日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎古貨幣迷宮事件簿 「納戸から出た雑銭」(続3)

◎古貨幣迷宮事件簿 「納戸から出た雑銭」(続3)

 日によって体調が芳しくないことがあり、昨日は通院後は寝たり起きたりだった。

 ま、先月初めは、今現在、こうやっていること自体想像できないくらいだったから、回復には時間が掛かる。もちろん、全快することはなく、次に発症すれば間違いなくアウトだと思う。あれこれ調べると、持病に加えワクチンの副反応が重なっていたようだ。私とまったく同じ経過を辿り、寝たきりになっている人が少なくないらしい。

 症状はコロナ肺炎に感染した時と殆ど同じだ。熱がそれほど高くないだけの違いで、肺症状は同一になっている。

 ま、今後も生きられるように生きるしかない。

 

 さて、ビニール袋入りの雑銭は、NコインズOさんが亡くなった後、所沢の倉庫に仕舞われていたものを、ご遺族の要望で雑銭の会を中継して分譲したものだ。

 ざっと二百数十キロで、後ろに乗せると車の重心が傾き、タイヤ一本だけがひしゃげたので、運転に気を遣った記憶がある。

 ちなみに、「どうせ雑銭主体の処分なら」ということで、事務局が保存していた品も併せて売りに出した。

 基本は業者さんの倉庫にあった品なので、「見たカスかもしれん」と思ったが、業者さんは雑銭一枚一枚を手に取って検分したりはしない。最初から値段の付いている品を買い取った時は別だが、グロス勘定で利益を出す方が簡便だ。そのためには、なるべくあれこれ混じっていてくれた方が売りやすい。

 ま、ひときわ「立って」いれば話は別だ。母銭は周囲の銭の間から立ち上がっているのですぐにそれと分かる。

 農家なり商家なりの旧家から出たばかりなら、状態に関わらず枚単価で三十五円が下値で五十円近くまで行く。百五十年そのままの品が最も評価され、人の手を介するごとに値を下げて行く。骨董会を経て、古物商に渡り都市部に出た時には、実はかなり値を下げている。

 もちろん、その途中で母銭などめぼしい品が消えている。値が下がるのはこのためだ。母銭であれば、買い出しの業者でも判別がつく。一方、細かい銭種区分はされぬから、細分類や手替わりなどはそのまま残っている。

 Oさんも自身の関心と取り扱い分野は主に「奥州の品」で、そのためか「古寛永などは対象ではないのでそのまま出す」と言っていた。実際、一枚二枚の役付きの品を分離して売りに出すより、総て一括で売却した方が益率が高い。ま、グロス勘定だが、いくら説明しても、収集家には理解されなかった。ま、見ている品が「百枚」の者と「万枚」の桁の者では、発想の土台が違う。(収集家を卑下しているわけではなく、ビジネスの質について言っているので、念の為。)

 

 ごみの入り方や紐の断片により、元は「農家の小屋に仕舞ってあった」ことが分かる。こういうのは経験だから、現地に行かぬ者に説明しても分からない。

 

 以下は雑銭の思い出だ。

 幾度か記したことがあるが、八幡町の骨董「力」さんを訪店すると、K岸さんが私に言った。

 「北上に買い出しがいて、古銭を出したばかりだが、入用なら紹介してあげます」

 確か十二月か一月で、かなり寒い頃だ。

 「ではよろしく」と一緒に出発したのだが、たまたまその時に私の車の暖房が壊れてしまい、震えながら北上まで運転した。

 買い出し業者さん宅を訪問し、品物を見せて貰ったが、煤だらけの汚れた雑銭で、「幾らか火に入っている」ような印象だった。これが確か三千枚くらい。

 記憶が薄れているので正確ではないが、確か枚単価で五十円に近い金額だったと思う。だが、状況を聞くと、「古屋下げ」で出たものではなく、旧家の梁に架けてあったのを買い取ったらしい。

 「状態に比べるとやや値が強い」と思ったが、もちろん、引き取った。初対面でもあり、黙って買って置けば「次」のきっかけが生まれる。まずは「知り合いになる」というのが重要なファクターだ。

 それから、盛岡に帰り、K岸さんを店まで送り、謝礼を二分お渡しした。

 わざわざ一緒に行ってくれたのだから当たり前だし、損得は関係ない。

 この辺は「顔を出す度に何かを買い求めること三年五年」で、ようやく品物を融通して貰える常連客になれる。奥の金庫の取り置き品を見せて貰えるようになるのは、それから後だ。

