日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 悲喜交々 9/26 「おもてなしのこころ」

病棟日誌 悲喜交々 9/26 「おもてなしのこころ」
 この日の穿刺担当看護師はキム君だった。当方はぐりぐりの「憎韓」で、それを隠さぬのだが、集団でなく個人は話が別だ。冗談を言い、身の回りの話をする。
 打ち解けて来たと見え、キム君は自分から身の上話をするようになった。
 実家が川崎であることや、今はそこにお母さんが一人で暮らしているとのこと。お父さんは出張で全国を回っているらしい。色んな地方に単身赴任で行くそうだ。
 仕事は聞かなかったが、ダムとか大規模な建設工事に関わっているのだと思う。それなら中長期に渡り帰って来ないし、全国の現場を巡る。
 「時々、お袋さんに電話してあげるんだよ。母親にとって息子は彼氏以上の存在だからね」

 病棟では隣近所の話が筒抜けなので、周囲の患者の様子が丸わかりだ。
 右隣の患者は七十歳を少し超えたオヤジジイなのだが、医師が「手術」を勧めていた。CT撮影したら、胸部の動脈に瘤があるのが分かったそうだ。
 「手術の必要な大きさになっていますから」
 こりゃまた微妙な話だ。
 「手術が必要」な胸部大動脈瘤なら、既に40~50ミリの大きさに達している。
 安静にしている分には、すぐに破裂はしないだろうが、心臓病や腎臓病患者は血圧が乱高下することが多いから、リスクが高い。
 だが、一方で手術を受けること自体にリスクがある。手術中に亡くなるケースも結構あるから、「手術を受けなければもう少し生きられた」という場合もある。
 八年前に心臓の治療のため入院したが、その時の隣のベッドの患者が六十歳前後の男性だった。
 中国に赴任中に、何か特別な料理(猿の脳味噌の類)を食べたが、その食事中に具合が悪くなった。 

 検査を受けると動脈の異常だったから、帰国して調べると、70ミリの大動脈瘤だった。70ミリなら、いつ破裂してもおかしくない。もちろん、それが明日なのかひと月後なのか半年後なのかは分からぬが、いずれ破裂する。
 「手術をしましょう」という話になったが、しかし、そのサイズだと手術のリスクがかなりある。成功率があまり高くなく、40%くらい(確か)。となると、残りの60%は「この世とおさらば」ということだ。
 医師は親族を複数回集め、繰り返し手術の説明をしていた。
 ま、これは失敗した時の予防線だ。
 当方は隣で聴いていて、「成功率が40%なら、手術を受けずに運を天に任せる」のも選択のひとつだと思った。
 治療することによって事態が悪化することも多い。前立腺なんかは癌化しても進行が遅いから、「触らない」という選択をする人も多い。切除することで、それが刺激になり、余計に癌が活性化したケースもある。
 隣の患者は、不安や緊張のあまり、夜中にぎりぎりと歯ぎしりをしていた。煩くて堪らなかったが、病室の患者は誰も文句を言わなかった。「この人はかなりヤバい」と皆が思ったからだ。

 ちなみに、「お迎えの到来」を避ける方法のひとつは、「自分より危ない人の近くにいる」というものだ。連れ去りに来た者が、そっちに気付き、先にそちらを連れて行く可能性がある。
 個室では逃れようがないから、なるべく大部屋で、他に重篤な患者のいる状態が望ましい。
 向かいのベッドの患者は七十歳くらいだったが、脳梗塞心筋梗塞を同時発症して、繰り返し手術を受けていた。こういう患者が二人いれば大丈夫(違うか)。実際、この時に私のところに「お迎え」が来たのだが、そのまま私を捕らずに帰って行った。これは幾度も記したから詳細は省略。


 結局、70ミリの患者は手術室から戻って来なかった。個室の方も見に行ったが、名前が無かったので、あのままこの世とオサラバしたらしい。手術しなければ、少なくともあと何日かは生きられた。
 こういうのは、医師ではなく本人が決断することで、他の誰のせいにも出来ない。状況を見極め、腹を括ること。

