◎病棟日誌 悲喜交々 3/21 「よくなっているざんす」
計量担当は介護師のバーサン。
「山田太郎です」
「ああ、それは座布団を運んでいるひと」
すると、たまたま脇を通り掛かっていたウエキさんが参入。
「それは山田隆夫さん。太朗さんはドカベンしか知らないわ」
当方だって、山田太郎さんのことはリアルタイムでは知らない。
「新聞少年の歌の歌手だよ。僕の名前を知っているかい」
確か「朝刊太郎」と言うんだよ。
当方より年上のバーサンが知らぬ筈はないが、さてはボケているのか。
だが、ここで気付く。
「いやまて。案外、このバーサンは齢を食っていないかもしれん」
怖ろしい。
美空ひばりさんや石原裕次郎さんは、今観ても「ずっと年上」のような印象がある。だが、亡くなったのは両方とも五十三歳だった。五十三歳くらいなら、一般人はまだバリバリ元気な年齢だ。
「してみると、持病有りの俺なんぞは、心の内では『永遠の三十二歳』なのに傍から見ればヨレヨレのジーサンじゃないか」
だが、心の中にやる気や活気があれば、外面的にも若く見える
前を向き、プラス思考で考えねば。
ベッドに横になると、栄養士のババさんがやって来た。
「こないだの検査結果ですが」
そう言えば油断して、むぼうびに検査を受けたんだっけな。
「カリウムが6.5でした」
「そりゃ限界を超えてますね」
カリウムは血中基準が5.0以下。5.8くらいから心不全発症の可能性が生まれる。
6.8だと誰が見ても分かる危険域だ。
「前回も6.8でしたからね」
ここで閃く。
「おお、それは素晴らしい。0.3も下がっているじゃないか」
ほんの一瞬の話だが、見ようによってはそう見えるかもしれん。半島人の使ういかさまレトリックだ。ひと言で言えば「嘘」であり「ごまかし」。
官庁統計ではよくこれを使う。静態動態と角度を変えて見て、「見えるかもしれぬ」見方で記録する。当方は作っていた方の立場だからそのいかさまぶりはよく知っている。
「次はとりあえず6より下を目指すことにしますね」
こいつはなかなか難しい。排出が出来ぬので、バナナを1本食べると、6を超えてしまう。生野菜や果物は、原則として禁忌食品だ。
だが、実験をしているので、当方的には5.8くらいまでは心臓の発症は少ない。ま、これは人による。
「前よりも良くなっている」と大きな声で言ったせいか、栄養士も看護師も特に何も言わなかった。
「良くなっている」は魔法の言葉だ。
もちろん、自分自身は己の実態を知っている。自分の嘘を信じたりはしないことが、半島人との違いだ。まずは気を許さぬように、果物を控えよう。
だが、当方が「良くなっている」のは確か。もちろん、これは「治癒に向かっている」という意味ではない。既に晩年で、死に間際であることは変わりない。
だが、心持ちが違う。これもお稚児さまの影響だと思うが、プラス思考になっている。
その表れが「赤虎」の帰還だ。「盗賊の赤虎」は当方の作ったキャラクターだが、今はコイツが時々出て来て、「俺の話を書け」と言う。
あと少し体力が戻ってくれれば、電子書籍なら作れるかもしれん。紙はスタッフが必要だ。要はチームが要らぬ範囲での対応を考えればよいことだった。
帰路、エレベーターに乗ると、この日の四文字熟語は「因果応報」だった。コイツはマイナスの意味に取られることが多いが、逆のこともある。