日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎児童は小学校でウンチが出来ない

児童は小学校でウンチが出来ない

 小学生は、学校ではめったにトイレの個室には入らない。

 この理由は様々あるようだ。

 五十歳台以降の者であれば、「トイレがポッチャン便所で、入り難い」という理由だろう。音がするし、皆にからかわれる。

 三十台四十台であれば、「トイレにお化けが出る」から。

 何故か学校の怪談にはトイレがよく使われる。

 

 さて、家人によると、今の子どもも学校ではほとんど個室を使わないそう。

 その理由は「ウォシュレットが付いていないから」ということらしい(マジか)。

 実際、事後に洗浄しないと、後で痒くなって来る。

 時代は変わるもんだ。

 

 「ウォシュレットがないと・・・」がトイレに行かぬ理由なら、この子らが大人になる頃には、日本はどうやっても戦争など出来ないと思う。

 まさに「ウォシュレット平和」の時代が来る。

 だが、他国の言いなりになり支配されたら、やはりウォシュレットは無くなるような気がする。

 その時はウォシュレットを取り戻すために、レジスタンス活動を展開することになるのか。

 何とものんびりした話だ。

◎例大祭は穏やかに執り行われる(610)

f:id:seiichiconan:20211020025507j:plain
f:id:seiichiconan:20211020025454j:plain
f:id:seiichiconan:20211020025432j:plain
f:id:seiichiconan:20211020025411j:plain
f:id:seiichiconan:20211020025354j:plain
f:id:seiichiconan:20211020025331j:plain
f:id:seiichiconan:20211020025322j:plain
f:id:seiichiconan:20211020025312j:plain
f:id:seiichiconan:20211020025301j:plain
f:id:seiichiconan:20211020025253j:plain
令和三年十月十九日撮影

例大祭は穏やかに執り行われる(610)

 十九日はいつも通う神社の例大祭だった。

 昨年はこの日に鮮明な「あの世画像」を撮影したので、あの世解明の助けになるかもしれぬと思い、通院の帰りに参拝した。

 例年、この日は参拝客で賑わうのだが、今年は至って静かだ。

 掲示を見ると、「一般向けには感染防止のため最小限の催事に留める」由が記してある。

 今は感染者が減少しているが、これで終わったわけではなく、冬にはまた拡大すると見る方が妥当だろう。とりあえず「選挙が終わったら、また増えた」みたいな事態にならぬことだ。

 この神社の配慮は正しいと思う。

 

 このところは、割と私の周りが落ち着いて来たので、左程のことはなかろうが、「むしろその方が望ましい」。そんなことを考えつつ、神殿前で「より多くの亡者が先に進めるように」と祈願した。

 いずれは直接対面すると思う。

 最近、「灯りがぱたっと消える」みたいな不審事は減って来たが、「声」は聞こえる。

 周囲に人がいないのに、突然、「※※は※※じゃあないの?」みたいな声が響く。家人の声に似ているので、「玄関にいるのか?」と思ってしまうが、やはり誰もいない。

 ここから少し進むと、「名前」で呼び掛けられることがある。

 その事態は少し危険域で、迅速な対処が必要になる。

 

 視覚的に分かりやすい異変は、七五三に来た親子の画像だ。

 画像の七枚目がそれだが、私の顔の横に小さな「何か」が見える。

 どうやら子どもの顔が上を向いている様子だ。

 たぶん、室内の女児と思い、スルーしようとしたが、どこか違和感がある。

 そこで詳細に眺めると、女児の身体のサイズと顔の大きさのバランスがまるで取れていない。

 そこで、画像中の女児の姿を抽出してみたが、女児は帽子を被っており、マスクをしていた。

 上を向く子ども(これも女児)の顔は小さ過ぎ、かつマスクをしていないように見える。

 眼と前髪の周囲しか見えていないから、確定出来ない要素があるが、まあ、「頭が小さすぎる」のは事実だろう、少し帽子が見えているが、顔の位置とは異なる。

 また、普通の人でこれくらいの角度で顔を後ろに向けられる者は少ない。

 

 ま、こういうのは、「七五三で同じくらいの子どもが沢山来るし、この日はお祭りだから、それに誘われたのだろう」くらいに思えばよい。

 ちなみに、室内の親子を引き合いに出したが、何ら悪影響は生じないので念のため。

 そもそも、子どもの顔は室内の女児の傍ではなく私の近くにある。

 

