日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌 悲喜交々4/27 「一歩控える」

病棟日誌 悲喜交々4/27 「一歩控える」
 治療の後、食堂に行くと、トダさんの他、数人の患者がいた。
 「トダさんが一人になったら、それが頃合いだ」
 そう考えて、自分の食事をした。
 トダさんはやはりほとんど食事に手を付けずにいたが、そのまま椅子に座り、迎えを待っていた。

 他の患者が去ったところで、「さて」と腰を浮かすと、看護師が入って来て、トダさんのトレイを見た。
 「全然食べてないね。まだ迎えが来ないんだから、少しでも食べて。また見に来るからね」
 ああ、良かった。さすがに看護師たちも気付いていたか。

これで当面はお役御免だ。
 医療の看視下に入ったなら、そちらをメインにすべきだ。
 あの世対策は、あくまで「人為的手立てがない時に頼りとすべきもの」だ。基本は己の人生は己で解決すべきだが、その範囲を超えた身体の問題は「医療で対応する」のが筋だ。
 トダさんの場合は、自身を苦しめているのは己の心で、心中に厭世観が満ちており、生きる気力を失っている。ひとことで言えば「寂しい」ということ。
 透析治療自体、まだ三時間半なのだし、腎不全患者としては軽い方だ。当方らベテランは四時間半、五時間。なら、腎臓が原因の食欲不振ではない。

自分なりに「前を向く」ようになれば、状況はまるで違って来る。

 医療の側からの看視対象に入るなら、当方がでしゃばることもない。
 そちらの対応を待つことにした。
 あの世対応には拒否反応を示す人が割合いて、ほんのちょっとのことでも騒ぐ人がいる。何も知らぬからそうなるのだが、「瞼を閉じ耳を塞ぐ」人には何も証明してやれぬから、なるべく関わらぬ方がよい。
 第三者とトラブルに発展する恐れがあるので、実際の行動に移さずに済み(保留だが)、少しほっとした。

 お祓いに進む前に、ちょっとした手立てがある。
 既に本人に指摘したが、
 「家の窓を開き、空気を入れ替える」
 「なるべく日光を浴びる」に加えて、
 「水を供える」(仏前、神前、トイレの窓など気になるところ)
 「感謝しつつ、清浄な水を飲む」
 などがある。これくらいなら、信仰やあの世とは関わりない。

 ここで「自然水を飲む」と言うことを思い出した。
 かつて、御堂観音の前を通った時に、お稚児さまに「ここで泉の水を飲んで行けば腹痛(筋膜腫)が治る」と言われ、その通りにしたが、その日の夜には酷い下痢をした。
 たぶん、体内毒を排出していると思ったので、泉の水を汲んで来て、毎日、お茶やコーヒーを飲んだ。病気はひと月後には治っていた。

 ま、トダさんの場合は、家の中にいる老婆(の幽霊)を排除しないと、徐々に弱って行く。自分でそれに気付き、寄り憑かれぬ状態を保つ必要がある。
 他力による除霊浄霊にはあまり意味が無く、当人が変わらぬなら必ずまた悪縁が戻って来る。