 さて、以上は前置き。
 画像はこの日の病院食で、茄子のカレーだった。
 病院のカレーだから、そんなに辛くは無いのだが、これが意外に美味しい。母ちゃんカレーとも、専門店のカレーとも違う味だが、割と食える。ま、食材を前処理してあり、肉も野菜も湯通しして、リンやカリウムを落として使っている。よって、体に優しい。
 フルーツは混ぜ混ぜの缶詰で、もちろん、並んではいない。
 この日は、栄養士のババさんがベッドに来たので、配膳のことについて訊いてみた。
 「半年から八か月前に、調理部門に新しい人が入ったはずです。毎回ではないのですが、ミカンの缶詰が花輪のかたちに並べてあります。それが始まったのはそれくらい前なので、まずは新しい人がしたということです。この方は、五十歳くらいの女性で、下の子どもが高校生くらいの男の子ですね」
 フルーツを「並べる」ことは、たぶん、無意識にやっている。
 普段、やり慣れているから、自然にそうする。
 これは、息子のためにいつも弁当を作っている母親である可能性が高い。
 かつ、弁当を持参するから小中学生ではない(給食が無い)。

 ババさんは少し考えて、こう答えた。
 「確かにその頃新人が入りました。たぶん、推測の範囲を越えていると思いますね。新しい配膳担当はヴェトナムから来た女の子たちです」
 これで疑問が氷解した。
 ヴェトナム人はアジアの中で、日本人に最も近い文化を持つ人たちだ。「恥ずかしさ」や「思いやり」の何たるかを知っている。こういうのは、ニュースで見るヴェトナム人の姿からは到底想像が出来ない。直接接しないと、人となりを知ることは出来ない。

 「フルーツがきれいに並んでいたら、それを食べる患者が慰む。このひと手間がおもてなしの心だと思いますね。負担になるから、何時も出来るわけではないけれど、余裕がある時にはこうする。俺はこの人に会って、御礼を言いたいし、何かプレゼントしたいです」
 ババさんは「では調べます」とのこと。
 そこで、若い頃にタイに行き、ヴァトナム難民のいる難民キャンプで働いた話をした。
 その時に、時々、難民家族にお呼ばれして、ご飯をご馳走になった話もした。難民の手助けに行ったのに、その人たちから食事を振舞って貰ったが、日頃働いてくれていることへの感謝の気持ちだったのだろうから、もてなしの心は勿論有難く頂いた。

 日本で研修生として働くには、事前に彼の国で日本語をある程度習熟する必要があるのだが、その時点で結構な借金を背負うらしい。この手の活動には、ブローカーがいて、早く進めてくれる代わりにかなりの金を払わされる。借金返済があるから、最初の数年の稼ぎはほとんどが「返す金」になる。現地側だけでなく、日本側にもブローカーがいて、役所の内部にも通じている。こっちにも当然金を払う。
 コロナで仕事が滞った時には、こういう人たちはさぞ困っただろうと思う。仕事が無くなっても、借金の催促が来る。払わぬと、次第に顔つきの悪い奴が出て来るし、国の家族に危害が及ぶかもしれない。
 食い詰めた者の中には犯罪に走る者もいる。

 こういうのを、テレビなどでは、面白おかしく伝えたり、「こんな悪い外国人が」の論調で伝えたりする。テレ朝とかBTS(もといTBS)が代表だ。
 それを見る度に、「こいつら(メディア人)は自分たちはのうのうと暮らしていて、何ひとつ物を考えずに人を断罪するやつらだ」と思う。上っ面のことしか見ぬし、調べない。
 名刺に「新聞」とか「テレビ」業界の文字があれば、当方は即座に脛を蹴ることにしている。非難批判ではなく憎悪。

 日本人は自分たちの「おもてなし」の姿勢を誇張・吹聴するけれど 、最近はスタンドプレイ的な匂いがぷんぷんする。
 誰も褒めてはくれぬが、相手のために「良かれ」と思って、密かにミカンを花輪型に並べることが、本物のおもてなしだと思う。

 ババさんは、「よく気付きましたねえ。私も知りませんでした」と言うが、「ひとのことは一挙手一投足を観察してしまう性質なんです。その代わり自分のことには目を瞑ります」と答えた。
 現実には、週に三日、六時間くらいずつ病院のベッドに拘束されるから、「時間を潰すために、あれこれものを考えざるを得ない」という話だ。

◎古貨幣迷宮事件簿 「いつ明治三年を作ったのか」

◎古貨幣迷宮事件簿 「いつ明治三年を作ったのか」
 明治最初の通貨の代表が「一円銀貨」(以下「円銀」)だが、当初は貿易決済用として作られたので、専ら海外との取引で使われた。
 このため、規格はいわゆる「トレードダラー」に合わせており、かつ銀一圓=一両相当になるように設定されている。