 他は私だけの問題だ。女の影が出ているのだが、これは見せる対象が私だけ。すなわち、他者にとっては「(私の)想像や妄想」で、そういう解釈で良い。関りが無いものは「存在しない」のと同じことだ。

 この女は私が「子ども」を見ているかどうか、どう見るのかを確かめているのだろうと思う。

 こういう思考能力があるのなら、イリスの仲間だということ。

 

 「家までついて来られると、また厄介だな。ひとつがようやく終わったばかりなのに」

 そう思いつつ帰宅したが、その直後に家の中で「声」が響いたので、少し動揺した。

 だが、丁寧にこの日一日を振り返り、状況を確かめると、「特に忌み嫌うべき状況ではない」と思うに至った。

 「あの世」を観察する理由は、好奇心や探求心からではなく、「程なく自身がその世界に行くが、その時にどのように振舞うべきか」を知るところにある。

 この世には、人の眼にはよく見えぬものの、数多くの浮かばれぬ亡者(幽霊)が彷徨っている。

 無防備に死ぬと、あの亡者たちの仲間になってしまう。

 もしそこに踏み込んだら、もはや後戻りが出来ないのだから、事前に対策を練って置く必要がある。

 恐らく半分くらいの人は、あの世を実感することなく死んで行く。たぶん、お迎えも来ない。

 残り半分のうち大多数は、「死んでも存在が無くならない」、「死後にも自意識が残る」ことを知るが、しかし、その時には戻って来られない。一方通行なので、生きている者には情報がうまく伝わらない。

 そして最後のごく少数は、生きているうちから死後の世界に関りを持つ。他の者にはこの世とあの世の間を隔てる「障子」があるのだが、これが少し開いている者もいる。 

 開いているのだから、相手側に勝手に出入りされてしまう。

 先んじて対処の手立てを打たねば、煩わしくて仕方が無い。

◎古貨幣迷宮事件簿 「文政丁銀と天保丁銀」

◎古貨幣迷宮事件簿 「文政丁銀と天保丁銀」

 これも今週中に息子に出品手配させる予定の品だ。もちろん、いずれも本物になる。

 銀地金の勉強のために、ひと揃い所有していたが、あまり興味が無く、古丁銀はかなり前に売却したし、あるいは蔵中から消えたりして、残りはこの二本になってしまった。

 最初に苦言だが、ネットオークションを覗いたりすると、丁銀類が従前の半値以下で出ている。真贋混ぜこぜで雑多な扱いだ。

 居間がこういう風な状況になったのは、景気とかコレクター層の変化という要因もあるだろうが、偽物が出回ったことが大きいと思う。

 とりわけ「O氏作」の影響が大きい。

 O氏は鋳放しの母銭など穴銭の偽物も多作したが、本領は銀物で、丁銀や豆板銀の後作品を多数作成した。まさに「名手」と呼べる水準で、とりわけ豆板銀の水準と来たら、怖ろしいほどだ。そもそも銀は古色が着きやすい特性があり、作りやすかったのだろう。

 「研究目的の作成」は嘘で、当時から市場に沢山出ている。もし、鋳造実験が目的であれば、数百枚も市場に出ることはない。また寄贈したり、研究用途で他者に渡す時にはきちんと「参考品」と銘打って渡す。

 1)製作技法研究用にそれと分かる品、2)いかにも本物にもありそうなバラエティ作品、に加えて、3)本物と見分けがつかぬ品、まで多岐に渡っているので、真意は「本物(と見紛うもの)を作る」ことにあったと見なして良いと思う。

 こういう品が市場に出ると、品物そのものの信用が落ちる。

 結果的にはコレクター層自体が小さくなり、関心を持たれぬようになってしまうわけだ。

f:id:seiichiconan:20211019053151j:plain
f:id:seiichiconan:20211019053142j:plain
f:id:seiichiconan:20211019053133j:plain
f:id:seiichiconan:20211019053123j:plain
f:id:seiichiconan:20211019053113j:plain
f:id:seiichiconan:20211019053104j:plain
P02 文政丁銀

