日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎観音院は遠かった

観音院は遠かった
 もう彼岸なのに父母の墓参りには行けない。それでも自分なりにご供養をしないと落ち着かない 。他にもご供養が必要な相手が数十人はいるわけだし、どこかお寺にいくべきだ。
 しかし、月曜は気温が下がり風も出ていたから、体調的にちょっと難しい。
 ところが、時間を測るべく地図を見ていると、不動明王像が眼に入った。秩父小鹿野町の観音院だ。
 「今日はここに行こう。少なくとも二十くらいの連れはここで降ろせる」
 朝早くに出発することにしたので、家人に告げず一人で家を出た。

 片道が一時間半くらいだったが、難なくお寺の前に着いた。
 「独りでもどうにかなるもんだな」
 そう思って山門に入ったが、すぐに階段が待っていた。
 まさか、延々と上ることになったりして・・・。
 不安が過ぎるが、こういうのは完全に当たるもんだ。
 上がっても上がってもお寺は見えず、途中で休み休みになる。
 「秩父御嶽山じゃあ、本堂に着くまで五回通わされたっけな」
 今回も途中で引き返すことになるかもしれん。

 それどころか、山の周囲に人の姿がまったく見えない。
 参詣客はもちろん、寺の関係者の気配もなし。
 もし立ち往生したら、そのまま独りでいることになりそうだ。
 朝のお務めはするだろうから、明日の朝までじっとしていることになるかも。

延々と階段が続く

 「この寺は高齢者や障害者は参詣できないよな」
 俺もその仲間だわ。
 ようやく建物が見えたが、中継地だってケースもある。
 「あれがお寺でなかったら、もう今日は帰ろう」
 何せ、上りの時より下りの方が脚に負担がかかる。

本堂の周辺には全く人気が無かった。

 だが、上ってみると本堂が見えた。岩山にはまだ上があるらしく隣には泉があり水が流れ落ちている。
 さらに上にも行けるらしいが、私には無理。
 風が強かったので、「お焼香をしても大丈夫か」と不安になった。杉の葉が散乱していたが、コイツも割合油分が強いから、あっという間に山火事になってしまう。
 灰にお線香を深く差し込んで飛ばされぬように心掛けたが、お寺の関係者がいるようには見えなかったので、ヒヤヒヤした。
 ま、消えるまで見ていればよい話だった。
 このところ心臓の調子がよいので、無事に上がれたが、数日後、脚に筋肉痛が出そうだ。 

 お寺には参詣客がいなかったが、麓のバス停には人がいた。
 峠があり城跡などもあるようだから、ハイキング目的の人が山に入るらしい。お寺の駐車場からさらに奥に進むと峠越えの道がある。

 我が家の守り神のお不動さまに参詣することが出来たので、この日は満足した。心が穏やかになれば、幾らか悪縁が離れる。 

◎日本の七不思議「何故謝らないのか」

日本の七不思議「何故謝らないのか」
その1)「政治家の裏金」
 岸田党総裁は「謝罪」「謝罪」と言うが、当人たちの行動が伴っていないので謝罪は言葉だけ。
 裏金を作った理由や使い道などはどうでもよく、紛れもない所得隠しなのだから、納税すればよいだけ。
 企業が税務署に申告漏れを指摘され、加算税を含め納税した時には、理由とか使い道などには関係なく追徴されるだけ。
 政治資金なり所得なりに申告すべきところをしなかったのだから、事実上「脱税」だ。なら納税すれば一般国民と同等の扱いになる。それをしないのでは反省も謝罪もしていないということ。
 こんな当たり前のことが分からないのが不思議だ。

その2)「芸人M本H志・性加害報道」
 焦点は自分の立場を利用して素人(またはタレントの卵)の女性を「食っていた」ところ。
 性加害に強制性があったかどうかなどは関係ない。
 早い段階で、「俺は中高生の時には全然女子にもてず悔しい思いをしたので、今も欲望が抑えられないのです。そのせいで女性たちが悔しい思いをしたなら、申し訳ないです」と謝ってしまえば、「ま、そりゃそれで、女性の方も何がしかの思惑はあったわけだし」に落ち着いたかもしれん。
 そこを「そんな事実はありません」「訴えます」と対応すれば、そりゃ怒りに拍車がかかる。
 この人は実際、中高生の時には女子には全然もてなかったろう。勉強が出来ず、スポーツも出来ず、かと言って不良としても中途半端だ。いわゆる「イチビリ」の類で、クラスの中では「おどけた奴」の立ち位置だった。芸人としての成功が無ければ、女性はこいつとは寝たくない。当方が女性ならコイツみたいなエロジジイとは「絶対にセックスしたくない」と思う。
 今騒ぎになっているのは、この「そもそもしたくないヤツだった」ことに遠因がある。もてないヤツには独特の匂いがあるが、このオヤジジイはその典型だ。
 なら、十年以上前のことなんだし、さっさと謝れば、案外丸く収まった。
 「嫌な思いをしていたならごめんな」と直接声を掛けることで、怒りが静まったと思う。
 これが出来ないのは、やはり何時しか「傲慢になっていた」ということだ。

