日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎週に二度目の秩父観音院

◎週に二度目の秩父観音院
 月曜に参詣したばかりだったが、金曜が休みの家人が「私も行きたい」と言うので、再び参詣することにした。
 この辺、既に私は「余生」を送っており、かつての誓いの通り、この後は「家人最優先」の日々を送ることになっている。
 三十台から五十台は勝手気ままに生きたから、もう充分。これからは罪滅ぼしに。

 このお寺で他の参詣客に会ったことが無いのだが、それもその筈で、周囲は総て杉の山だ。二月三月はここに立ち入ろうとするには、ひとによって覚悟がいる。
 ま、ここで参詣するなら、坂下で観音蕎麦を食べ、温泉で汗と花粉を流すところまでがワンセットだと思う。そのまま帰ったら、家じゅうスギ花粉だらけになってしまう。

 私については、このお寺を訪れる度に、心も体も「良くなっている」という実感がある。さすがお不動さまで、我が家の守護神だ。
 少し気になる点があったので、また来月にはここに参詣しようと思う。

 

追記)最後のひとつ前の画像では、何となく女性が背中を向けているような気がする。
 だが、何も聞こえぬので、今のところは「気のせい」の域だ。そこにいて、こちらに自分を見せているなら、必ず何かを語る。
 ま、実際は直感の通りなのかもしれんが、こういうのは気がついてはならない部類だ。気が付くと、そのことを悟ってついて来る。

 女性は三十くらい。
 子どもがいた。
 周りに三つも四つも寄り憑いている。
 みたいに、どんどん変な情報が沸いて来る。
 声が聞こえ始めて、「触られる」感覚が出るようになると、もはや妄想ではなく本物で、対処が必要になる。
 ただの妄想ほど有難いことはない。それは「何も起きず、背負うものが無い」と言う意味だ。