 最初の円銀は旭日と竜の意匠になるが、これには明治三年と四年の銘がある。
 これはあくまで記年表記であって、もちろん、「その年に作った」という意味ではない。前年の明治二年には、幕軍と交戦しており(戊辰戦争)、その直後に貨幣製造を開始したと見るには、無理がある。実際、「新貨条例」の発布が明治四年だから、貨幣単位を「円」と定める前に貨幣を製造していたことになり、ナンセンスだ。
 製造の準備をしていただろうが、機器や材料などのセッティングには相応の時間を必要とする。
 貨幣の歴史をひもとくと、造幣局が稼働し始めるのは明治四年とされているが、これは「生産」ではなく「製造着手」という意味だろう。企画や意匠を決め、プレス機械を設置して、材料を揃えるには、およそ半年の期間でも到底足りぬ。
 円銀であれば、明治五年から七年。五十銭銀貨は五年が「空白」の期間だから、明治四年に製造に着手し、五年に実際のプレスを始めたのではあるまいか。意匠はデザインを考えた時のものだから、記年銘は明治三年四年だ。

 とりわけ、初期においては極印の摩耗を考慮する必要があったようで、極印を大量に作る必要があった。ほんの数十枚の旭日竜五十銭の文字型を観察すると、複数通りの「打極むらによらぬ変化」が観察出来る。
 これは、極印の打極可能枚数を見越して、かなり多くの極印を製造していた、ということだ。それなら、まして半年やそこらでの準備は難しい。最初の頃には、おそらく打極数数千回(枚)ごとに極印を取り換える必要が生じたのではないだろうか。
 ちなみに、貨幣の彫刻自体は1㍍サイズの原型を彫ることから始められる。これが完成すると、「縮小彫り」の装置を使い、順次極印を縮小させて行くわけだが、この中間段階の調整で、文字型にも変化が生じるのだろう。
 以上は多く推定を含むので、念の為。ただ、実際に起きたことは、紙に書かれていることとは異なる場合が多いので、文字テキスト情報を鵜呑みにしてはいけない。

 さて、以上は前振りで、本題はここから。
 明治七年には貿易決済用の通貨として「貿易銀」という貨幣が作られるのだが、それ以前は専ら円銀が決済用だった。
 ところが、東北地方に行くと、貿易決済用だった筈の旭日竜一圓銀貨が、時々まとまって蔵から出て来る。
 とりわけ一関から花巻の鉄道に沿って、この旭日竜明治三年銘の発見例が多い。
 幾度か現物を見せて貰ったことがあるが、いずれも一枚ずつ和紙で包まれていた。

 この状況については、かつて南部コインズの奥井勇氏が実際に蔵主から聴取したところ、「明治十年代に東北線の敷設が進められていた時に、土地収用の代金として明治三年の銀貨が充てられた」ということだった。
 その事実を記す書き物なども残っていたようだが、今では消息不明だ。
 ただ、実際の分布状況がそれを裏付け、北上や花巻の沿線では現実に未使用状態の明治三年銘が散見される。
 日本鉄道が東北線の仙台盛岡間の工事に着手したのが、明治二十年の十二月だから、「明治十年代に土地の収容を始めた」とういうのも状況に合致している。

 だが、時代は既に明治十年代だ。何故「明治三年」を代金として払ったのか。
 これには貨幣の信用の問題が関わっている。「ご一新」(明治時代の「明治維新」の呼び方)の後、まだ十年しか経っておらず、国立銀行券に対する信用が今一つだった。これは藩政期に盛岡藩が発行した天保札(七福神札)が一年の内に紙くずとなった経験が教訓として残っていた、ということもあるだろう。
 土地の代金だから、金額は相応の金額になる。
 これをスムーズに運ぶために、「一両」の面影を残す円銀で支払った。旭日竜一圓銀貨は、明治七年以降の新一円銀貨よりも立派なつくりをしていたので、専らこれを使用したということだ。
 (量目は同じだが、サイズが大きい)。

 さて、これからが問題だ。
 東北線の敷設に際し、土地収用を円滑に行うために、「円銀の明治三年で代金を払った」のは良いとして、それに用いられる円銀は「万枚」「十万枚」の桁に及ぶ。
 十数年前の製造時には、その用途で使うことになるとは想定していなかった筈だ。
 なら、日本鉄道は「円銀明治三年をどこから調達したのか?」。
 答えはもちろん、政府だ。
 では、政府は十数年前に作り、製造を停止したその貨幣をどこに取り置いたのか?
 