その3)「M木ようこ・エアガン事件」
 これも早々に謝ってしまえばいいのに、何故突っぱねるのか?
 「泥酔していたので、その時何があったのかは知りません。もし不快な想いをされていたならごめんなさいね」
 文句を垂れているのは芸人だ。
 まともな芸人なら「いやあそうでしたか。痛かったですよ、エヘヘ」で終わる。
 芸人はイジられてナンボだから、これを笑いに変えていく。
 そこでのやり取りで耳目を集め、双方ともウインウインの状況に持って行くのが筋道だ。
 「ケツを撃たれたことが縁で友だちに。イタかったが有難い」で笑いに変えていくべきだ
 そこを「知りません」と言えば、芸人も「嘘で言い掛かりをつけた」と言われるのが嫌なので、こじれる。
 芸人なんだから一般人の「斜め下」に見えるのがもっとも望ましい環境だと思う。
 これが分かっていないのでは、芸人の方も「あまりこの商売が向いていないのではないか」と思われてしまう。
 ここは双方とも隠密裏に代理人を出して、「事態をどう納めるか」を相談した方がよい。作家にシナリオを書かせて、大団円を招くべきだと思う。現状では、女優の値段は駄々下がりだし、芸人は傍から見ても「芸人で生きるのは無理」と思えるほどだ。

 頭など幾ら下げても金は減らぬし、むしろチャンスに変えられるかもしれん。もちろん、訴えられるなどして金が減りそうな箇所については、口頭では「私は憶えていませんが」とぼやかして、「心情を傷つけたこと」について謝罪すればよい。
 もちろん、謝罪とは行動が伴って謝罪になる。
 直接会いに行き、「あの時はごめんなさい」と頭を下げろ。
 もちろん、こういうのは早い段階でしか通用しない。

 ところで、街に出ると、次の選挙を見据えて演説カーが走り回っている。「裏金があ」「裏金があ」!と叫んでいるが、だからこの政党はダメなのだと思う。
 これを選挙の争点にしようとするから、支持率が上がらない。
 裏金の話は「政治をどう行うか」の話なので、「何を行うか」とは関係がない。選挙での争点はあくまで「この先何を行うか」だ。それに、政治資金なら与野党の差が大してあるわけではない。
 「黙っていればわからない」ようなちょっとした不正は、政治家のみならず誰でもやっている。
 一般人だって、出張旅費をごまかすくらいのことはやっているわけだから、裏金政治家の本音は「たかがこれくらいのこと」と思っている。だが、露見したら「まずは謝る」もんなんだよ。この場合の謝罪とは「申告漏れを謝罪して納税する」ということだ。
 ま、脱税は犯罪だから、どうしても認めたくないわけだが、そのことで事態はどんどん悪くなって行く。これが見えないことが不思議でならない。

 岸田党総裁がいくら「謝罪」を口にしても、心も行動も伴っていない。ちなみに「党総裁」と記すのは、いずれ程なく「総理ではなくなる」と思うからだ。

 岸田氏に見えるのは、「言葉に心がともなっていない」ということ。いつも口先だけで、重みが無い。

 
 さて、当方の大学の師匠は「自分が全面的に正しく相手に百%の非があると思える時でも、三分は相手の言葉に耳を傾けるべき」と言っていた。
 この場合の「耳を傾ける」は「相手の言うことを聞く」のではなく、「心情を汲む」と言う意味だ。要は「寄り添う」ということ。
 人間関係を滑らかにするという意味では、まさに金言だと思う。

