◎病棟日誌 悲喜交々 2/10 「さらにしぶとい人」
土曜は通院日。
検量は介護士のバーサンだった。
「渡辺はま子です」
バーサンは二秒考えたが、「あ、知ってる」。
これでバーサンが71~73歳の間だと分かった。
テレビが家庭に普及するのは昭和三十年代だが、渡辺はま子さんはその頃に活躍した。
で、バーサンはその頃に思春期にかかるかどうかの時期だ。団塊世代の少し後で、当方は71か72だと見た。
ちなみに、オヤジジイの当方でも、渡辺さんは懐メロ番組で一二度見たことがある、という程度。「蘇州夜曲」「支那の夜」はカラオケにも入っている。
バーサンとは徐々に会話が成り立って来た。
五十台の師長やタマちゃんは首を捻っていた。
昨夜は朝まで原稿を書いたので、体がもたず、この日はずっと寝ていた。途中、鼾を掻いたと思う。
治療終りに隣を見ると、ベッドが空だった。
動脈瘤の持病があることを知っているので、他人事ながら少しヒヤッとする。ま、検査か何かで他の病院でしょ。
食道に行くと、お茶屋の小父さんが車椅子で来ていた。
この日気付いたが、肌が真っ黒になっていた。
腎不全の末期には「黒くなる」と聞いたが、実際そのようだ。
アフリカ系の人は「肌が黒い」と言ってもチョコレート色のことが多いが、この小父さんは本物の黒だった。
しかし、しぶとい。一年以上前に「この人の時間はあと僅か」だと感じたが、そこからしぶとく生きている。
挨拶すると、きちんと返事が返って来る。
そういう意識、気力が大切なようで、他者に対してもきちんと気を配れるほど気が張っているということ。
見習うべきだが、当方は偏屈だし、持病が無くとも人間嫌いだわ。残念。
ま、小父さんの「生への執念」には敬意を表する。
「いつ死んでもいい」と口にする者は山ほどいるが、そもそも「死んでも」は仮定の話だ。幼稚園児が大人になったつもりでいるのと同じ。目の前に自分の死を見ている者は、「まだ死にたくない」と叫ぶか、「もう死なせて」と呻く。この二つだけ。
帰路には予定通り、八幡さまに参拝した。