 実科に帰り、煤だらけの古銭を拡げてみたが、ちょうど囲炉裏の上の方に吊してあったらしい。幾らか熱を帯びた痕があったが、火中品ではなかった。

 南部に一文銭のめぼしい品は無いから、そっちは見ずに当四銭に眼を通すと、あんれまあ、踏潰が数十枚混じっていた。おまけに大型の濶縁銭だ。既にかなり前のことでもあり、正確な枚数は忘れたが三十枚近くだったと思う。お馴染みの銭種に加え、俯永もあった。

 面白く思い、数日後、花巻のNコインズに行き、この件を報告した。

 するとOさんは即座に「今、ちょうど踏潰の注文が入っているから、これはどうか私に引き取らせて欲しいのだが」と依頼して来た。

 Oさんには人脈があるので、むしろ好都合だ。「じゃあ、今回は一本貸しですよ」と枚単価五千円くらいで全品渡した。

 「お互い様」が成り立つ関係が最も望ましい関係だ。入手品を数日で売り渡すのはあまり褒められたことではないが、ま、こういうこともある。

 

 とまあ、ここまでが単なる収集家の昔話だ。

 ピンと来る人は「北上から出た雑銭に踏潰」のところでハッとしたと思う。

 逆にこれで響かぬようでは、いつも「手の上の銭ばかり見ている」者ということだ。

 踏潰は、かつて鹿角地方の雑銭に沢山混じっていた。鹿角は現在秋田県に属すから、そのことで「秋田踏潰」と呼ばれていた時期もある。

 ところが藩政時代には、鹿角は盛岡藩のうちとなる。昔の藩境は極めて厳密だから、隣藩の家が目視できる範囲にあっても、一切交流することが無かったそうだ。

 なぜ鹿角地方に重心を置く踏潰が花巻や北上(鬼柳以北)でよく見つかるのか。

 これは地方誌を学んでいれば容易に想像がつく。

 「鹿角郡の統括を任せられていたのは、花巻(鳥谷ヶ崎)城代だった」ことで、政治経済の交流が盛んに行われていたということだ。

 花巻商人と鹿角商人の取引が多かったのは、政治的に近かったことが背景にある。

 こういうのは手の上の銭を幾ら眺めていても得られぬ知見だから、地方史に関する知識に触れて置く必要がある。古銭書には訳の分からぬ想像が書いてあったりするから、鵜呑みにすると大恥を掻く。

 

 脱線した。

 雑銭はグレードに応じ、順次、放出するが、「売り立て会」の時に購入した経験のある会員には優先してお分けするので、ウェブの連絡欄から申し込んでください。いずれかの出品掲示よりも先に譲渡します。大したものはないと思うので、安価な設定となります。

 

注記)いつも通り、推敲や校正を一切しないので不首尾はあると思う。

◎古貨幣迷宮事件簿 『納戸の中から』(さらに続き)

◎古貨幣迷宮事件簿 『納戸の中から』(さらに続き)

 麻袋の裏には、木箱入りの雑銭が隠れていた。

 概ね終了したかと思っていたが、まだ先があるようだ。

 ビニール袋入りは、七八年前の売り立て会出品物の残り。数十キロずつ複数のルートで分譲したが、さすがに幾らかは残った。売れ行きがよかったのは古寛永で、希少品の報告が複数例寄せられた。

 ま、預かり物だから梱包するだけで右から左。捌くのに精一杯で、内容物については殆ど知らない。残ると「責任買い取り」で、自分が買わねばならんので当たり前だ。

 うろ覚えだが、少なくとも雑銭だけで260キロはあったから、どう捌くかの方が重要だった。

 コレクターの側から見ると、「雑銭買いの銭失い」と言って、損得勘定を考えたら、選り分けてあるものを業者さんなり入札なりで買うのが最も安価だ。

 五千枚買おうが数万枚買おうが、珍しい品が混じっている保証は何もないし、実際、何ひとつ見つからぬことの方が多い。

 ただ、「混ざり方」「流通状況」は実際に流通した状態を見なければ分からない。

 一枚ずつ欲しい品だけを集めても、知見の方はあまり深まらない。

 旧家や解体屋、買い出しと面識があり、幾度か蔵を見せて貰ったり、売り立てに立ち合わせて貰ったりもした。

 何故こういう状態になったのか憶測がつくのは、そういった経験で得た知見による。

 

 藁差しひとつとっても、括り方で色んなことが分かる。

 幕末以前の括りなら、「九六」と言って「差し銭にしてあれば九十六枚で百文と見なす」習慣があった。(この枚数は、時代や地方によって若干の違いがある。)