 上記の例では、全員が「相手を突っぱねて、見下している」と思う。ならこじれるのは当たり前だ。

◎夢の話 第1121夜 「叫び」

夢の話 第1121夜 「叫び」
 十八日の午前一時に観た夢です。
 前夜の夕食後に二時間ほど眠ったが、その時に観た夢だ。

 夢を観ている。
 昔の出来事をなぞる夢で、俺はまだ三十台だ。

 だが、その夢が「声」でかき消された。
 「あああああ。あああああ」
 すぐ間近で聞こえる。
 声はすぐに大きくなり叫び声になった。二三㍍のところから響く。俺が寝ている場所の窓の外だった。ガラス窓に口を付けそうな位置で叫んでいた。
 声が余りにも大きいので、ここで覚醒。

 目覚めた瞬間、「昨日の女は巫女さまじゃあない」と気が付いた。そもそも着物ではなくコートのようなものを着ていた。
 このところ、あの世がやたら騒がしいが、まるで令和二年の春先の状況に似ている。
 これから起きる事故や災害を暗示している場合があるので、要注意だ。ま、自然災害なら大して打てる手は多くないわけだが。
 私的には「やたら寄り憑きが多い」ことで異常性が分かる。

 

 追記)人込みに出掛ける機会の多い人は「防煙ビニール」をバッグに入れておいた方がよさそう。
 火事の時に、逃げられなくなるのは煙を吸い込んでしまうことによるが、一分で意識を失ってしまう。
 火事が起きた時に、煙が回る前にこれを被ると数分の間は煙を吸い込まずにいられる。その間に安全な場所に逃げる。
 ビニール袋の空気だけなので、長くはもたないから、事前に逃げ道を想定して置く必要がある。
 この袋自体は千円しない値段で買えるし、ホームセンターに行き、大き目の袋を買い置いても代用できる。ただ、ホームセンターには透明の大きなビニール袋は老いていないと思う。概ね色がついているから前が見え難い。

 よく「(恐怖で)全身が氷のように冷たくなった」という表現が用いられるが、目覚めた直後はまさにそれだった。やたら体温が下がっていた。

◎聖地巡礼の支度で高麗神社に参拝(3/17後半)

聖天院にて
高麗神社にて

聖地巡礼の支度で高麗神社に参拝(3/17後半)

 前半に続く。

 神社に駐車場で、ガラス窓の画像を開いて見ると、境内の端を出た辺りに影が映っていた。空中なので、横にある建物(トイレ)の影ではないようだ。境内の外れは崖になっており、崖の外は十五㍍以上の高低差のある窪みになっている。

 拡大して見たが、向こう側の斜面に影が映っている可能性があり、とりあえずこの件は保留にした。私が懸念したのは、この黒い影が人影ではないかということだ。

 何も無い空中に黒い影が出るのは、「黒いひと」の典型的な現れ方で、この「黒いひと」は事実上、死神の仲間だ。過去にこれを目にしたのは、いずれも心臓の具合が著しく悪い時だった。影の端々が放射状に切れているのもその特徴だが、向かいの斜面で映った影であれば、草の影響でそう見える。

 

 だが、逆の左の肩には男の顔が乗っていた。表情に悪意が見えるので、前回、私の左肩に短刀を突き刺したのと同じヤツかもしれん。「稲荷眷属」の障りの時に経験した通り、いざ障りを撒くとなると、相手はかなり執拗でしつこい。

 「まだ面倒臭いことになるのか」

 だが、二枚目の画像には、私を抱きかかえる女性の姿が見えていた。

 小鹿野の「お稚児さま」のように半透明なので見づらいのだが、顔も割合見やすい方だ。髪が胸元まであり、クレオパトラの髪型なので、「巫女さま」にかなり近いが、横顔なので表情がよく見えない。

 私の腕の下に右手を通して、抱きかかえているように見える。

 あるいは、また悪縁から私を守ろうとしてくれたのかもしれぬ。

 ま、性急に結論付ける必要はない。いずれ程なく分る。

 

 それから高麗神社に参拝した。

 こちらの画像では、煙の筋が出ていたが、事実上、あの「蜘蛛の糸」だと思う。

 これは幽霊がひとに接触しようとする時に伸ばす触手のようなものだ。

 だが、顔に掛かっているのに、この日は「蜘蛛の糸」の感触を覚えなかった。

  肌に直接接してはいなかったようだ。

 最後の画像では、内門の下に黒い人影が立っている。

  上半身は見え難いのだが、両脚が出ていた。ここにそれと見紛うような気や柱は存在しないから、上に胴体があると分かる。

 シルエットから見て女のよう。もしこれが確実なら、疑いなく「黒いひと」の仲間だから、よくよく注意する必要がある。

 背後には、いつも通り「でっかい女」と最近寄り憑いた女が見えていた。

 肩口のは目視は難しいと思う。私は「肩を掴まれている」のでそれと分かる。

 こういうのは、当人しか認識出来ないので、説明に困る。

 

