手間がかかる。よって結局、不採用となったということだ。

 鋳銭常識から外れる加工なので、違和感があるわけだが、それが証拠としての裏付けになる。

 

 だからと言って、収集家を騙すためのものとも考えにくい。明治三十年から大正期くらいのいずれかの時期に、飾り物製作など別の意図があったのだろう。

 もちろん、製作年代には何の裏付けも無く、単なる憶測になる。何事も実証が出来てこその話だ。

 明治の勧業場の研究以後、鋳造技術は急速に進化しており、昭和に入ってからなら、現存の「鋳放類」より、はるかにきれいな品が作れる。

 

 盆回しの下値は昭和五十年代の発見当時の値段のほぼ半値だ。

 雑銭の会関係者には、「一枚で総てを語れるのだから、とりあえず買っとけ」と助言する。系統的に捉えることが重要なので、「山内銭」から製作の違い毎に整理すれば、分かりよい。

 きちんと証拠を揃えて置けば、それこそ収集家の感想を「鼻で笑える」と思う。

 (もちろん、言葉にはしない方が良いが。)

 麻布の袋に入っていた品のようで、地金があまり腐食していなかったのだが、机の上に置いているうちに、良い味になって来た。