 一文銭百二十五枚の括りなら、二本で二百五十文、すなわち銀一朱に相当する。

 これがきっちり百枚ずつ括られるようになるのは、維新後のことが多くなる。

 昭和二十年台まで、寛永銅銭は現行貨だったわけだが、一枚が一厘だから、百枚で十銭だ。括ってあれば数えやすい。明治大正の括りはこの用途だ。

 さて、かなり端折って書いたので、話が飛んだかもしれぬ。ま、こういうのは自分で調べるべきだ。

 かくして、慣れた者ほど、包みをよく観察する。箱なのか俵なのか、括り紐はどうなのか。

 しかし、半分以上の収集家は、外側を殆ど見ずにバラしてしまう。おいおい。

 

 画像中央の差し銭四本のうち、三本は「通し直し」だ。恐らく昭和三十年代から四十年代に、誰かが整理用に通した。幾らか寛永通寶の知識がある者のようで、明和と文政の混じり方が不自然になっている。

 うち短い差が一本あるのだが、これだけが竹の皮をよった紐で通している。この場合、解くのは困難だから、結ばれてからは恐らく一度も解かれていない。

 横を見れば、概ね青銭すなわち明和の銭だから、「見るまでもない」と判断したということだ。経験が増せば増すほど、明和のことは見なくなる。

  逆に言えば、明和の希少銭を掘り出せる者は、きちんと検分する者になるし、また仮にそれが「見たカス」に見える雑銭でも可能性が残っているということだ。

 実際、「大字」の所在をイメージして明和を見る者はいない。

 「そんなものがたまたまここにあるわけがない」と思うからだ。だが、事実の方が創造をはるかに超えていて、私は「文久銭仕様の寛永銭」と発見している。

  加えて、怖ろしいことに、奥州出の雑銭なら、踏潰みたいな銭種は概ね明和の差に混じっている。現実にはなかなかしんどいが、明和を甘く見たらダメだ。

 

 さて、以前、コレクター所蔵の雑銭を何万枚か引き取ったことがあるが、コレクターの持っていた品=既に検分したものと見なしていた。

 うち「千枚通し」が二本あったが、いずれも麻縄通しだった。括ってあることには、本来、意味も意義もあるわけだが、「コレクターの通し直し」ならそれも薄い。評価は「縄で千枚括ってある」ことだけだから、一枚単価35円の値で引き取り、そのまま雑銭の会を通じ会員に分譲した。

 その当時は文政小字などの細分類などは行われていなかったから、状態が少し劣る文政は売れず、明和だけ下値で引き取る人がいた。外見上、明和の方がきれいだった、ということだ。

 仕方なく、私個人で文政の千枚通しを引き取り、勉強のため結び目を撮影し、それを解き・・・と進んで行くと、あれまびっくりで、大字が二十枚以上出て来た。一方、大頭通などは数枚程度だったと思う。だが、四十枚くらいは分かりやすい役付きだ。

 こういうのは滅多に有り得ない。

 ここでいう「コレクター」は奥州の人だが、地元の貨幣以外にはまったく興味がなかったらしい。差しを崩すこと自体を嫌い、見なかったのだ。(後に私もそうなった。)

 差し銭が「明和主体」「文政主体」だということで、検分しなかったということ。

 実際、括ってある方には付加価値が付く。バラせば概ね価値はかなり下がる。

 これを知り、私はここで思わず叫んだ。

 「イケネ。明和の千枚通しを出しちゃったじゃないか」

 前段に記した通り、奥州のウブ銭であれば、明和の塊の中に踏潰や延展銭が混じっている。

 それなら判別は簡単で、縄を解くまでも無く、輪側を確認するだけで事足りた。

 わざわざ経費をかけて遠くまで出掛け、経費を控除して会員に渡すなど、ボランティアもいいところだった。

  扱う量が多くなるとこんなことも起きる。よって、業者さんの持つ雑銭を甘く見たらダメだ。業者さんは趣味ではなく、利益を得るために売買を行っている。雑銭なら一括で売って、そこで利益を出した方が早いから、あれこれ手を入れたりしない。

 

 注記)記憶を頼りに一発殴り書きで記している。推敲も校正もしないので不首尾は多々あると思う。もはやパッションを欠いているので、これは致し方ない。

 

◎古貨幣迷宮事件簿 『納戸の中から』(続き)

◎古貨幣迷宮事件簿 『納戸の中から』(続き)

 水面下でどんどん処分を進めているので、もはや在庫が残り少なくなったと思いきや、納戸や外の道具小屋にも段ボールや麻袋に入った重量のあるモノがあった。

 古道具類もあるが、やはり雑銭も残っていたようだ。

 麻袋のひとつを取り出したが、従前の体力がなく持ちあがらない。

 ま、ひと担ぎ出来ぬのなら、小分けにすれば事足りる。

 ネットやメルカリに出す前に、知人を中心に希望を募り分与しようと思う。

 

 さて、前回の袋には、中国銭のものらしい袋があったが、チラ見では出土銭のように青錆が浮いていた。今時、出土銭では引き取り手はいないと思うので、神社や野山にまじない銭として撒くくらいしか使い道がない。