 明日の予報は「かなり冷え込む」とのこと。

 聖地巡礼は微妙になって来た。あの「お稚児さま」と長椅子に並んで座り、Vサインをして撮影をしようと思っているのだが、延期になるかもしれん。

 じっくり景色を撮影すれば、前回のように「UFOもどき」の撮影も出来るかもしれん。

◎聖地巡礼の仕度で聖天院に(3/17前半)

聖地巡礼の仕度で聖天院に(3/17前半)

 三月十七日の朝になり、「体調が良ければ、明日秩父に行こう」と思い立った。

 目的は小鹿野の聖地訪問で、あの女児に会うためだ。

 だが、先週以来、私の周囲は加なら騒がしくなっているので、身を軽くして置く必要がある。そこで聖天院に参詣することにした。

 お焼香をして慰めれば、少しは軽くなる。それぞれに向き不向きや好き嫌いがあり、色んな性格・方向性を持った寺社・神社を訪れる必要があるから、あかなかやっかいだ。

 このお寺になかなか来られぬのは、急な階段が百数十段あり、腎臓に難のある者には体調の良い時でなければ登れない。途中で断念し、引き返すことも時々ある。

 入り口の六地蔵でお焼香をし、最初の階段を上がって、小休止。その後も階段を上るごとに休憩を取った。心臓の方は何ともなかったが、膝が笑った。これは運動不足とトシのせいだ。

 本堂の前でお焼香をし、まずは父母が安らかに自我を解放してくれることを願った。

 「子や孫は自分たちで何とかするから、振り返らずどんどん先に進んでください」

 早いとこ生まれ替わって、また会いましょう。

 「それと、後ろについて来ている者はここで降りて貰いますので、宜しく引き取って下さい」

 どのくらいいるか分からぬほどだし、それ以前に今の私は数十万の亡者の群れの中にいる。その中には当然悪意を持つ者も混じっているから、私自身もかなりヤバい状況だ。

 社務所の前を通ると、ガラス窓が眼に入った。そこで自分の姿を目にしたが、例によってそこでヒヤッとした。そういう時には写真を撮り置く習慣なので、とりあえずその場で撮影した。

 境内の奥にトイレと休憩所があるので、ベンチに座り周囲を眺めた。

 この境内には清浄さがあり、心が落ち着く。

 そこで先ほどの画像を点検すると、予想通りのことが起きていた。

 もう一度、ガラス窓の前で撮影し、お寺を出た。(後半に続く。)

◎霊界通信 「巫女さまは何時から?」

◎霊界通信 「巫女さまは何時から?」

 私に危機が訪れた時に、陰になりひっそりと支えてくれるのが「巫女さま」だ。

 ちなみに、これは想像ではなく現実だ。幾つか証拠が残っている。

 ともかく、画像の中からそれらしい人影を時系列的に拾ってみる。

 

①宿谷の滝(2016年6月5日)

 かつては、滝に向かう山道の半ばに「穴」があり、煙玉が乱れ飛んだ。

 他に見物客がいない時でも、常にひとの声が聞こえていた。

 この頃、撮影した画像の中に、渓流の中に女性の眼が写ったものがある。

 私は巫女さまの眼を直接見たことがあるが、よく似ていると思う。

 だが、この渓流の眼の持ち主は、十七八の若い女性のように見える。

 巫女さまは二十台の半ばから三十歳の間に見える。

 ちなみに、記念写真として撮影したが、最初に気付いたのは男児の存在だった。

 眼の右側に立っていたのだが、その男児を見た時に視線を左に移したら、この目があった。こういう画像は時の経過と共に薄れるので、いまではほとんど分からなくなった。 

 何時も声が聞こえていたが、その中のひとつは「自分は高校生だったが、都心に遊びに出たら、そこで男に捕まり、別荘のようなところに連れて行かれ、そこで殺された」と言っていた。北関東のどこかで育った娘のようだ。まだ発見されていない筈で、今もどこかの別荘の床下に眠っていると思う。

 

 この地にあった「穴」(この世とあの世の交流点)は一年くらいで消えた。

 穴がある時に、家人が不用意にその方向に近づこうとするので、「そっちに行くな」と厳しく伝えたことがあるほどだが、今は何も起きず、声も聞こえない。

 

