日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎余生はゴースト

◎余生はゴースト
 昨晩、徹夜をして小説を一本書いた。過去に書き溜めていたものを一本にまとめたものだが、こういう時にはストックが沢山ある方が助かる。あっという間に長編が一本出来る。
 今回は息子との共同執筆のかたちにして、息子を代表に立てて、いずれかの媒体に送ろうと思う。ほとんどゴースト作品と変わりないが、息子には幾つかの選択に関与し、行く末にも関わてもらうから、共同執筆だ。息子はオンラインゲームのクリエイターだから、ゲームに仕立てるチャンスも生まれる。
 当方が「殆どゴースト」なら象徴的だ。既に余生に入っており、事実上、殆どゴーストそのものになっている。
 「藤子不二雄」さんのような体制に整えるには、試行錯誤が必要だが、徐々に色んなジャンルに顔を出して行くと思う。最初に道を付ける手助けをしたら、あとは息子が自分で何とかして欲しい。早坂組が出発進行となる。

 物語を書くコツは幾つかある。この場合の「書く」は「書き上げる」の意で、最後まで放棄せずにやり遂げられるという意味だ。多くの場合、書き始めたは良いが、途中で放棄することになる。完結出来なければ何も始まらない。
 まずひとつ目のコツは、「誰かのために書く」。
 読んで貰うための対象を明確にすることで、表現の仕方が絞られる。視座が明確になる。
 当方の場合は、広くは「山家に生きる人」だ。元々、自分がそうだったということもあるが、山間で暮らす人の感覚で「我がことのように感じられる生活感や人生観」に立つ。
 この時点で受け入れられない人も多く発生するのだが、誰に読ますのかが不明なボヤけた話よりははるかにましだ。八方美人は誰にも好かれない。
 好き嫌いが明確に分かれることは、何かを持っていることの証明だ。

 二つ目が「結末から書く」。
 カーナビと同じで、目的地が決まっているから、合理的に効率的に進路を選ぶことが出来る。最初に結末を書いてしまえば、出発地を定めた時点でストーリーの選択肢が決まる。

 三つ目が「ひとまとまりを三行で書く」。
 これは準備段階のことで、執筆は、家を作る時のように、柱を立て屋根を吹き、外装を整えるが、各々のプロットの柱を立てる時には三行でまとめて置く。全体の構成が固まってから、各部を詳述するようにするとスイスイと進む。

 以上は「闇雲に苦労せずに書き上げられる」ためのコツだ。
 出来不出来は関係なく、テーマを決めてからサクサクと進めるための方法になる。呼んでそれを面白いと思う人がいるかどうかは、また話が別だ。もちろん、完成させなければ何も始まらない。

 ここで思い出したのが『鬼灯の城』だ。
 物語の終盤になり、体調を崩したこともあり、最後の30枚を公表できなかった。結末は陰惨な話で、登場人物が皆殺しになる。恨みや怨念で終わる話なので、病苦と戦っている時には心まで蝕まれる。
 その後、結末を出そうと思ったが、新聞に掲載していたので、権利関係に配慮が必要で、そのまま止まっていた。
 その媒体が無くなったことで、版権フリーで使える。 
 だが、新しく媒体を探す必要がある。病気で療養していたのと、コロナの影響で、各方面との繋がりが殆ど切れた。
 思案どころだが、よく考えると、もはや当方にはビジネス的な要因は考えなくとも良いのだった。出版の段取りを考えるのは、もはや不要だ。
 いずれにせよ残りの時間は僅か。
 それなら、過去の分を含め、ウェブページに掲載すればよい。
 読者の中には、今も読んでくれている人がいるから、冒頭から読める方が助かる筈だ。書籍を読むようには行かぬが、何せ無料だ。
 あとは体力がもつかどうかということだけ。

 ところで、今朝の作品はあの世に言及しているが、これをまとめているうちに、左肩の痛みが薄れた。
 このひと月は、呻くほどの痛みを覚えていたのだが。
 ま、このまま全快するほど甘くはないと思うが、ガラリ一変の雰囲気だ。何かこの作品と関係していたのかもしれん。
 とりあえず、手を肩より上に上げられるようにはなった。

 この先も誰かの背後に立ち、スイスイとまとめてやろうと思う。ただのゴーストではなく、守護霊に。