 とりあえず天気も良いので、外で拡げてみた。

 すると、思ったより状態は酷くはなく、たまたま上の方に青錆銭が載っていただけのようだ。

 手に汚れが付くところを見ると、恐らくは寛永銭とともに出たが、寛永銭二中国銭が混じると、買い取り単価が下がるので、目立つものをはじいたのだろう。

 銭種も北宋銭から明銭、清朝銭、朝鮮銭と安南銭が入り混じり、少々の日本銭も見えている。

 「こういうのはコレクターが軽視する典型的な雑銭だが、一番怖ろしい」と思う。

 何十人もが手に取って見たコイン店頭の「手ずれた雑銭」から、ぽろんと和同が飛び出たりする。誰もが「そんなのはあるわけがない」と思うから、真剣には見ていなかったのだ。

 実際、私もつい数か月前に百枚に満たぬ中国銭のクズから慶長通寶を拾ったばかりだ。

 

 ま、撰銭の醍醐味は、蔵出しに立ち会うところから始まる。

 小屋の奥に汚い木箱に入った雑銭を見ると、さすがに興奮する。

 中国銭は何百年も前に通貨としては使われなくなっていたから、扱いがぞんざいだ。

 銭箱よりも「ぼろ木箱」の汚い雑銭の方に珍品が隠れていることが多い。

 永楽銀銭を選り出した時には、一般に売られているその銭種と銭楊がまるで違うので驚かされた。砂目も鑢目もびっちりの美銭だった。

 

 不思議なことに、収集家の中には「美銭が少ない」と文句を言う人がいたりする。

 「雑で汚れており、割れ欠け品も混じっている」というのは、長い間誰も触っていないことを意味する。撰銭収集家が求めるのはそういう百数十年前に仕舞われた品だ。

 蔵出しからどういうルートで店頭に並ぶかを知っていれば、外見を一瞥しただけで、それがどのような時点の品かはすぐに分かる。

 「汚れているし、状態がイマイチ」が気になるのは、「いつも業者から買っている」ということだ。旧家や古民家の蔵になど、脚を踏み入れたこともないのだろう。

 手に取って詳細を眺める以前に、「どこでどういうところに仕舞われていた品か」をよく確かめることで、押すか引くかの決断が容易になる。

 

 こういう性質の品はネットに出してもあまり意味がないので、知人に渡すか、古銭会を通じて提供しようと思う。 

 単価は幾らでもないわけだが、喜んでもらえる人の前に出すのが一番だと思う。

◎母が戻って来た

母が戻って来た

 今春の経験から、「もはや何時この世とオサラバしても不思議ではない」と実感するに至ったので、今後はこれまで他人には言わずに来たことを、相手本人には言うことにした。

 いっそう「変なヤツ」だと思われるだろうが、奇人変人は前からだ。常識を顧ぬほど偏屈でもある。

 

 先日、郷里の昔の家に「母が戻っている」と感じたので、兄にそれを伝えた。

 「しばらくの間、その家にいるので、会いに行くと良い」

 もちろん、母が姿を見せることはなく、殆どの場合、気配だけだ。

 生前に愛用していた化粧品とか、着物の匂いを間近に感じたりする。

 床がほんの少し、人の重みで撓んだりする。

 「お袋は応接間の長椅子に座って、窓から外を眺めていることが多いから、テーブルに菓子でも供えるとよい。あとは神棚の掃除が必要だ」

 

 しかし、兄はこれまで死者の気配を感じたことが一度もないそうだ。

 実体験が乏しい者の殆どの反応は、「否定するが、その一方で怖れる」というものだ。

 正確には畏れとも怖れともつかぬ感情だろうが、肉親だった者に対しても同じらしい。

 母は割と早く当家に戻って来たが、兄は結局、母に会いに行かなかったようだ。

さてはビビったか。

 

 母が亡くなってから三年以上経つが、まだ私の周囲で母の気配がする。

 今のところ、私が死ぬと、すかさず悪縁(霊)に化け、この世の人を数多くあの世に連れて行こうとすると予期している。

 母はなるべくそれをさせぬように、心を砕いているものと見える。

 だから、まだこの世に残っている。 

 昨日あたりから、母が五㍍くらい離れたところから見ている気がする。

 

 と、書いている途中で、やはり回線が繋がっていない方の受話器がチリンと音を立てた。

 そろそろスマホ音声認識に話し掛けようかと思う。

 本人が直接答えてくれるのなら嬉しい。

 

