日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 悲喜交々 8/19 「人生最良の日々」

病棟日誌 悲喜交々 8/19 「人生最良の日々」

 久しぶりに師長がベッドにやって来た。

 「調子はどうですか?」

 「絶好調だよ。生涯で最高の日々だ」

 この時の師長の表情が「え?」。そりゃそうだ。重度の腎不全患者だし、心臓は悪いわ、脚は動かぬわ、今は眼も見えぬ。

 そこで少し説明をした。

 「俺には毎日が生涯最高の日なんだよ。今より良くなることはないのだから、その時点時点での頂点にいる。ま、あとは下がるだけとも言うわけだが」

 「なるほど。お酒は飲めてますか?」

 「幾ら苦しくても酒は飲むことにしている。もはや打つのもソコソコ、買うのは卒業だから、残りひとつは死守しないとね」

 「ははあ。そうですか。やはりSさん(ガラモンさん)とKさん(当方)は酒が尺度ですね。飲めてる分には大丈夫」

 だが、そのSさんの名はもうこの病棟にはないよな。

 怪獣ガラモンは自分の星に還ったか。

 そうなると、やはり、次はそろそろ「当方の番」だわ。

 

 でもま、こんなもんだわ。

 「俺は十数年前に病気が深刻化して、人生を立て直すのには断捨離しかないと思い、社交を捨てた。もはや会合や冠婚葬祭には一切出ないと決心し、それを実行して時間を作った。腎臓を壊してからは、さらに時間とエネルギーを集中する必要があるから、道楽を捨てることにし、骨董品の類を他人に分け与えた。ガラクタだが、唐突に品が送られて来て当惑した人もいただろうと思う。それは遺産分与や思い出づくりのつもりだった。家の名義も息子に渡すところだから、実際に自分が死んだ時にはすっかり空になっている。俺は生まれた時の状態で死ぬんだよ」

 で、そうやって心を集中しないと、自分の取り組むべきテーマに費やす時間がない。何せ、丸一日自分のために使えるのは週に一日か二日しかない。

 「もはや棺桶に両足が入っている」状態だが、それを自覚し、「まだ俺には両手が開いている」と思えば、それから先にやれることが生まれる。

 後ろに倒れ、棺桶の蓋が閉まるまでは、まだ何がしかの時間がある。

 棺桶の中には友だちを連れて行けぬし、趣味道楽の品や、財産を入れようとしても、何の意味もないのだ。

 「今はもう捨てられるのは、人生くらいしか残っていない。だが、持ち物を空にすることが出来たことで、まだ自分なりに前進できるようになった」

 すると師長はこう答えた。

 「人生を捨てようという気になった時には、私に言ってくださいよ」

 師長は師長なりに、当方を留めるつもりらしい。

 

 ああ分かった、と右手を挙げた。

 だが、当方の取り柄は「とにかくしぶとい」ところだから、人生を捨てる気などさらさらないざんす。

 文字などほとんど見えなくとも、こうやってキーを叩いているわさ。

 

 次女は、たぶん、失恋が原因で、この一年はずっとふさぎ込んでいる。笑顔を見たことが一度も無い。

 当方も二十歳頃に当時の彼女を失ってから、十年間くらいは他の女子と付き合えなかった。(正確には、違和感が先に立ちうまく付き合えない。)

 家人と会った時には、十年間くらいの苦闘の末に、己が己を受け入れるようになっていた。

 自分を知るのは重要なことだ。

 女子なので、次女にどう助言してよいかわからぬが、娘に伝えたいことをここに書いて置く。

 たぶん、当方が死んだ後には、文字が残っていることで役に立つこともあると思う。

 

 「過去を悔いて暮らしても一日、この先自分に出来ることを思い描いて暮らしても一日。同じ二十四時間でも、考えようによっては一日の持つ意味がまるで違って来る」

 珍しくブラフなし。ほぼ言動の96%がブラフの者にしては珍しい。