 私見だが、私は「国庫に深く仕舞われていたお金を出した」のではなく「新たに打極した」と思う。桁は数万枚、ことによると数十万枚に及ぶ。
 その傍証となるのが、東北本線沿線で発見される「明治三年は総て完全未使用の状態で出て来る」ということだ。流通使用されたものは一枚も無い。

 ちなみに、和紙に大切に仕舞われたその円銀は、空気を遮断した金庫の中に入っていたが、いずれも表面が「白い粉を吹いたような」状態だった。銀の表面は容易に劣化・変色するから、どんなに密閉しても「鏡のような状態」ではいられない。
 今なら完全密閉し、腐食や変色を防ぐ手法があるわけだが、明治期には無い。
 二十年前に、金融機関の金庫に仕舞われていた銀貨を大量に買い取ったことがあるが、これも相応の変化が生じていた。
 このため私は「ダイヤのように輝く」明治の銀貨を信用しない。基本は米国製だと思うが、実際、ギザのつくりも違う。
 輪側が重要なのは、鋳造貨幣と全く同じだ。

 貨幣収集家は貨幣の作られた背景には殆ど興味がなく、この手の話題はまったく上がったことがない。
 だが、むしろ「どうやって作ったのか」「どう使ったのか」を推測する方がよほど楽しい謎解きゲームになっている。

 

注記)眼疾があり、一発書き殴りで推敲や校正をしない。表記に不首尾はあると思う。

◎ラーメン屋にて

ラーメン屋にて
 家人が「今日はラーメンを食べよう。私が奢る」と言うので、息子と三人でラーメン屋に行った。次女は「外に出たくない」との由で留守番だ。
 ラーメン屋で各々が注文すると、家人が「オトーサン。お誕生日おめでとう。来月は私の番だからね」と言う。
 えええ。これはお祝いだったのか。
 当方はもうハレの席には出ないけれど、中華は父の好物だった。皆で食べて思い出すことはご供養になる。

 最後に父をラーメン屋に連れて行ったのは、もう四年半くらい前だ。
 なんだかんだと理由を付けては、施設から連れ出し、釣りに行ったり、温泉に行ったりした。帰りに「何か食べて行くか」と訊くと、父は決まって「ラーメンと炒飯」と答えた。
 コロナの蔓延と、当方の体調の悪化で、会うこともままならなくなり、父はさぞ退屈しただろうと思う。
 父が同じ席に座っているような気がして、さすがに泣けた。

 当方のみ、父の亡骸を見ていないし、葬式にも出ていないから、もはや「父がこの世にいない」という実感がない。
 旅行が出来ぬ体になり、むしろその点では良かったのかもしれん。
 当方の意識の中では、父がまだ施設で暮らしているような気がしたままだ。

 今は血圧が低下気味なので、幾らか塩分の強い食事も大丈夫になった。もちろん、普段塩抜きの食事をしているから、外食すると塩辛くて困る。
 だが、時々、町中華に行き、父のご供養をしようと思う。

 ちなみに、家人は来月には「居酒屋と言うものに一度も言ったことが無いから、試しに連れて行く」ことになっている。
 銀婚式をとっくの昔に過ぎた夫婦なら、別にこんなもんだ。
 家人には、このダンナが「まだ生きているだけ有難いと思っててくれ」と言っている。

◎「墜落する飛行機」 産経オールカマー2023の最終展望

「墜落する飛行機」 産経オールカマー2023の最終展望
 中山芝2200は特殊な距離だ。
 1800とも2000とも、2400ともまるで違う。
 臨戦過程、調教状態はもちろんのこと、この距離に特化した馬や、経験値を持つ馬を調べてみた。
 あくまでこの距離だけを見たものだが、これによると候補馬が少数に絞られる。
 目安になるのは経験値の高いエヒトで、これがものさしになる。
 体調・調子によってぶれが生じるが、点数を絞る時には、一定の尺度が必要だ。