 「死ねば終わり。幽霊は存在しない」と口にする人は多いが、その割には幽霊を怖がる。

 存在しないなら、怖れる根拠そのものがないのだから、その点は理解出来ない。

◎納戸の中から

◎納戸の中から

 納戸の中から、麻袋入りの雑銭60キロが出て来た。

 やれやれ、つい最近三千枚ほど処分したばかりだというのに、まだ残っていたのか。

 ちなみに、「文政銭のサンプル」として百五十枚くらいを見本で見せたと思うが、「サンプル」という表記の場合は「他に十倍から二十倍ある」という意味だ。

 過去に付き合いのあった人、これは概ね「雑銭の会」の旧会員だが、すぐに反応してくれたので、一日のうちに行き先が決定した。

 ま、文政銭であれば、小字でも細分類の用途があるのだが、現実にこれを考えるのはよほどの古貨幣マニアだ。普通は大字、離用通など分かりやすい銭種ならともかく、小字・俯永を詳細に検分などしない。明和に至っては、手に取ってみることも少ない。

 会の事務局では、奥州貨幣にしか関心がない者ばかりだったので、ざっと輪側を眺めて、鑢の違うものを抽出すると、残りはそのまま安価に提供していた。貨幣全般に対する関心を持たぬためだ。

 

 今回の雑銭は、七八年前の「売り立て会」の時の余り物のようだ。

 恩人だったOさんが亡くなったが、その遺品をご遺族から数十万枚ほど預かり、会員に提供した時の残りだ。枚数が枚数だけに、売れ残りも出るわけだが、「責任買い取り」の約束だったので、二十%程度減額した水準で引き取った。

 業者さんの在庫の残りなので、母銭や希少品はほぼない(ゼロではなかった)。

 また密鋳銭類は、輪側の手触りだけで分かるので、梱包の際にはじかれたものが多いと思う。「さしたる品はないが、細分類用には役立つ」という性質の品だと思えばよい。 

 雑銭などはネットオークションやメルカリなどを通じて処分するのが簡単で、割と値が付くのだが、外国人が買うのがそのルートだからのようだ。

  ま、処理が面倒なので、見知らぬ人相手ではなく、過去に付き合いのあった人、すなわち旧会員を対象に、割引価格で提供しようと思う。会員限定であれば、「売買」ではなく「交換」の域なので、課税を考慮せずに済む。

 順を追ってウェブサイトの方に掲示し、希望者が無ければ、ネットオークション等に出品してゆくという進め方をする予定だ。かつての登録会員のうち「N番号」を持つ人が割引価格とする対象になる。

 今日明日中に始めるが、納戸にはまだあれこれしまってあるようなので、一括りずつ取りまとめる。

◎夢の話 第1K52夜 浄霊クリニック

◎夢の話 第1K52夜 浄霊クリニック

 眠りの度に「最後に観た夢」を記憶したまま覚醒する。

 多くの人は十分もすれば夢の内容を忘れてしまうと思うが、私は詳細に憶えている。 

 これは当人にとってはかなり煩わしい。数々の夢の中で、何らかの意味のありそうな内容についてメモを取るのだが、これは内容を整理すると、逆に思い出さずに済むようになるためだ。点検整理し、箪笥に入れてしまえば、目に付くこともなくなる。

 夢を記録するのは、専ら「忘れる」ことを目的としている。

 さて、これは二十九日の午前三時に観た夢だ。

 

 ネットを検索していると、たまたま「浄霊クリニック」という表示に行き当たった。

 「何じゃこれ?」

 宗教の勧誘か?

 あるいは、幽霊に悩まされる者が思い余ってクリニックを訪れると、「この壷を買えば治ります」とか言われたりするのか?そんなことを想像する程胡散臭い。

 裏側に何でもありそうな話だ。 

 この時は読み飛ばしたのだが、それから十日ほど経ったある日、所用で都心に出ると、道でその看板を発見した。

 「ありゃ。これはこないだネットに出ていたヤツだ」

 説明書きを読む。

 「当院は宗教活動を行っているのではなく、純粋に科学的見地から心と魂の浄化を図る技術研究を行っています。よって、神の摂理を説いたり、会員になれと勧誘したりすることはありません。・・・」

 ま、入り口に「信者になれ」「会費を払え」と掲げる者はいない。

 俺は入り口の前から去ろうとしたのだが、しかし、そこで足を止めた。

 俺のすぐ目前をうら若い女性が通り、その入り口に入って行ったためだ。

 「おお、あんな小ぎれいな娘が通っているのか」

 踵を返し、建物の中に足を踏み入れた。俺はまだ二十五歳だから自然な対応だ。

 

 クリニックはそのビルの五階で、そのフロア全部を使っているようだ。

 受付で登録をすると、すぐに待合室に案内された。

 その部屋にいたのは七人で、中にはさっきの娘もいる。思った通り、かなりの美女だった。

 五分すると、白衣を着た中年の男性が部屋に入って来た。

 「こんにちは。私が今日のご案内を務めます。私は研究員の小島太です」

 どこかでよく聞いた名だなあ。誰だっけ?

