日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎観音院は遠かった

観音院は遠かった
 もう彼岸なのに父母の墓参りには行けない。それでも自分なりにご供養をしないと落ち着かない 。他にもご供養が必要な相手が数十人はいるわけだし、どこかお寺にいくべきだ。
 しかし、月曜は気温が下がり風も出ていたから、体調的にちょっと難しい。
 ところが、時間を測るべく地図を見ていると、不動明王像が眼に入った。秩父小鹿野町の観音院だ。
 「今日はここに行こう。少なくとも二十くらいの連れはここで降ろせる」
 朝早くに出発することにしたので、家人に告げず一人で家を出た。

 片道が一時間半くらいだったが、難なくお寺の前に着いた。
 「独りでもどうにかなるもんだな」
 そう思って山門に入ったが、すぐに階段が待っていた。
 まさか、延々と上ることになったりして・・・。
 不安が過ぎるが、こういうのは完全に当たるもんだ。
 上がっても上がってもお寺は見えず、途中で休み休みになる。
 「秩父御嶽山じゃあ、本堂に着くまで五回通わされたっけな」
 今回も途中で引き返すことになるかもしれん。

 それどころか、山の周囲に人の姿がまったく見えない。
 参詣客はもちろん、寺の関係者の気配もなし。
 もし立ち往生したら、そのまま独りでいることになりそうだ。
 朝のお務めはするだろうから、明日の朝までじっとしていることになるかも。

延々と階段が続く

 「この寺は高齢者や障害者は参詣できないよな」
 俺もその仲間だわ。
 ようやく建物が見えたが、中継地だってケースもある。
 「あれがお寺でなかったら、もう今日は帰ろう」
 何せ、上りの時より下りの方が脚に負担がかかる。

本堂の周辺には全く人気が無かった。

 だが、上ってみると本堂が見えた。岩山にはまだ上があるらしく隣には泉があり水が流れ落ちている。
 さらに上にも行けるらしいが、私には無理。
 風が強かったので、「お焼香をしても大丈夫か」と不安になった。杉の葉が散乱していたが、コイツも割合油分が強いから、あっという間に山火事になってしまう。
 灰にお線香を深く差し込んで飛ばされぬように心掛けたが、お寺の関係者がいるようには見えなかったので、ヒヤヒヤした。
 ま、消えるまで見ていればよい話だった。
 このところ心臓の調子がよいので、無事に上がれたが、数日後、脚に筋肉痛が出そうだ。 

 お寺には参詣客がいなかったが、麓のバス停には人がいた。
 峠があり城跡などもあるようだから、ハイキング目的の人が山に入るらしい。お寺の駐車場からさらに奥に進むと峠越えの道がある。

 我が家の守り神のお不動さまに参詣することが出来たので、この日は満足した。心が穏やかになれば、幾らか悪縁が離れる。