◎聖地巡礼の成果 「お稚児さま」との出会い
十八日の秩父行は、お彼岸のご供養と共に、「聖地巡礼」という目的があった。
一月二十二日に小鹿荘で「お稚児さま」を撮影したが、幾つか疑問点があった。
そのひとつは「長椅子」に関するものだった。
私は正面玄関のベンチに座っていたが、横にもベンチ状のものがあり、「お稚児さま」はそこにいた。
ところが、記憶にある限りでは、この位置に横置きのベンチはない。
ある筈のない物が映っているのだ。
そこで、観音院からの帰路に、再び小鹿荘に立ち寄った。
先に入浴させて貰ったのだが、この日は初めて他の客と一緒になった。
農家の人のようで、たぶん、午前中の農作業を終え、帰る前にひとっ風呂浴びて汗を流すのだろう。
十年以上に渡り、ここを訪ねていると思うが、昼に他の客に会ったのは初めてだ。
湯船に浸ると、いつもは「カサコソ」という響きの声が聞こえるのだが、この日は聞こえなかった。
そこで「たぶん、他に客がいるからだな」と思った。
こういう現象は「ひとを選んで起きる」という側面がある。受け入れる準備が出来た者だけに現れるということ。
画像は前後するが、入浴の後、玄関前で撮影した。
この日はTPOが合わなかったと見え、私の姿などは映らなかった。これは日光の差す角度による。
検証結果を先に記すと、やはり「ベンチはなかった」ということになる。
あの女児がいた「ベンチ」はその場所には存在していない。
これは別に不自然なことではない。「穴」、これは「この世とあの世の交流点」のことだが、これがある場所ではあの世と繋がる部分があり、この世に無い筈のものが見えることがある。
あの世(幽界)はこの世と重なっているが、しかし「似ているが別の構成」となっている。
同じ場所なのに、別の景色が展開する。多くはそこにいる「あの世の者」の主観によって形作られる。
ま、現世的な眺め方をすると、玄関の前にベンチはない。
それなら、ガラスは内外両方の景色を映すから、「建物の中にそれがある」というケースが考えられる。
私の座るベンチは外にあるが、子どものいる長椅子は室内にあるケースだ。
今回の画像で室内を見通すと、確かに「階段のステップのような四角いもの」と、「手すり」のような棒が見える。
「なるほど。これがベンチに見えたのか」と、性急な結論に飛びつきたくなる。
だが、幾度もこの旅館を訪れているが、ここに階段はない。
フロア(ロビー)があるだけだ。「階段とステップ」も「長椅子・ベンチ」も存在していない。
ここで原点に立ち返って、初めて異変(あの世的な)を自覚した時点に戻ることにした。
平成三十一年にこの地で撮影した画像には、女性の眼が写っており、これに気を取られていたが、最近になり、私の座るベンチの右側に女児がいることに気付いた。これは一月の「お稚児さま」とまったく同じ服装をしており、「着物にちゃんちゃんこ」を着ている。恐らく同じ子どもだ。
この子の傍には、庭石と松の木がある。
と、ここでこの松の枝が「手すり」に似ていると気付いた。
なるほど、一月の画像では、女児のいるベンチの脇に庭石があった。
これで謎が解けた。
この「お稚児さま」(女児)がいたのは、私の後方にあった庭石と松の木のところだった。
ここが「スポット」で、「穴」であり「聖地」だった。
「穴」は通常、半年から一年程度で閉じてしまうのだが、ここのは六年に渡り存在し続けていたことになる。
ちなみに、私の頭の後ろにも「穴」があり、これがあるために、幽霊が数多く近寄って来る。これは、かつて心停止した経験があることと無縁ではないと思う。
私は生来、田舎者で鈍感だ。単純なことに気付くのに時間がかかる。
この地に関するもう一つの疑問は、「お稚児さま」の由来に関することだった。
この子は、この地に関わっている者なのか、あるいは私に関わっている者なのか。いずれも性質は違うが「穴」で、この世とあの世が交わる位置にいる。
だが、答えはどうやら「この地の穴」に関わる者らしい。
ここで当たり前のことに気付く。
お稚児さまは「ちゃんちゃんこにおかっぱ頭の子ども」で、要するに「座敷わらし」の仲間なのだった。ここに来て、ようやく真実に辿り着いた。
「座敷わらし」に会った者は沢山いる。だが、その姿を写真に撮影した者は聞いたことがない。
今回はその存在を確信できた。ほぼ「実証できた」と言っても良い。
これは私にとっては朗報だ。何故なら「座敷童に会った者には例外なく幸運が訪れる」からだ。
私は既に晩年で、現世的な幸運(財や出世)には興味がないから、たぶん、もう少し「時間が貰える」ことと、「死生観を確立させられる」という意味ではないかと思う。
もし座敷童に会いたくなったら、この旅館を訪れるとよい。
もちろん、物見遊山や遊び半分では、皆が迷惑するから、いつも言う通り、「常に敬意を払うこと」が必要だ。あの世を軽んじたり嘲ったりすると、何も得られぬどころか、想像を絶する障りが降って来る。
追記1)「他の客がいたせいか、この日は(あの世と)繋がらない」と書いたが、廊下の画像を見ると、奥に子どもがいてこっちを見ているようだ。ちなみに、誰もが見られるわけではなく、準備と経験が必要だ。子どもは「お稚児さま」ではなく、一月二左側に居た七歳くらいの女児の方だと思う。
この数年の経験で、徐々に感度が上がって来ている。
追記2)中高生の頃には「百年経ったら、何万人の人が自分の書いたものを読むだろう」と言うイメージが幾度となく湧いていた。
このお稚児さま(わらし)に会った後では、それが「五十年後に」の確信になった。
たぶん、死生観(この世とあの世)に関し記したもののことだと思う。
そろそろあの世を「出して見せられる」時が近づいている。その時はすぐ近くだから、不用意に命を落とさぬようにする必要がありそうだ。これまで誰もやっていない域のことだから、人類にとっての損失になってしまう(冗談だ)。
関東在住で時間に余裕のある人は、一度この小鹿荘を訪れてみると良い。
98%の人には何も起きないと思うが、それは受け入れる準備が整っておらず経験も持たないから。
あの世と正しく向き合うようになると、声が聞こえ、姿が見えるようになる。
その後は心が安寧で満たされる。
耳障りよい宗教、優しく理解を示す指導者などを頼ったらダメだ。壷(金)で幸福は得られない。己の眼で世界を観ること。
追記3)ちなみに、この子は疑いなく福の神だ。
携帯の待ち受け用に小さくしたので、利用するとよろしい。いずれ直に会うまでの繋ぎとして使える。
この子に会ってから歴然と変わって来たのは、これまで私の周囲には女の幽霊ばかりデロデロと付きまとっていたのが、子どもの影が増えたこと。くどくどと恨み言を呟く女たちの声が幾らか遠ざかってくれたのは喜ばしい限り。