②御堂観音(2017年7月27日)

 これは幾度もこのブログに書いた。

 国道を南下中に持病の筋膜腫が痛み出したが、岩手町の御堂観音に差し掛かった。

 すると、「ここで湧水を飲めば病気が治るよ」という声が響いた。

 その声に従って、神社に参拝し、「ゆはずの泉」の水を飲んだが、痛みがそれで治まった。(筋膜種自体がその後数か月で完治した。)

 この時撮影した画像には、様々な者が写っていたが、草の陰から女性がこっちを見ているものがある。年格好は巫女さまに似ているが、こちらは矢巾の人だったらしい。(本人がそう言っていた。)

 その後、上京する折に、カーナビが勝手に作動して、矢巾町墓所に連れて行かれた。高速に乗ったのに「降りろ」という指示があり、導かれるまま進んだら、その先が古い墓地だった。そこで、お茶を供えて、ご供養をした。女性は親族の許に帰りたかったのだ。

 国道で最初に声を掛けたのは、七八歳の子どもの声だったから、これもこの女性とは別だと思う。子ども、草の間の女性、巫女さまはそれぞれ別だ。

 ちなみに、日輪のような玉が写った画像があるが、カメラのファインダを下に向けてもこれが見えていたので、日光がレンズに反射した像ではないと思われる。いわゆる「光玉」だ。奥行きがあり、濃淡も違うから、実際のところ日輪とは出方が違う。 

 

③小鹿荘の眼(2019年1月13日)

 小鹿野町の小鹿荘は、いまや私にとっては聖地のひとつ。

 つい最近、この画像の右下に女児が写っていることに気付き、もう一度女児に会うために小鹿荘を訪れたのだが、そこでもきちんとこの子が現れた。前に報告した通りで、「着物にちゃんちゃんこ」を着た姿がすっかり同じなので、同じ女児だと思う。

 この画像には、上の方に「女性の眼」が写っていたので、下部にいる女児のことまで気が回らなかったのだ。

 女性の「眼」の方は、年格好が巫女さまに合致しているし、私にとっては「福の神」でもある女児に近い存在らしいから、あるいはこの女性かもしれぬと思う。

 だが、実際の巫女さまの視線はもっと冷徹で、むしろ最初の滝に出た「眼」に近いと思う。

 もっとも、あの世の者たちは、感情の持ち方が生きている者とは違うので、どの幽霊を見ても一様に怖い。悪しき者でなくとも、何とも言えぬ迫力を放つ。

 

 

 ここでさらに気付かされたが、もしかすると、御堂観音で私に声を掛けたのは、このちゃんちゃんこの女児かもしれぬ。そもそも、かなり前から私と一緒にいる者かもしれぬのだ。この子の表情は父や祖母に似ている。

 「ガラス窓にはあの世が映る」ことに気付いたのは、割と最近のことだから、数十年前にさかのぼることは出来ないのだが、探って行けば巫女さまや女児(お稚児さま)がどういう経緯で傍まで来るに至ったのかが突き止められるのではないかと思う。

 「自分が助けられていることに気付いた」ことさえ、最近の話だ。

 

 さて、ここで明言させて貰うが、「あの世(幽界)は皆さんがこれまで知識として持っているものとは全然違う世界」だ。宗教も霊能者もごく一部の断片的なことを見て、大半を想像で語っている。多くは恐怖を伴う話なのだが、それは「何ひとつあの世の実相が見えていない」ということだ。目前の現象面だけ見て語っている。

 程なくそれを実証して見せようと思う(あの世が何かを出して見せる)が、最大の問題は、「私の余命がこの先どれくらい残っているか」ということにかかっている。

 また、巫女さまたちのように支援してくれる者もいれば、「稲荷眷属の僧侶」や、今回の「短刀で一刺し」のように妨害しようとする勢力もある。事実を見せぬ・知らせぬことで恐怖心をあおるのだが、恐怖心は悪縁がひとの心を支配する重要な武器になっている。

◎夢の話 第1120夜 「雀荘にて」

夢の話 第1120夜 「雀荘にて」
 十六日の午前二時に観た夢です。

 我に返ると、俺がいたのは雀荘だった。俺は三十台だが、知人の会社社長に誘われ、よく卓を繋いだ。
 この社長に融資を受けていたから、事実上、営業もしくは接待だ。仕事がキツいのに、接待に駆り出されるから、体が痛む。
 おまけに周囲は俺が「仕事を疎かにして遊んでいる」と思っていただろう。だが零細企業に銀行は金を貸さぬから、これも資金繰りのためだった。

