◎病棟日誌 悲喜交々3/23「サプリのリスク」
この日の計量はユキコさん。
「三沢あけみです」
すると、周囲にいた五十台オヤジ・オバサン看護師が一斉に「知ってる知ってる」と叫んだ。
この人の印象が強かったわけだ。
三沢さんは八十台くらいだと思うがお元気なのだろうか。
ここに介護士のバーサンが介入。
「あれ。あれ誰だっけ?『枯れすすき』の」
「それってどの『枯れすすき』のこと?『昭和』?」
ここで周囲が固まる。
「『昭和枯れすすき』なら、さくらと一郎」
こんなのは最近のことだよな(違うか)。
ネットニュースを観ていると、「サプリで腎不全」の報道があった。数十人が腎機能不全を発症したらしい。
ステロイドも怖いが、サプリ系も怖い。
肝臓腎臓は血液が集まるところなので、劇物は必ずそこを通過する。肝臓は割合丈夫だが、腎臓は悪影響を受けることがある。
腎不全患者の多くは、薬物(普通の治療薬)や健康食品を経由してそうなった。市販薬が合わなかったり、特殊なサプリを摂取することで、一発で腎機能が壊れる。一度壊れると、腎組織は再生しないから、腎不全に。七十パーセント損傷くらいなら人工透析で生きられるが、100%損傷ならもって数日の命だ。
腎臓は血液を濾すだけでなく、生存に必要なホルモンを出す。
よって名前を知らぬ薬草なんかのサプリを飲んではならない。
亜鉛が欲しかったら、サプリではなく牡蠣を食え。
腎不全は「すぐそこにある危機」のひとつで、癌や心疾患で死なない場合は、必ず肺か腎臓で死ぬ。四十歳台までは「自分とは遠い話」のように聞こえるが、五十台以降は「明日自分に起こるかもしれん病」「いずれ必ず通る道」だ。
帰路のエレベーターで、最近転院して来たバーサン患者と一緒になった。アラ八十のようだが、きちんと挨拶が出来る。しっかりしているから七十台半ばかもしれん。
いずれにせよ「周りに眼を配れる」うちはまだ大丈夫だ。
バーサンに「あなたは何年ですか?」と訊かれ、「七年です」と答えた。当方もえれーベテランだ。五年を超える者は数人だわ。
「わたしは十四年です」とのこと。
思わず、「そりゃスゴイ。長いですね」と口走ってしまった。
冷静に考えると、「よくそこまで生きていられらあ」と言う意味だ。本来、とっくの昔に死んでるはずなのに。
実際、この三月でだいぶいなくなったぞ。
やはり生き残るのは、若いうちにピンポイントで腎臓が悪くなった者だけ。
このバーサン患者も六十台の頃には腎臓を壊している。
元気そうだから、心臓病経由ではないようだ。
「たぶん、俺の方がこのバーサンよりも先だ」と思った。
欧米のポータブル透析機を認可してくれれば、患者は自分で出来るし、無用に長生きさせられることもない。早く認可しろ。
もちろん、死亡率が上がるはずだが、人生の時間を治療で食いつぶすよりはるかにましだ。それに、活動範囲が広くなれば、この世のテキトー人種をやっつけに回れる。
この日も「ほぼ末期」の患者が呻いていたが、「延命治療」優先ではなく「苦痛軽減」の選択も認めてやればよい。本人が望む場合はモルヒネを。
国民医療費が減るだろ。
年寄りや障害者は社会に必要のない人間だ。
(もちろん、意図的にブラフを混ぜ込んでいる。それに他人事ではなく、当事者本人の言うことだぞ。)
さて、それじゃあ、その「社会に必要な人間」とは誰のこと?
基準は何で、誰がそれを決める?
裏金政治家か?
と来て、「あ、政策を決めてるのはその政治家だ」と気付く。