 中軸はやはりタイトルホルダーとジェラルディーナになるのだが、タイトルホルダーは目標がジャパンカップ、ジェラルディーナはたぶん、エリザベス女王杯で、このレースはあくまで叩きだ。
 経験値的には評価のあまり高くない、ガイアフォースやローシャムパークは、ここで賞金の加算が必要だから、メイチの勝負に来る。
 あとは調教状態だが、時計が総てではないので、今回は見解がかなり分かれている。
 G1級の馬になると、短期間で仕上がるから、一週前にもさもさした感じでも、当週には仕上がって来ることがある。
 前週までに仕上げ、当週は流すくらいなら万全だ。
 ノースブリッジ、ウインマリリンは、調教評価があまり高くないのだが、本番ではソコソコ走ると思う。あとは他馬との力関係だけ。
 差は僅かで、かつ人気が集まっている馬にかかるとアガリが取れず、その意味で難しいレースだ。

 

 本線をタイトルホルダーとジェラルディーナで組み立てると、殆どアガリが取れない。人気上位馬を捨てて、穴だけ買って、笑ってレースを観ている手か。

 目標は的中すること自体ではなく、アガリを取ることだから、チャラやトリガミになる見込みの馬券は買えない。このため、却って当たらなくなるから、どこで腹を括るかが問題だ。

 追記)結果は1着ローシャムパーク、2着タイトルホルダー、3着ゼッフィーロ。データのない四歳馬が3着で、抜け目だった。
最後の百㍍で、ノースブリッジがタイトルホルダーを交わしそうな勢いだったが、そこで失速。一瞬、「やったか」と思ったが、ま、こんなもんです。

 ゼッフィーロ以外の馬なら、どれでも押さえが的中していたところが勘所。点数を絞る必要があったわけです。

 

 

◎夢の話 第1K99夜 「腹を立ててはダメ」

◎夢の話 第1K99夜 「腹を立ててはダメ」

 二十三日の早朝に観た夢です。

 

 我に返ると、どこか知らぬパーティ会場にいた。

 「これは広尾あたりのホテルだな」。フロラシオンだったか。

 しかし、私は既に社交を一切止めている。出家したのと同じで、他者との交流を避け、治療に専念している。

 「もはや棺桶に足を突っ込んでいる者が、パーティに出るわけがないな」

 おかしい。

 (だが、まだ自分が夢の中にいると気付いてはいない。)

 

 少し離れたところに見覚えのある顔がある。

 「ありゃ、あれは大学の同期の・・・」

 なら、その関係のパーティなのか。

 だが、他の人についてはまったく見覚えが無い。

 

 すると、私の近くに四五人が集まり、その同期知人について噂していた。

 悪口・陰口の類だ。

 「ああ、こいつらは同業者なんだな」

 自分に近い者については、一挙手一投足が気になるものだ。

 別に、酒の上で誰かの陰口を言うのはよくあることだ。ごくフツー。

 だが、陰口と言うには、声が大きかった。

 

 会場が広く、皆があちこちに移動して会話をしているから、誰がどこにいるのかが分からない。

 私の知人がたまたまあのグループの近くに寄ったが、そのグループはそれに気付かず、再び知人について批判めいたことを話していた。

 「ああ、あれでは本人に聞こえるだろうな」

 やはり、当人も気付いたようで、少しく顔色が変わった。

 私は内心で、「腹を立てたらダメだよ。悪口陰口は助言と同じ。誉め言葉には嘘が多いが、悪口はその人の本音を語っている。自分がどう見えているかを知る機会になるから、教えてくれて有難うと思うといいんだよ」と心の声を掛けた。

 

 ここで隣を見ると、すぐ近くに高齢の男性が立っていた。

 男性はじっと知人の方を見ている。

 「何か関わりのある人なのだな」

 どこか心配そうな表情だ。

 ここで、私は「この人は俺と同じことを考えている」と気付いた。

 おまけに、この一心不乱の表情は、生きている者の顔ではない。

 ここで「あ、親族なんだな」と気付く。

 正確なことは分からぬが、この数年内に亡くなった身内だ。

 兄弟ではないだろうから、親御さんかもしれん。何かを案じて、息子?を見に来ていたのだ。

 

 ここで視線をまた知人に向けた。

 やはり知人は自分への口撃に気付いている風情だった。

 私と違い、まだ現役だろうから、色々大変だろう。

 でも、腹を立ててはダメだよ。

 言葉にすると、「上から口調」になってしまうだが、こちらは既に「出家同然」または「ほぼ死人」の状態だ。

 ここで覚醒。

 