 その社長が対面に座り、上家が五十台半ば過ぎのオヤジだった。
 このオヤジの仕事はマンション経営で、いつもぶらぶらしている。親から貰ったマンションの家賃収入で暮らしているわけだが、仕事らしい仕事が無く、毎日麻雀を打っていた。
 下家はいわゆる雀ゴロで、四十台半ばくらい。コイツは年季が入っている分しぶとくて、コツコツとツキを引き寄せる。
 千点、千五百点を延々と上がり、何時の間にか二着。ツカない時でもラスは引かず、三着に上がる。最も嫌なタイプだが、博打は打てば打つほどツキが薄れるから、年齢と共に大勝ちが出来なくなって行く。上手さと強さは反比例するわけだ。
 「面倒臭いメンバーだな。こんなんならヤクザ者の方がやりやすい」

 ここで我に返る。 
 「俺が麻雀を止めて二十年は経つから、これは現実ではない。きっと今は夢の中なんだな」
 実際、もう十二時間くらい打っていると思うが、外は暗いままだ。
 いくら時間が経っても、夜が明けて来ない。

 「してみると、これは夢か」
 ここで上家のオヤジに目を遣る。
 確かコイツは・・・、死んだよな。
 毎日、煙草を吸い、麻雀を打つ生活を送っていれば、五十台で体を壊すのは当たり前だ。確か心筋梗塞だか脳梗塞で死んだはず。
 ここにマスターがコーヒーを運んで来た。
 「わ。このマスターも」
 死に間際に麻雀を打ったっけな。
 二日の間打ち続けていたのだが、途中でこのマスターがメンバーと替わり、マスター自身は長椅子で寝始めた。
 そのうち、鼾が異常に高くなり始めた。脳出血で、朝に救急搬送されたが、病院に着く頃には死んでいた。

 「おいおい。これはもしかして夢じゃなかったりするかもしれん」
 いつまで経っても夜が明けぬのは、そういう世界にいるのかもしれんぞ。
 実際、死者が複数混じっている。
 バクチばかりしていたヤツが死ねば、当然、成仏など出来ずに「死出の山路」に向かう。その峠の先にあるのは幽界で、そこの住人は幽霊たちだ。幽霊は、それぞれ自らの思い描いた世界の中で暮らしている。こいつらは死に間際の暮らしぶりが影響して、そのまま麻雀を打ち続けているのかもしれん。
 「俺はそんなところに迷い込んだのか」

 ゲンナリする。

 「死出の山路」には幾度か入り込んだことがあり、峠も数度越えた。峠の先には、生前の世界と殆ど変わらぬ世界が広がっているが、微妙に景色が違う。これはその場所が当人の記憶から構成されているせいだ。
 幽界にはもちろん、複数の者がいるが、めいめいが自分の思い描いた世界で暮らす。 

 接点があり、交流もあるが、共通する部分だけの話で、見ているもの・見えるもの・見え方は、その者によってさまざまだ。

 「対面の社長はまだ生きていると思ったが」
 最近は「会長」に退き、自適の生活を送っている筈だが、生きていれば八十台半ばだ。
 下家の雀ゴロだって、そうは長生きしそうになかったぞ。

 ここでまた真実に気付く。
 「こいつらは皆死人だ。社長はトシだから死んでいてもおかしくない。そして」
 下家のコイツは、最近になり死んだのだな。
 俺はすぐにマスターを呼んだ。
 「マスター。次にここに入ってよ。俺は腹が減ったから外で飯を食って来る」

 「カレーくらいならすぐに出せるよ」と答えが返って来た。

 「いや、俺は天津丼をゆっくり食べたいから、中華屋に行く」
 無難にこの場を離れ、峠道を戻らねばならない。
 ここに居続けたら、元の世界に戻れなくなってしまう。
 幸い、俺はさっきのコーヒーに口を付けてはいなかった。
 「ああよかった。この世界で飲み食いするのは絶対ダメなことだからな」
 店の階段を駆け下り、俺は小走りで道を急ぐ。
 ここで覚醒。

 あの世に長居は禁物だ。ここには変なヤツが沢山いるから、俺は小走りで走りながら「無難に元の世界に帰れますように」と強く念じていた。