P02 文政丁銀
 昔、都内Oコインで店主の小母さんと客とのやり取りを聞く機会が多々あった。

 あくまでうろ覚えの記憶だが、「丁銀は160gを境にそれより上が『大型』になる」という話があった。そこが所謂「遷急点」でそれを超えると、存在数が少なくなるそうだ。

 また、そもそも銅の割合が高いので、表面に銅錆が出やすいのだが、これを洗うと変色するので、自然な状態ですっきりきれいな品は少ない。

 真贋の見分け方については、鋳造製の側面に継ぎ目のある品は論外だが、中央付近に必ずある「窪み」が偶然にできたものではなく「意図的に作った」もの、すなわち「正品の目安」のひとつで「隠し」の性質を持つことなどが話題に上がっていた。

 (既に数十年も経つし、そもそも私には興味が無いので、上記詳細は不確かだ。)

 丁銀を入手したのは、当時、割と沢山発見されていた地方判の地金の性質、すなわち「江戸から明治初年の銀の製法」を学ぶためだった。

 この品は大手コイン店で入手したと思うが、160g超で難のあまりない美品だったことが入手の動機だ。

f:id:seiichiconan:20211019053047j:plain
f:id:seiichiconan:20211019053037j:plain
f:id:seiichiconan:20211019053028j:plain
f:id:seiichiconan:20211019053019j:plain
f:id:seiichiconan:20211019053008j:plain
f:id:seiichiconan:20211019052953j:plain
P03 天保丁銀

P03 天保丁銀

 これも160g超で「大型」となる。

 天保期になると、銅の含有率がさらに上がるから、通常、各所に茶色の個所が現れるのだが、当品には現状保存が保たれている。

 「大型」「美品」という役付きになる。

 恐らく制作時に何らかの基準があり、重量について「※匁※分」を目安にするという決まりがあったのではないかと思う。

 

 雑記)数十年前だが、自身の事務所で研究会を開いていた時に、川口在住の某氏が時々来ていた。手ぶらで来て、ただ座っているだけなのだが、この某氏が帰ると、何品かが消えている。元文丁銀などがその時に消えた。

 主催者だったので、品物全体を見渡しているわけには行かなかったので、そういうことも起きるわけだが、「小さくて隠しやすい」という特徴から、黙って失敬する者が割と多い。主催者なので場を壊さぬよう、特に何も言わぬが、きちんと把握している。

 逆に「事を荒立てぬだろう」という見込みがあるから、平気で土産を持ち帰るわけだ。しかし、穴銭のような手に入る品ならともかく、180gある丁銀をくすねて行くとは根性だ。

 その後、某氏は当四鉄銭の米字打ちを偽造するなどしていたが、数年後には亡くなった。こう書けば、分かる人は分かると思う。

 この世界にこういう人は時々いるが、「ちゃんと見ていたぞ」と書いて置く。 

 

◎古貨幣迷宮事件簿 「品評:南部仰寶黄銅母と背文黄銅」

f:id:seiichiconan:20211018224317j:plain
f:id:seiichiconan:20211018224342j:plain
f:id:seiichiconan:20211018224355j:plain
f:id:seiichiconan:20211018224403j:plain
品評) 南部仰寶黄銅母 と 背文黄銅

◎古貨幣迷宮事件簿 「品評:南部仰寶黄銅母 と 背文黄銅」 

 半年ぶりに貸し出していた古銭が戻って来た。

 もはや自分で処理する体力が無いので、息子や知人に委託して、詳細を調べたり、販売に供している。よって、個々の品が今現在どこにあるかは本人でもよく分からない。

 既に在庫も残り少なくなり、「現存数品」とか「初見品」の品になって来た。

 市場的に不利なのは、「初見品」や「現存数品」が一般には知られていないところだ。

 テキスト(過去の銭譜記載)が無く、判断が付かないので、値が付き難い。

 そういう時には自身の経験と「押し引き」で判断する必要があるが、これは同系統の品を数多く見ていなければ出来ない相談だ。

 ま、多くはそのまま残るか、博物館行きだろうと思う。

 いずれにせよ、資料を残しておく必要があるから、幾らか見解を記しておこうと思う。

 程なく、専門誌の入札やオークションに出ると思うが、興味を持った人が検索するだろうと思う。

 