 夢に登場した人物が、具体的に特定可能な人物だったので、しばらく思案したが、ひとまず当人にもそれとなく伝えることにした。これは身内の人の心配そうな表情に心動かされたためだ。

 身内の方については言及しなかった。たぶん、お父さんだと思うが、あくまで夢の話だから正確ではない。

 まだご存命なら、目も当てられない。

 夢はストレートに現実に結びついているわけではないから、正夢だったとしても夢の中で生じた出来事がそのまま現実になるわけではない。

 示唆は「その知人の近くに悪意が寄せられるから動揺せぬこと」だが、一応は事故などにも気を付ける必要がある。交差点や駅のホームでは、最前列に立たぬこと。悪意が具体的なかたちになることもあるからだ。

 

 さて、昨夜、叔母から電話があった。父が亡くなる「ひと月前にそれを知り、兄に連絡した」ことが話題になったそうだ。

 実際、私は兄に「親父の具合が悪くなるので様子を見て欲しい。俺もこんな状態だから何かあってもそっちには行けない。親の葬式にも出られぬが、親父の『俺より先に死ぬな』という言い付けは守る」と伝えた。

 叔母も私と似たような性質だから、連絡してくれたのだった。

 

 グリーンカードを貰ったので、観たもの聞こえたものを幾らかは伝えることにした。

 もちろん、当たり障りのない範囲内で、ということではある。

◎病棟日誌 悲喜交々 「完全にイカれた人になった日」

病棟日誌 悲喜交々 「完全にイカれた人になった日」
 二十三日は世間的には祝日だが、我々のような患者は通院がある。外来は急患以外閉まっているので、ロビーは真っ暗だ。

 このところ、治療中の状態があまり良くない。血圧が異常に低下するので最後まで治療を受けることが出来ない状況だ。
 そもそも、体温が34度。三度計測しても同じで、看護師が体温計を取り換えに行く間に少しく体を動かし、強制的に上げる。
 血圧は80に急降下することがある。
 だが、この不調の理由は身体的な問題ではない。
 放置すると、薬を入れられそうな状況なので、ユキコさんが通り掛かった時に呼び止めて、小声で説明した。
 「薬は要りません。今の異常は体の不調ではなく、幽霊に集られているせいです」
 ああ。いよいよ当方も「イカレたやつ」の部類に入ってしまう。
 だが、対症療法で投薬を増やされると、それこそ命に関わるから、この場合致し方ない。
 「今回は分かりにくいけれど、一応根拠はあります」

 前にデロデロと寄り憑かれている画像を見せたので、ユキコさんはすぐに納得し、投薬を止めてくれた。
 やはりある程度、理解してくれる者がいないと、状況が悪くなる。
 「今は女の人を背負っている状態だから、体が重くて堪らないんですよ。これは病気じゃない。手が掛かるんですよ、こいつらは」 
 左肩のところに女の頭があるから、とりわけその辺の首が凝る。
 すると、ユキコさんは「こいつら」のところが引っ掛かったらしい。
 「幾つも来たりするんですか?」
 「多い時には二十体くらいですね。ムカデ行列のように後ろに数珠繋がりになります」
 そういう時には、歩くのもしんどくなる。何せ十人二十人を引き連れているからだ。
 ユキコさんのおかげで、当面は治療を軽微に押さえ、様子を見て貰うことになった。
 曲がりなりにも、幾らか写真を撮れるから、この話が通じるけれど、もし何もない状態でこんな話をしたら、間違いなく「イカれたひと」になるだろうな。

 この日の病院めしは白身魚のフライ。殺風景な食事だが、既に慣れた。病院めしだけは、病院によっては「食えたものではない」ことがあるが、ここはかなりましな方だ。
 ミカンが花輪型に並んでいるところを見ると、また配膳がいつもの調理師にあたっていた模様。
 いずれどんな人か確かめるために会いに行こうと思う。