 小島研究員が説明を始めたが、俺にはしち臭い話しだったので、別のことを考えた。

 俺の興味は専ら向かいに座っている娘だけだったから、当たり前ではある。

 

 「では、ひとまず実演を見て貰い、その後で数名の方に体験して頂きましょう」

 小島研究員がスイッチを押す。すると、部屋の片側の壁がスルスルと上に上がり、全面がガラス窓になった。

 よく映画で警察の取調室の場面に出る、あの片側からしか見えぬミラー窓だ。

 こちらからは向こうが見えるが、向こうからはこっちは見えない。

 窓の向こうの部屋は、天井に直径五㍍の円状のレールが敷設されており、そのレールにはカメラとライトが一体になった装置が二十個ほどぶら下がっていた。

 「あれは下にライトを照射しながら、中央を撮影する装置だな」

 加えて、壁の総ての面にカメラが設置されており、どこからでも撮影出来るようになっていた。

 

 「ライトは可視光線と赤外線の二種類です。霊は人間の可視域からは外れていることが多いのですが、カメラなら広く撮影出来ます。さらに赤外線ライトを照射することで、より捕捉しやすくするのです」

 床の中央には椅子が設置されており、若い男性が独りその椅子に座っていた。

 ここで小島研究員が解説をする。

 「誰もが気付いていないことですが、実は人間には必ず複数の霊たちが寄り添っています。そのほとんどが、当人の心情に近い感情を抱いている者で、自分に近しい人間に近づき、その相手と一体になろうとするのです。多くは悲しみや怒りなど負の心を持つ者なので、そういう霊と同調すると、その感情が強く増幅されることになってしまいます。よって、その人の周りにいる負の心を持つ霊を除去することで、人は明るく前向きに生きられるようになるわけです」

 ちょっと俄かには信じ難い。

 誰にでも複数の幽霊が寄り添っている、なんてことがあるものか。

 

 小島研究員が合図をすると、想像していた通り、天井のライトが回り始めた。壁にもライトがあり、光を放ったから、部屋の中央が真っ白に変わった。

 一分もせぬうちに、若者の右の肩に黒い影が出始めた。

 「おお。あれは何だ」

 皆が身を乗り出す。

 すると、若者の項の影から人の頭が現れた。ざんばら髪の老婆の頭だった。

 すかさず、小島研究員が叫ぶ。

 「お前は誰だ。何故この若者に取り憑いているのだ」

 老婆が身を起こす。

 若者の肩口から、頭に続き体が現れ、老婆の全身が外に出た。

 「知らん。知らん。眩しいから、もう光を当てるのは止めてくれ」

 老婆の霊はもはや実体化して、はっきりと皆の目に見えている。

 いつの間にか、向こう側の部屋には、法衣を着た女性が三人ずつ壁際に立っている。

 老婆が若者から離れたのを見ると、女たちが声高らかに読経を始めた。

 「かあんじーざいぼさあ・・・」

 

 俺はこれを見て、「やっぱり宗教がかって来たじゃあねえか」と思った。だがしかし、目の前の幽霊は本物だった。

 「こんな風にいきなり出て来られてもな」

 老婆が出ると、それで終わりではなく、さらに若者の肩から別のヤツが現れた。

 今度は六歳くらいの男児だった。

 男児は転がり出るように若者から離れると、前にうずくまった。

 「あ。この子は」と若者が呟く。

 小島研究員が「君はこの子が誰か知っているのか」と若者に尋ねた。

 「この子は小学校の同級生のケンジ君です。僕たちは夏休みに沼に遊びに行ったのですが、この子はその沼で溺れてしまいました」

 「亡くなっていたわけだ」

 「はい」

 「では、この子はその時からずっと君の傍にいたんだよ」

 「えええ。そうだったのですか」

 ウインウインと天井のレールが軋む。

 

 ここで小島研究員が観客の方に向き直った。

 「皆さん。ほら、この若者の額を見てご覧なさい」

 言われるまま、皆が若者の額に注目する。

 若者の額はオレンジ色に光っていた。これは周囲のライトの色ではない。

 「今、この子の額には、あの世とこの世を結ぶ穴、すなわち通り道が出来ているのです。その穴を通って、背後にいた霊たちがこの世の側に出て来ているのです」

 「このお婆さんや子どもはどうなるのですか?」

 「捕縛して研究します。もちろん、その後でご供養を施し、しっかり成仏して貰います」

 その後、三体の幽霊が若者の体から外に出たが、そこで機械が停止した。

 「ま、概ねこの若者はきれいになりました。今後は心をかき乱されることが少なくなります」

 観客から「ほう」とため息が漏れる。

 

