◎夢の話 第1134夜 父母が家にいた
五月六日の午後11時に観た夢です。
昔集めた資料を取りに、郷里の実家まで行くことにした。父母にも長く会っていなかったから、久々に会える。
家を出ようとすると、実家の鍵を忘れていることに気が付いた。鍵は奥座敷の戸棚の上だ。
もう一度家の中に戻り、座敷の襖を開くと、そこに父母が座っていた。
「ありゃ。家に来ていたのか」
父母たちは、布団を敷いて、これから寝ようとするところだった。実際、夜の十時過ぎで、俺は夜通し車を走らせ、郷里に向かう予定だった。
父が俺に言う。
「しばらく前から泊まりに来ていたんだよ」
確かに、だいぶ前から家の中に父や母の気配があった。
ここで俺は俺自身が置かれた状況に気が付いた。
「この家は俺が時々夢に観る家だ。大きな高層マンションの一室だが、部屋が沢山あり、中庭もある」
よって、俺は今、夢を観ているのだ。
奥座敷は俺の深層心理を仕舞うところだから、普段は開かずにいる。だが、最近、俺は「自分の中に父や母がいる」と感じるようになっていた。
「単に心の中に存在していると見なしていたのだが」
ま、どちらでも意味は同じだ。
晩年の父は、母の許を訪れた「お迎え」、すなわち死神を母の愛人と誤認して腹を立て、脛を蹴ったことがあった。
そのお迎えが「(母を)連れて行きます」と父に告げたので、父はてっきり母の不倫相手だと思い込んだことによる。
母はその後一年と少し後に亡くなったのだった。
「ああ良かった。母は父のことを許したのだな」
俺が同時進行的にその話を聴いたら、瞬時にそれが「お迎え」だと気付き、そいつを遠ざける手立てを打っただろう。
だが、俺は遠くに住んでいたから、その話を聴いたのは半年後だった。そして俺がそれを耳にした時には、母の癌は全身に転移していたのだった。
慌てて対策を講じ始めたが、もはやその時には間に合わなかったのだった。
あの世の者は巧妙で、普通は本人の許を訪れる筈の「お迎え」が、母の場合は当人ではなくその伴侶のところに現れた。
母にはそれがお迎えだと気が付く筈なので、そうしなかったのだ。
多くの者は死を恐れるあまり、「あの世」に眼を背けて暮らしている。表向きは「死ねば終わり」「幽霊は実在しない」と言うが、何故かその反面、幽霊を怖ろしく感じる。存在しないなら怖れる必要はなく、「心霊スポット」も「怪談」も存在しえぬ筈なのだが。
母はいつもあの世の者の姿を認めていたから、あの世の使者が目的を果たすためには、段取りを変える必要があったのだ。
母がこの世を去り、その二年後に父も亡くなった。
母は三途の川の橋の上で、俺が来るのを待っていた筈だが、先に父が現れたので、父と一緒に戻って来たのだった。
「それなら、親たちの問題は解決だ。これから俺が死ぬまで、この部屋にいて貰えばよい」
とりあえず父母には休んでもらうことにし、俺は独りで資料を取りに郷里に向かうことにした。
実家の鍵をポケットに入れ、俺は自分の家を出た。