 最近、再び放射線量の計測を始めた。
 コロナ以前に止めていたのだが、これはどこに行っても問題が無くなったためだった。
 今回は実態を公にし、中国人をやり込めるために計測する。
 ある中国人は「処理水のことを説明しない日本が悪い」と叫んでいたが、こいつらは馬鹿なのか?
 IAEAのウェブサイトを見れば、日本についての言及は幾らでもあるし、国際的な編成の調査団を受け入れて、現地で繰り返し説明している。
 中国人に情報が届かぬのは、「中国政府が自分意都合の悪い情報を国民が見られなくしている」からなんだよ。
 あくどい政府と道も美味いな中国人には、事実を突きつけてやるしか方法はない。
 ま、大陸は半島より幾らかはまし。幾らかは事実を事実として受け入れる人もいる。
 最大の敵は、四千年続く悪巧みの伝統と、日本にもいる中国政府の手先だ。日本人のふりをしているが中は真っ赤。

 埼玉では、屋外では、概ね0.01~0.05μSv。
 電気施設・設備のある場所では、僅かに高くなる。病院のロビーで0.07μSv。
 これから、ありとあらゆる場所の放射線量を計測して、中国人を笑い者にする。
 たぶん、奴らは日本よりずっと高い線量の中で暮らしている。
 だいたい、中国の原発では、それこそ、汚染水(処理しない)をだらだらと垂れ流している。日本の数十倍どころではないぞ。

 

 一部自動翻訳。

 一名中国人喊道,“都是日本的错,没有对处理过的水进行解释”,但这些人是白痴吗?

 如果你看一下国际原子能机构的网站,有很多提到日本的内容,他们主办了国际组织的研究小组,并反复提供实地解释。

 中国民众之所以无法获得信息,是因为“中国政府不让民众看到不利于他们的信息。

 

 从现在开始,他们将在所有可能的地方测量辐射水平,并嘲笑中国人。

 他们生活的辐射剂量可能比日本高得多。

 一般来说,中国的核电站只是排放受污染的水(未经处理)。它的面积还不到日本的几十倍。

 

追って、日常生活の様々な局面での放射線量を整理する。


    
    
  

◎「グリーンカード」

グリーンカード
 数日前の示唆の意味がようやく分かった。あの世の者のメッセージは、「言葉」でなく「感情の波」で行われるから、理解するのが難しい。

 おさらいすると、まず夢の中の人物が、覚醒後にそのままの姿で現れた。これが百九十㌢近くの身長で眼鏡をかけていた。
 このため、私は一瞬、「息子ではないか」と錯覚した。
 この息子と錯覚したことが原因で、「実体化した霊」に対し恐怖を感じなかった。(普通は霊が近寄ると、本能的に恐怖心を覚える。これは心が感応して波立つためで、不可抗力だ。)
 要はメッセージを無難に伝えるためにそうした。

 次は「緑色の紙」の意味だ。
 悩まされたが、要するに「グリーンカ―ド」だと思う。
 米国のグリーンカードは「滞在許可」もしくは「市民権」の意味で、たぶんこれだ。
 要は以後は「出入り自由」ということ。
 あれはあの世の者だったから、これからは幽霊たちと「交流できる」「してよい」ということだ。

 だが、私は既に散々寄り憑かれているかっら、居間、「交流して良い」と言われても、「何を今さら」というのが実感だ。
 世界には幽霊が満ち溢れているが、自分の境遇が理解出来ずに呻いている。生きた人間が滅多に幽霊を見ぬと同じで、幽霊の方も生きた人間をあまりよく認識出来ない。これは接点が「こころ」すなわち感情しかないためだ。
 感情は波と似た性質を持つから、周波数が同じでないと、共感(=共振)出来ない。
 私は一度死んだことがあるので、この共振現象が起こりやすいのだろう。
 このため、幽霊たちが、そこに私がいると知り、「溺れる者がすがるように」しがみつく。
 相手が分かれば、一人ずつ諭し、癒しの感情を送ることで、今いる幽界から先に進ませてやることが出来る。
 川の手前で彷徨っていた者たちが、ようやく川を渡れる。
 三途の川を渡る行為は、「自我の紐帯を解く」ことで、その先は個人としての存在は無くなる。
 もちろん、「川」は主観的表象で、「そう見える」「そう感じる」性質のものだ。実態としてそこに川があるわけではない。
 思い描くから、それがかたちになる。

 「グリーンカード」を貰ったからと言って、これまでと何かが替わるわけではないと思う。
 ただ、一層、寄り憑きが増えるのは確かだ。
 左肩に捕まっている女はかなりしつこくて、なかなか離れてくれない。しがみつかれているので、左肩の後ろから背中が凝って堪らない。
 毎日お焼香をしつつ、慰めているが、まだ暫く掛かると思う。
 まだ、手の感触がある。