 若者が研究員に連れられて向こうの部屋を去ると、小島研究員が俺たちの部屋にやって来た。

 「では、皆さんのどなたかにあれを実際に体験して頂きましょう。誰か志願者は居られますか?」

 だが、皆がしり込みをして、手を上げる者はいなかった。

 それもそうだ。つい先ほど、得体の知れぬ老婆や水死した子どもの幽霊を見たばかりだ。誰もが幽霊を連れているというから、自分自身からどんな奴が出るかも分からない。

 小島研究員は少しく思案したが、ここで俺の方を見た。

 「では一文字さん。一文字隼人さんはどうでしょう?」

 ふうん。俺って「一文字隼人」って名前だったのか。

 別のことでちと驚いたりもしたが、別に構いはしない。

 「良いですよ」

 椅子を立ち、小島研究員の先導で向こうの部屋に移動した。

 

 部屋の中央の椅子に座ると、四方から光が照射された。

 「やはり、かなり眩しいな」

 天井のライトがくるくると回り始める。

 俺はそれを見詰めたものだから、すぐに気分が悪くなってしまった。

 光の点滅に弱い方だったからだ。

 

 小島研究員が俺の額を指差し、「程なくこの方の首元から額にかけて『穴』が出来ます」と説明した。

 ウインウインウインと音が響く。

 するとすぐに、俺の左右の肩に手をかける者がいた。両肩のそれぞれに別の手が掛かっている。

 俺の頬の両側を、真っ青な顔の色をした女たちが通り、ずるずると前に出て行く。

 左右の頬の近くを別の女が通ったのだ。

 「うへへへ。気色悪いぞ」

 女たちは俺の前の床に転がり落ちると、うねうねと体をよじっている。

 すぐに次の吐息を首元に感じる。

 今度は俺の顔に手をかけ、背中から上がって来た者がいた。

 「おおお。ようやく出られるぞ」

 呟いた声は壮年の男のそれだった。

 いざ始めると、俺の肩と言わず、脚や腰からもずりずりと幽霊が出て来る。

 あっという間に部屋の中が幽霊で一杯になった。

 

 「こりゃ不味い。これだけ沢山いたのでは収拾が付かない」

 百を超える幽霊たちが蠢き出す。いずれも実体化が進み、中には具象物に変じた者までいた。

 止めどなく現れる幽霊は、部屋に満杯になりガラス窓に押し付けられる。

 誰かが「ああ不味い。窓が壊れる」と叫んだ。

 

 こうなっても、俺の体からはポコポコと幽霊が湧いて出続けた。

 隣の部屋との仕切りが壊れ、ドアも破壊された。

 幽霊たちはたちまちこのビルに溢れ、雪崩を打つようにビルの外に出て行く。

 何千という群衆がいきなり外に出たのだから、きっと町中がパニックになったに違いない。

 何せ、この群衆の大半が地獄から舞い戻った亡者たちだったからだ。

 

 一時間が経ったが、俺はまだあの部屋に座っていた。

 ビルの中は荒れ放題に荒れ、この出来事以前の面影が無くなっていた。

 ここで小島研究員が俺に近づき、声を掛けて来た。

 「一文字さん。あなたは一体何者ですか。まるで留め金が外されたように、霊たちが堰を切って流れ出て来ました」

 俺は首を左右に振った。

 「いや。俺には見当もつきませんね。ただ、さっきの状況はこれまで幾度か夢に観たような気がします。昔から俺は数十万に及ぶ地獄の亡者たちに追い駆けられる夢を観て来たのです」

 すると、小島研究員が深く頷く。

 「なるほど。一文字さん自体が留め金の役割を果たして来たのですよ。その一文字さんに我々が穴をを開けたものだから、背後まで迫っていた霊たちが外に出られるようになったということです」

 

 外側のガラス窓が割れており、音が中に届く。

 「わああ」とか「きゃああ」という人の放つ悲鳴だ。

 俺は「そりゃそうだろうな」と呟いた。

 他の人は現実にも夢の中にでも、幽霊や亡者など見たことのない人たちだ。一体の幽霊でも恐怖に慄くほどなのに、あの数がまとまって押し寄せたら、生きた心地がしないだろう。

