◎病棟日誌 悲喜交々12/14 「さらけ出せばスッキリ」
木曜は通院日。
この日も介護士のバーサンにリンゴを持参したが、「誰が見ていても構わん。今日は出そう」と思っていると、こういう時には、きちんと一人でいる局面が出来る。
「これは田舎の江刺リンゴでござんす」
ちなみに、「ざんす」は昔の盛岡藩言葉だ。当方が子どもの頃には、父と一緒に営業に回り、「ざんす」「ざんす」をよく聞いた。
この日は形成外科の診察があり、足を診て貰った。
「原因がよく分からないが、靴に足が擦れたのか、化膿して紫色に」
事前に皮膚科で治療を受けていたから、その継続治療になった。また爪を根元から切除された(イテテテ)。
医師が「前回は治り掛けたんでしたっけね」と言うので、あれこれ説明するのが面倒になっていた当方は、腹の内をそのまま答えた。
「※※の前の病院跡に行ったら、女の幽霊が立っていまして、それを見たら、その日の夜から指と言わず足首まで紫色に腫れました」
こういう話をした時の、相手の微妙な表情は何ともいえんな。
いいよな。当方はこの手の処理に少ない生活時間の半分を費やす必要がある。普通はそんな配慮は要らんだろうから、まるで「異質な者」「イカレた者」を見る目つきになる。
「変な話ですが、この感覚があるから、逆に生きていられるのだと思いますね」
医師はしーんとしていた。
別の医師の数人にも少しだけ話したことがあるが、まともに聞いたのは循環器の主治医だけだ。
従前はこの手のことは一切口にしなかったが、最近は面倒になって来たので、バラバラ話すことにした。どう受け止めるかは相手次第だし、当方にはもはや友だちも理解者も不要だ。
棺桶に入る者には財産も友だちも要らない。
と考えたが、「一緒に誰かを棺桶に引きずり込むことは出来るよな」と思った。笑える。
帰り際に、介護士のバーサンとすれ違ったが、バーサンは少しく恐縮していたらしい。
「私なんかじゃなく、他の看護師さんに渡す筈だったのではないの?」
「いやいや。今日はあなたのために持って来たんですよ。日頃のお礼です」
「そうなの。どうもありがとうね」
と、北関東の訛で話すのを聞き、なるほど「この人にもあげよう」と思った理由が分かった。
ま、表向きは「組織集団の中でもっとも重要なのはトップではなく細々とした仕事を担う人たち」という建前だ。社長に歳暮は送らぬが、下働きの者には心づけが必要だ。
でも、それ以上に、このバーサンは「自分と同じ田舎者」だということ。仲間だという意識があったわけざんす。