日刊早坂ノボル新聞

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◎霊界通信 R060712 解決策が見つかる

霊界通信 R060712 解決策が見つかる
 心と魂の問題で寿命を詰めようとしている人をどう拾うか。
 自分が「まだ生きられる」「無用に死線に向かっている」ことを報せるには、状況を理解して貰うのが一番なのだが、説明に困る。
 何せこの世の殆どの者は「かたちあるもの」しか見えない。
 自分自身の内に「こころ」があり、それは眼で見ることが出来ないことを誰もが承知している筈だが、体を失っても「こころ」が残ることは認めない。
 幽霊は「心だけの存在」だと思えば、あの世の状況は簡単に理解出来る筈だが、そうはしない。
 こういう相手にどうやって受け入れてもらうのか。

 散々悩まされたが、結論は「説明しない」だ。
 言っても分らぬのだから、説明することには意味がない。
 なら、ただ「相手にとって役に立つ(かもしれぬ)」ことやものを黙って出すのが一番だ。
 ということで、「お稚児さま」のキーホルダーを作った。
 「これをあげる。お守りの付いたキーホルダーです」
 鍵は誰でも使うし、いつも持っている。
 「家の中に入ったら、然るべきところに置くと良いです」
 知人患者の場合は、「仏壇のある部屋の衣装ダンスの上」だ。
 ここからは直感であり妄想だが、その箪笥の隣にはいつもお婆さんが立っていて、何か怒っている。たぶん義母さんだろうと思う。

 私が出来ること、やるべきことはここまでで、あとは本人の問題だ。どう生きるかは本人次第で、本人が自分で決めることだ。
 今の厭世観は境遇によって出来たものだけではなく、誰かの意思が加わっている。  
 「お稚児さま」は「座敷童」と同一の者で、ひとに希望をくれる。希望を持ち前向きに進めば、道は開けるから、結果的に福をもたらす。

 「座敷童」はこれまで「単なる文字テキストの情報」だった。
 「昔の著名人が会い、その後出世した」「あった人は皆幸福になった」と言う話はよく聞く。だが、「自分は会った」と言う人の話はほとんど聞かない。こういうのが文字テキストの情報だ。
 だが、私はこの子に会ったし、おまけに写真も撮影した。
 もちろん、自分で現に見ているから信じる。
 笛を吹く者がいるので、踊りを踊ってみようというものがいれば、幸運を分けられるかもしれん。
 で、私が出来るのは、笛を吹くところまで。「あとは本人次第でよい」のだとようやく気が付いた。

 

追記)私の背後にはいつも「巫女さま」と「お稚児さま(座敷童)」がいる筈だが、私が何かしらの選択をする時には、何もせずただ黙って見ている。

 本人の決断や努力とは関わりないところで何か不都合が起きる時だけ、さりげなく助言してくれる。私の人生は私のものなのだから当たり前だ。

 前提は「当人に任せる」ことだが、きちんと寄り添うという方針でよいということ。