◎病棟日誌 悲喜交々3/9 「浜田光夫を知ってる?」
エレベーターに乗り、久々に四文字熟語を見た。「これは遊べる」と思い、逆算方式で問題を作ってみた。
実際には、先に四文字熟語があり、それを見て刹那的に思い出した、ということ。
あっさり答えを書くが、熟語の方は「一心同体」。
「一心同体」とくれば、次に続くのは「少女隊」だわ(w)。
初代「少女隊」は八十年台の話だから、もう四十年前だ。
メンバーは既に五十台半ばに達している。
さて、この日の検量担当は介護士のバーサン。
「仲宗根美樹からの美樹克彦」
「憶えてないなあ」
だが、これでは済まずに、すかさず切り返された。
「浜田光夫。知ってる?」
「知ってる。吉永小百合さんと『いつでも夢を』をデュエットした」
だが、さすがに昭和三十年代の話なので、同時代的に浜田さんを見聞きしてはいない。当方の記憶にあるのは四十年台以降だ。
(よく考えると、『いつでも夢を』は橋幸夫さんとのデュエットだった。浜田&吉永の曲はなく、映画の共演だけ。この辺はさすがにその時代を知らないことで起きる勘違いだ。)
ここはこのバーサンは当方より十歳くらい上なんだな。
しかし危ねえ。まさかやり返されるとは、人間は日々進歩するもんだ。(何が「危ない」のかはともかくとして。)
これで、バーサンとの接点(やり取り)が確立されたが、以後は「質問を出される」ということでもある。「分かりません」と答えるのは癪に障るので、三十年台を勉強しておかねばならない。それで病棟の退屈が紛らわされる。
治療前にトイレに行こうと外に出たら、お掃除の小父さんがいた。エレベーターが来るまで時間がありそうなので、小父さんに話しかけた。。
「最近は暑かったり寒かったりでおかしくなりますね。調子はどうですか?」
「全然ダメですね。何だか体調がよくないです」
あれあれ。オヤジジイなのに丁寧な口調だぞ。
少し考えさせられたが、見ようによっては小父さんはアラ六十歳で、実は五十台かもしれん。
ゲゲゲ。もしかして年下かも。
ま、当方は持病有りで外見は実年齢より先に進んでいるだろうから、世間的にはもはや「ジーサン」だ。
「俺は永遠の三十二歳なのにな」
病院の清掃は気を遣うところが多いから、結構しんどそう。
だが、国民年金だったりすると、それだけでは生活できないから、体調がどうであれ働かなくてはならない。小父さんもあちこち傷んでいるが、だが働かねばならなくて、無理をしている印象がある。
まずは外国に撒く金を見直すべきだな。
北欧などは予算の大半が福利厚生だ。反面、道路が穴だらけ。
社会の成り立ちを根本から組み立て直すべき時が来ている。
ま、岸田には無理。将来の展望がないし、夢を語れない。
為すべきことが何かも分かっていない。
課税は年次ごとで、政治資金は申請して初めて政治資金になるのだから、前年次以前に未申告だった分は、「申告漏れ」となり、もちろん課税の対象になる。過去に遡って「政治資金」扱いには出来ぬのだ。
よって、これは本人が納税するかどうかではなく、国税庁が決めること。もし課税しないなら、一部の者を課税免除することで、「法の下の平等」を覆す振る舞いだ。
言っとくが、もし裏金政治家に課税しなけりゃ、もはや暴動だぞ。あるいは当方なら「呪詛」。こっちは犯罪にならない。
ともかく、こんな単純なことが岸田には分からない。
コイツが党総裁なら、次の選挙では大敗するだろうな。
「とりあえず立民か共産以外の党に入れる」ことになる。
理念は持ってないわ、行動基準はずさんだわ、岸田に見るべきところはまったくなし。「総理っぽいこと」がしたいだけで、何をすべきかが分かっていない。息子と同じレベルだ(怒)。
とまあ、これでは血圧がまた二百を超えてしまうので、別のことを考えることにした。
どうやら七八月くらいまで、生きていられることになりそうだし、この数か月をどう活用するかを考ええることにした。
もちろん、既に晩年であり余生だから、出来ることなどたかが知れている。だが、当方の強みはそれが「不確かな何時か来る」のではなく「眼に見える先に確実に来る」ことを知っているという点だと思う。
従前の二十パーセント以下のことしか出来ぬのだが、脳だって日頃使っているのはそんなもんだ。