P01 南部仰寶黄銅母 

 南部錢の母銭には、赤色と黄色があると言われて来たが、本銭系(公営・請負)の仰寶母銭では、経験的に「赤8:黄2」か「赤9:黄1」くらいの比率だと思う。

 ただ銭種によって幾らか違いがあり、「広穿(栗林)」は大半が黄色の地金だろう。

 本銭系では、最初に水戸に倣い黄色のものが作られ、汎用母としては赤色を採用したのではないかと考えられる(推測)。

 赤色の母銭がよく使われているのに対し、黄色はあまり使われていないものが多い。

 ただ、浄法寺山内座ではその逆で、最初は黄色から赤色と同じだが、次鋳段階では黄色も作ったようだ。なお「次鋳」というのは、当百錢の大字母銭のやや小ぶりな次鋳母銭が黄銅母であるため、「当百錢の母銭と同じ」という意味だ(二番目に作ったという意味ではない)。

 山内でも、やはり赤色の方が多いわけだが、これは錫が割合「高価だった」ということだろう。

 寶字珎の左点が直立しているが、同型品が見つからなかった。たまたま偶然出来たようbには思えぬが、遠目でははっきり分からぬのと、通用鉄銭には鋳出ししなさそうなくらい細い。これは、次に持つ人の判断にゆだねる方が良さそうだ。「仰寶黄銅母」を基準とすることにした。

 

 ちなみに、参考だが、背文銭の黄銅銭がこの品に地金が似ていた。

 こちらは輪側に斜めに線状痕(鑢痕)が入っているように見えるが、もし密鋳写しなら面白い。背文銭本来は真鍮で色がすぐに変わってしまうが、配合が黄銅のようで、長期間そのままにしても変色しない。

 奥州では「写し」に様々な変化があるので興味深いが、何とも言えぬところだ。

 知人が調べたが、「よく分からなかった」とのこと。

 

 

 

 

◎十月十八日の「この日のひとコマ」

◎十月十八日の「この日のひとコマ」

その1)「無料橋」

 市内唯一の有料道路が橋ひとつ渡る距離だったので、その橋のことを「有料橋」と呼んでいた。正式な地名と橋の名前もあると思うが、たぶん誰も知らない。

 一か所だから「有料橋」で分かるし、うっかりそこを通るとお金を徴収されるから、「金取られるぞ」という意味合いだ。

 今年、その橋の償還期間が終わったと見え、通行料が無料になった。

 「有料」橋が「無料」になったのだから、今の呼び方は「無料橋」だ。皆がそう呼ぶ。

 だが、冷静に考えると、「有料道路」はあるが「無料道路」はない。道路の通行は、本来、無料が当たり前だからだ。

 ここに来て、「なるほど、全国にあるみょうちきりんな地名はこういう風に出来たのか」と改めて納得した。

 

その2)「女房に対しては出来ない」

 夕方、ビデオ屋に行くと、バイトの女性(四十台半ば)が割と遠くから「いらっしゃいませ。ドータラコータラ」と声を掛けて来た。

 以前はカウンターで支払いをしており、その時にあれこれと世間話をしていたのだが、支払い自体が機会になってしまい、最近はほとんど会話をしない状態だ。

 私はよく知らん女性に対しては、とにかく「相手の良いところを見付けて褒めちぎる」ことにしている。こうすると、大体は関係がスムーズに行く。噓くさくないように言わねばならんから、それなりに気を使う。

 すると、程なくいつも挨拶を交わすようになり、世間話をするようになる。

 「気に入られる」までは行かずとも、さすがに「良い人」のポジションだと思う。

 もちろん、用事が無いのにカウンターに行って世間話をするわけにはいかんから、今は挨拶をして会釈をするだけだ。

 今日は家人と一緒だったが、車に乗る時にふと思い付いた。

 「他所のオバサンにするように、家人に対しても『相手の良いところを探す』姿勢でいれば、割といい関係でいられるのではないか」

 すぐに家人が戻って来たが、助手席に座るなり、早速、何か不平不満を言っている。

 思わず「コイツにはぜってえ出来ねえ」と口に出して言った(苦笑)。

 家人は何のことかまったく分からなかったと思う。

 大体、コイツは会話の最後には、必ずダンナをディスるヤツだし。「良いところを探す」なんてとてもとても私には無理だ。

 世間のダンナ様方だって、きっと同じだと思う。

◎亡者の群れ(609続き)

f:id:seiichiconan:20211018043525j:plain
f:id:seiichiconan:20211018113846j:plain
f:id:seiichiconan:20211018114523j:plain
死者(亡者)の隊列