 俺は逃げ惑う人たちの姿を想像し、「くくく」と笑った。

 ここで覚醒。

◎結局、吉牛に立ち寄る

結局、吉牛に立ち寄る

 日曜は久しぶりに所用で外出した。

 神奈川県まで運転したが、圏央道が繋がったおかげで、かつての三分の一の時間で行き来できるようになった。

 所用が済んだのが夕方だったが、途中で神奈川旅割クーポンを貰っていた。

 二千円分だ。期限は一両日以内。

 「二千円なら、和食屋で鰻御膳の五千円を注文しても、鰻重一杯分だ」

 理屈はともかく使うことにした。

 「まずはregeonPAYをダウンロードして・・・」

 ところが、何度やってもダウンロード中に止まってしまう。

 何か阻害要因があるためだが、恐らくは、電子マネー系を一切使わぬようにしているので、いずれかのセキュリティが働くからではないかと思う。

 二時間半もあれこれ操作したが、結局出来ない。

 頭に来て、そいつを貰ったところで、「ゴネにゴネて」やろうと思い、そっちに向けて歩き出した。

 途中で昼に通り掛かった「鰻御膳」の和食屋の前に出たが、なんとこの日は宴会が入り、予約席だけだった。

 「そもそも入れねえじゃねえか」

 ここで鰻へのパッションが失せ、すごすごと引き返した。

 車に戻り、神奈川の知人にメールを送り、「使って」とQRコードの数字の方を連絡した。

 知人はすぐにダウンロードできたらしい。

 

 結局、圏央道を使ってまっすぐ帰ったが、家の近くに着いたのは十一時頃だった。

 丸一日何も食べていないので、さすがに空腹だ。

 すると目の前が吉野家だ。

 「何年かぶりに牛丼でも食うか」

 だが、今や「並」一杯を半分も食べられぬ体になっている。

 とはいえ、肉はリンが多いから普段は食べぬのだが、今は細胞膜保護のために「積極的に食べる」必要があるから、並弁当を子どもらの分と合わせて買った。

 帰宅して食べてみたが、やっぱり半分も食べられん。

 肉が重くて胃が手を上げてしまう。

 「同じようにリンの多い食事でも、鰻は食べられるんだがな」

 ま、ニ三回に分けて食べることにした。

 

 目覚めた後は、このところ出ていた足の浮腫みが小さくなっていた。ある程度、たんぱく質を摂取したためだ。

 ちなみに、鰻なら一発で浮腫みが完全に消える。これは特定のビタミンを多く含むためだ。

 (浮腫みの原因は人により様々なので、皆が同じにはならない。)

 

 看護師と話したが、「タンパク質が不足すると細胞膜が破れやすくなり、肺水腫などに至るから、死に直結する」から、「タンパク質はリンが多く、過剰摂取すると動脈硬化の原因になる」ことよりも優先する必要がある。

 過剰摂取なら「そのうち心筋梗塞脳梗塞で死ぬ」可能性があるわけだが、欠乏すると「すぐに肺水腫で死ぬ」。「目の前の死」よりも「明日の死」の方が後回しになる。

 何年かぶりに食べた「吉牛」は、昔の味と違う気がする。

 ま、体力がありモリモリ飯を食っていた時期とは、そもそも受け皿が違うという要因もあるが、素材や味づくりも少し変わっているのではないかと思う。

 

 ところで、吉牛と言えば、管理職の「田舎から出た女子学生が、レストランを覚える前に牛丼漬けにしろ」という言葉が耳に新しい。(文言は不正確だ。)

 田舎にも吉牛はあるが、そもそも女子学生が「一人で牛丼屋に入る」ことには、今でも抵抗があると思う。

 これを「地方から出て来たばかりの女子学生でも気楽に入れるような店づくりをして、食習慣づけて貰う」と言えば、ほとんど同じ意味で、受け入れられた。

 吉牛管理職のような乱暴な言い方は、「あこぎなコンサル」が営業改革の指導の時などによく使い言い回しだ。テーマを与えた上で、考える余裕を数秒しか与えぬと、指導される側は「どんな手を使っても店に呼び込む工夫がいるということだな」と端的、短絡的に受け止め、言い回しの粗暴さに気付かない。

 東京の私立大学に娘を進学させるような地方の親は裕福なことが多く、その娘は「吉野家に一人で入ったりなどしたことがない」筈だ。

 言い回し自体がそもそも「娘をシャブ漬けにして売春させる」みたいな犯罪映画のノリだ。でも、現実の不良でもそういう話などはしない。

 映画や小説の不良イメージの語りをそのまま使っているところがコンサル的には「失格」だと思う。

 これは「何ひとつ裏を取っていない」という意味だ。

 商品を売ろうとする相手について、まったく調べていないし、例えで引用したものも雑で現実離れしている。

 

 脱線したが、50キロ以上外出するのは、優に半年以上ぶりだった。

 つい三週間前までは、夜中に呼吸が出来ず唸っていた。

 これから態勢を立て直すのは大変だが、しかし、生きていてナンボだ。

 次に体調を壊したら、その時が本当の終わりだという実感があるから、苦痛や苦労も人生の味のひとつだと思い、受け止めるべきだと思う。