◎病棟日誌 悲喜交々 4/23「沈黙の病」
長女に防煙マスクを贈るべく、早朝から郵便局に行き、それから病院に行った。
病棟が開くのは八時からなので、患者たちが一般ロビーの待合にいたが、先頃、循環器の病因から戻って来たNさんを囲んで話を聞いていた。
その光景がまるでダビンチの「最後の晩餐」そっくりな構図だった。Nさんを囲んで七八人が耳を傾けている。
Nさんは動脈硬化が進行し、左足の中指を切断した。その後、切断面に肉が盛り上がるまで入院したので、二か月その病院にいた。
足の中指一本だけだが、やはり歩行に支障をきたし、杖を突いている。踏ん張ったりすると、足のバランスが崩れ、容易に転んでしまうそうだ。
ま、これは分かる。親指ならだれでも想像がつくと思うが、普段は意識もしない小指にいざ傷がつき使えなくなると、歩行が困難になる。指が五本あるのは、「各々必要だから」ということ。
Nさんは一月に、当方とまったく同じ時期に発症し、同じ経過を辿ったが、治らずに指の切除まで行った。
思わず、「指1本で済んだなら、まだ幸運ですよ。腎不全患者は動脈硬化が普通の人の十倍速で進みますからね」と慰めた?。
Nさんのベッドの向かい側には47歳の患者がいたが、左脚が脛から無くなっており、右足の親指も切られていたそうだ。
やはり腎不全患者だ。その年齢では糖尿病経由ではなく、やはり薬物だ。ステロイド系の薬や先日の紅麹のような健康食品、サプリなどで、体に合わぬ人は一発で腎不全になる。
腎不全になれば、普通の人の十五年分かかる動脈硬化が一二年で進行してしまう。同じことが心臓でも脳でも起きるから、足ならまだまし。
怖いのは、発症するまで自覚症状がまったく無いことで、いざ出れば後戻りが利かない。
例えるなら、存在すら気付かぬほど「大人しい人」だと思っていたヤツが実は凶悪犯で、いきなり長ドスを振り回して暴れる、みたいな話だ。
Nさんの近くで話を聞いていたら、何だか変な感覚があったが、帰宅して少し仮眠を取った後で「左足が痛い」ことに気付いた。最近は調子が良かったのに、この日の出来事と関係があるのか?
この日、治療後に食堂に行くと、トダさんが椅子に座っていた。
やはり食事が摂れぬのだそう。
その時にこう思った。
「自分がどう思われるかはどうでもよく、助かる者を放り捨てると、後々後悔するかもしれん」
ひとまず、食事の工夫について話をして、家庭内の状況を聞いて置こうとしたが、別の患者たちが入って来たので、対話はそこで終了になった。コロナ以後、食事の際に話をすることが憚られるようになり、それは今も続いている。
帰る道々、思案したが、「当方があの世に関わっていることを知る看護師に、トダさんの状況を聞き、その後でそれとなく示唆する」と言う手があることに気付いた。
幾人かにあの世画像を見せているが、動かしがたい証拠を目にした者なら、抵抗が幾らか少ない。
少し気を付ける必要があるのは、他人に関わると、その人の抱える業のようなものまで、当方が引き受けるかもしれんことだ。
幽霊にとっては、「話に耳を傾け、思いに寄り添う」当方のような者が望ましいから、乗り換えて来るということ。
外出する度にあちこちから手が伸びて、当方の体を掴む。
経験がない人には、ただの妄想話だが、一回死んでからは、当方はもはや別の領域にいると思う。そう認識すると気が楽だ。
何せ今は左後ろにいつも誰かの影がある。
十六七年間は、玄関の扉の外にいたが、これが家に中に入り、台所のカウンターの陰に立った。今は堂々と一㍍の間合いで立っている。視界に影が入る度に「それ以上近づくなよ」と告げるのだが、そいつの後ろにはムカデ行列が続いている。
さすがに慣れ、何とも思わなくなった。
怖ろしいのはひとの心で、生死を問わず基本が醜い。生きているから、あるいは死んでいるからなどは関係なく、自我がある限り、独りよがりに考えるように出来ている。
それが醜い。