◎亡者の群れ(609続き)

 最初の画像のガラス戸の境目を接合し分かりよくすると、最初に子どもの姿がはっきりと出る。こうすれば見える人は見える。

 これに気が付くのは、私の脚が消されているからで、通常、こういう場合は「前にいる」ということ。

 ちなみに、私は可視波長域が広いので、これくらいになると原色で見える。

 波長域を子どもに合わせると、今度は手前に女がいると分かるようになる。

 

 結局、私は「亡者の隊列の中にいた」ということだ。

 すぐにそれと悟るのは、こういう情景と私の立ち位置をこれまで幾度となく夢に観させられているからだ。

 その夢は「私が数十万もの亡者の群れを率いて、どこかに進む」という内容だ。

 進行方向の先には不動明王が見えるから、亡者たちを救うために先導しているのだろうと思う。

 (繰り返し記すが、不動明王は理念であって、その姿のかたちが存在するわけではない。あくまで主観的表象だ。)

 仮に死後の行く先を三途の川に例えると、三途の川が「霊界」との境目になる。そのかなり手前に「トンネル」か「死出の山路」があるのだが、これが生者と死者の境目になる。そしてそのトンネル(または山路)と三途の川との中間が「死後の残存自我」、すなわち「幽霊」のいる「幽界」になる。

 (「トンネル」「死出の山路」「三途の川」は「不動明王」と同じく主観的表象であり物的存在ではない。その当事者によって見え方・受け止め方が異なる。)

 

 亡者たちは川を渡れずに中間の世界である「幽界」に留まっているのだから、川を渡らせてやればよい。そのためには、生前の執着を落とす必要があるのだが、それが可能になるまで、亡者は繰り返し記憶と感情を反芻する。

 この隊列が数十万に及ぶのは、なかなか執着心を捨てられぬ者が多いからだ。

 問題は、亡者たちは「溺れる者」と同じで、現状が苦しいからひたすらしがみついて来ることだ。

 うっかりすると、先導する者も絡め捕られてしまう。

 この数週間、私が嵌っていたのはその状態だった。

 

 最近、痛感するのは、幽界の「霧の中」に蠢くものを、自身と同じように見取る人が少ないことだ。

 反応の仕方でそれと分かるが、数百人が同じものを見て、「かもしれぬ」と思う人は五六人らしい。もちろん、その場に立っていないのだから、当たり前ではある。

 視覚的要素よりも、聴覚や気配の方が相手の存在を強く感じる要素になる。

 この五六人の人たちを除く他の人にとっては、私の語る話など「死に掛けた者の観る妄想」に過ぎぬことになる。

 もちろん、それでよい。

 いざこういう領域に立ち入ると、すごく厄介な問題が起きる。

 その五六人にとっては既に「妄想」ではなく「目の前の現実」としてあるのだから、逃げ道は無い。そういう立場の者が受け止めれば、それでよいと思う。

 「我々(私+五六人)」にとっての本番は、各々の死後に来る。

◎十七日(609)の補足画像

f:id:seiichiconan:20211018043533j:plain
f:id:seiichiconan:20211018043525j:plain
f:id:seiichiconan:20211018043516j:plain
f:id:seiichiconan:20211018043506j:plain
令和三年十月十七日撮影(再掲)

◎十七日(609)の補足画像

 昨日の画像について、気になる箇所を再掲する。

 通常、何らかの異変が起きる時には、「光が曲がる」(=景色が歪む)のだが、昨日の画像は、あまり歪みが見られない。よって、「気のせい」「たまたまそう見えた」というケースが多分に入り込む。

 (実はいつも注視しているのは、かたち=シェイプではなく、光の進行方向の曲がり方だ。)

 いずれにせよ、十九日には分かるのではないか。その日に晴れてくれると助かる。

 

 仮に異変であっても、私に関わろうとするものではないので、慌てず騒がずに対処出来る。

 ちなみに、上掲の画像の中で、「これは確実」と思えるのは、最後の「四角い窓枠の中の女」だ。ここい光は入らぬので、見間違うものがない。

 他は曖昧だが、いずれ程なく分かると思う。