◎叔母はよく分かっている
叔母と話をした際に、叔母の孫のことを思い出した。従弟の子どものうち長女の話になる。この子は盛岡一を出て早大に進んだので当方とまったく同じコースを歩んでいる。今は学生。
詩文の才能があるようで、短歌界の新人賞を貰い、本を2冊出しているそうだ。芸術家気質ということ。
だが、この子は「気性難」で、気に食わぬことがあると暴れるタイプ。これは子どもの頃から変わらない。
当方の母が直接その場面を見たことがあるらしく、「あれは大変だ」と言っていた。叔母もよくこぼす。
「芸術家肌なら、集中を損ねるのがきらいで、すぐにキレるから、ある程度仕方がないのですよ」
と慰めていたが、その瞬間、お稚児さまのことを思い出した。
そこで、孫たちに「お稚児さまキーホルダー」を人数分送ることにした。
鍵を使う時に、お稚児さまの穏やかな顔を見れば、勘気が収まるかもしれん。
ついでだから、家族全員分のを送ることにした。
だが、叔母は生家の向かいが「座敷童の出る」M家だったから、この妖怪のことをよく知っている。
叔母はすぐさま「それなら、それを持ってジャンボを買いに行かなくちゃ」と言っていた。
神さまや妖怪の中で、確実に現世利益をくれるのは、唯一、この座敷童だけ。ま、そういうのは期待してはいけないが、さりげなく持つのは良いと思う。
笛を吹かれれば、「とりあえず踊ってみる」という姿勢では、当方と叔母は共通点がある。
M家の座敷童について、盛岡タイムスに「みさきちゃん」という小説に書いた。
創作だと思っている人が大半だと思うが、あの話は実話で、当方がM家を見学させて貰った時に実際に起きた話だ。
窓から庭を見ると、葦で埋まった池のほとりに着物を着た娘がいたのだが、帰宅してから、叔母にそのことを言うと、叔母は「その着物の柄なら、みさきちゃんだ」と答えた。
みさきちゃんは、若くして亡くなった、その家の娘らしい。
その時に、子どもの声を聞いたが、その町は過疎地で近隣に子どもはいなかった。声など聞こえる筈がない。
当方が小鹿野町で撮影した「お稚児さま」は、もしかすると、あの時から、ずっと傍にいたのかもしれん。
御堂観音でも子どもの声が聞こえたが、やはりこの子だと思う。
ちなみに、座敷童に会うと、爆発的な現世利益に恵まれるのが通り相場なのだが、今のところ当方にはその気配がない。
と、これがオチ(www)。
ま、「生きている」ってのが、最大の「儲け」だということも承知している。幾度も死地から戻った。